元勇者の家族2
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勇者アンは魔王と対峙していた。
そこは魔王の城の執務室。
アンは人間の王の命令により単身、宿敵の元へのりこんでいた。
執務室に居たのは一人の黒髪の青年。大きな机に、たくさんの書簡を広げて書きものをしていた。
青年は下を向いていたので扉から音もなく侵入したアンに気づく様子はない。ずっと書きものの手を止めなかった。
アンはフードを深くかぶり直し、黒いマントにかくすように持っていた剣を抜いた。それから静かに歩きだす。
「まるで暗殺者だな」
執務室に突然ひびいた低い声にアンは歩を止めた。
青年はまだ下を向いている。だが、声は青年から聞こえてきた。
剣をにぎるアンの手にあせがにじむ。
「殺気を出しすぎだ」
顔を上げた青年。その瞳は紅い。魔族の王は美しかった。
アンは身震いした。これまで一度も戦で震えたことなどなかったのに、宿敵を前にしてアンは緊張していた。
眼前の魔王は自分よりも少し年かさの青年にしか見えなかったが、長命な魔族の年齢を外見だけではかることはできない。
血のような瞳がアンをじっと見据えていた。
アンは落ち着きを取り戻すために深く息を吸う。
覚悟は決めていた。アンはここで魔王と相討ちするつもりでいた。
それを見た魔王が言う。
「もう終わりにしないか」
アンはうなずく。
「そうだ。早く終わらせよう」
そう言って剣をかまえたアンに魔王は首を横にふった。
「そういう意味じゃない」
魔王は立ち上がった。身構えるアンをよそにゆっくりと近づいてくる。それからアンの前まで来るとひざまずき頭を垂れた。
「どういうつもりだ?」
アンは驚いて一歩あとずさりながらも剣をにぎる手はいつでも動かせる状態にしておく。
「降伏する。われらは人間に和平を申し入れる」
頭を下げたまま魔王は告げた。
「…うそだ!」
アンはうろたえた。
策略にちがいない。降伏したフリをしてこちらが気を許したすきに襲いかかるつもりだ。
アンは周囲を警戒したが執務室には魔王以外の気配はなかった。
「本当だ。その証が欲しければわが真名をさしだそう」
そうして魔王は己の真名を簡単に明かした。魔族にとって真名を明かすことはなによりも屈辱のはずだった。
「わが真名をささげる。そのかわりこれ以上、民の命をうばわないでくれ」
紅い瞳がまっすぐに勇者を見上げていた。