詩織さん、これは一体どういう事ですか?
人は自分に無いものに憧れる。
非力な少年はヒーローに、普通の少女がお姫様にと、人それぞれ様々だろう。
地元の高校に通う来栖麻里も例外ではない。
かと言ってお姫様や勇者に成りたい訳でもない。力や権力を持つと面倒な事を既に知っているからだ。
彼女の家は明治時代から続く旧家であり正真正銘お嬢さま、というやつだ。
一度も染めたことも枝毛もない艶やかな漆黒の髪は、背中まで伸ばし綺麗に切り揃えている。身長172センチのモデルのような見事なプロポーションと引き締まりスラリと伸びた手足は、栄養管理の行き届いた和食と空手の賜物だろう。
旧家のご令嬢としての洗練された立ち居振る舞いは優雅で常に周囲の目を奪いうが、中性的な顔立ちが災いし何故か女性に異様にモテる恋人募集中の17歳。
彼氏が欲しい彼女の思いとは真逆に、少し細めの涼し気な目で見つめられて落ちた女性は数知れず。美しいお御足から繰り出される踵落としは数々の暴漢たちを沈め更にファンクラブ数が増えるという悪循環を止められず一人涙する彼女だった。
家は広い敷地にででんっ、と存在感のある純日本家屋。
重厚な瓦屋根、草の匂いがする畳に見事な透かし彫りの細かな欄間。先祖代々受け継がれ大事に使い込まれた歴史ある家具達。
庭には小さいながらも四阿があり、四季折々の庭園が楽しめる。一際大きな枝ぶりの松の近くには苔生した岩に囲まれた池があり、水中を一匹数百万はする錦鯉が悠々と泳いでいる。
正に純和風。
外国の方々には、『ワァオ!ニッポンスバラシイデスネ!ニンジャトザシキワラシドコデスカ?』と歓喜の声と共にカメラのシャッター音付きで大変喜ばれるであろう趣のある家屋だ。
そんな旧家のお嬢さまでも憧れるものはある。
それは可愛いもの。
そして普通の生活というものにだ。
「麻里は、高校卒業したら大学の寮に入りたいんだっけ」
下校途中、友人である詩織の家に立ち寄り部屋で熱心にファッション雑誌を見ていた麻里はその言葉に目線を上げた。問いかけた本人はパソコンの画面から目を離さずにパチパチと入力している。
本来なら眉をひそめるところだが、彼女が入力しているのは機械オンチの麻里に代わり、ゲームのアバター情報を入力してもらっている最中だ。文句があろうはずが無い。
詩織の問い掛けに少し思案し、頬に掛かった髪を耳にかけながらふわりと笑う。
「ええ、そうですわ。
まだお祖父様を説得中ですが、わたくし寮に入ったらパステルカラーや水玉。後はレースを使いフリフリふわふわで可愛らしいくお部屋をコーディネートしたいのです。絨毯や天蓋付きベッドにシャンデリア…いえ、北欧をイメージしたメルヘンチックな部屋も捨てがたいですわね」
弾む声にタイピングしながらちらっと見れば、ピンク色に頬を染め力説するレアな麻里の姿に見惚れつつも無理もない、と詩織は内心で苦笑した。
以前に麻里の家に泊まりに行ったことがあるが何と言うか江戸時代にタイムスリップしたかのようだった。
ズラリと並んで出迎えてくれたお手伝いさん達に、家の広大な敷地面積。ドン引きしながらも気分は京都旅行だったが。
スマホでパシャパシャ撮影しつつ、床の間の壺や掛け軸に感動したり、檜風呂に感動したり、料亭のような食事に感動したり、兎に角感動しっぱなしだった。
特に夕飯の照りが艶やかなブリと大根の煮物と朝食に出た黄金色の出し巻き卵は土下座してでもまた食べたい一品だ。
話が脱線したが、歴史のある家屋には美しい日本画や綺麗な壺がセンス良く飾られている。しかし綺麗なものと可愛いものは全く別物である。
重厚で綺麗なものに囲まれて育った麻里の憧憬は筋金入りだった。
「……っと。これで終わり!麻里、どう?」
「…完璧ですわ!詩織さん素晴らしいです!これでわたくしもゲームに参加できますのね」
「わっ?ち、ちょっ。ま、まだ声とかスキルとか設定終わってないんだからね!」
横から画面を覗き見ると、己の理想の姿に嬉しさのあまり抱きついた麻里と真っ赤な顔でアワアワしながらも何とか引き離す詩織。危なかった。…何がって?ふわふわしてて柔らかいとかいい匂いとか、今後の人生に関わる何かが危なかった。
それでも嬉しそうに画面を覗く麻里の姿に詩織も釣られて微笑む。
画面には可愛らしい小柄な女の子が全身を見せるようにゆっくりと回っている。
ふわふわした淡いパープルピンクの髪は青いリボンでツインテールに纏め上げられており、長いまつ毛の下にあるパッチリとした大きめの瞳の色は透明感のあるターコイズ。ダークブルーの学生服と良く合っている。
これはゲームで使用するアバターだ。
シャングリラ
それはヘッドギアを装着し、アバターを通じ仮想世界で行動する国内最大の人気オンラインゲームだ。
人気の理由には、細かいアバター設定と自由度が高いことが挙げられる。
人間、獣人、エルフ等の多彩な種族に加え広大なフィールドも大まかに分けて冒険、生産、国営、学園の四つ。
冒険者になるもよし、領地運営や研究者になり引きこもるもよし、プレイヤー同士やMPCと恋人や家族になることも出来る。
その中で麻里が選んだのは学園フィールド。
無論、職種も多種多様だ。流石に学園を運営する学園長などは無理だが生徒や先生、果ては食堂のおばちゃんや用務員さんも選択できる。
服装は学生服指定が設定されている為に他の服は自由には選択出来ないが、その代わり最初に設定できるスキル数が他より多いのが特徴だ。
前々からシャングリラの楽しさを詩織から聞いていた麻里は如何しても我慢できず、お稽古を一つ増やす事で祖父以外の家族から了承を得た。祖父陥落も既に秒読み段階だ。
お互いに意見を出し合う内にあっと言う間に時間が過ぎ送迎の運転手が麻里を迎えに来る。残念ながら残りの設定は明日に持ち越しだ。
「お世話になりました。また明日学校でお会いしましょうね」
「うん、また明日ね」
車の窓から微笑み優雅に手を振る麻里に詩織も、またね〜と夕日を背にブンブン手を振りながら見送った。
しかし二人の他愛ない約束は果たされることは無かった。
帰り道、最後に麻里が覚えているのは運転手の悲鳴と、対向車線に大きくはみ出しフロントガラスいっぱいに向かって来る大型トラックだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「……って…の……に……マリー様!貴女、私の話を聞いていますの!?」
一際大きな女性の声にハッと我に返る。
前を見れば自分と同じ学生服の少女たちがマリーの行く手を遮るように立っている。
どの顔も中々の美人さん達なのだが、今は怒りの為に目を釣り上げ般若…いや迫力美人さんと言った感じである。
今の己の状況を思い出し、内心頭を抱えた。絡まれている理由として向こうの言い分では、マリーが伯爵家の子息であるリオルに色目を使っている。もう少し淑女として慎みを、日頃の言動が…云々…と、途中から脱線し説教めいたものが入っているが、そもそもリオルに色目を使うとは勘違いも甚だしい。
確かにリオルはこの学園内でもトップクラスの容姿の持ち主で、次期伯爵。物腰もスマートで女生徒に囲まれている姿は何度も目撃している。金髪碧眼のキラキラ王子様タイプなのだから無理もないと思うのだが、マリーは興味も好意も欠片も無い。だというのに色目を使っているなどとは言い掛かりだ。
嫉妬に目が曇っている女生徒相手に、さてこの場をどう切り上げようかと首を傾げたマリーの肩口に乗っていた綿菓子の様な柔らかい髪がふわりと重力に任せ落ちた。
その色は淡いパープルピンク。
未だに違和感を感じるその色に内心溜息を吐いた。
あの日、来栖麻里は交通事故で死に、次に目覚めた時にはマリー・クルスタムという貴族の娘になっていた。しかも自分の容姿はあのアバターそのものだったのである。
それなりにメンタル面は強いと自負していた麻里は鏡に映し出された自分の姿に卒倒した。
生まれてから今までのマリーと前世の麻里、二人分の記憶負荷に脳が耐えきれず3日ほど高熱で魘され、1週間ショックで引きこもりになった後、2週間目には悩んだところで何も解決しないと前向きになり、3週間目には普段と何ら変わらない生活を送れるようになっていた。
やはりメンタル面は強かったようである。
小柄な体、ぱっちりとした大きな瞳、愛らしい容姿、どれも理想そのものだ。問題どころか感謝してもしきれない。しかし素直に感謝もしきれていない。何故なら何よりも彼女を悩ませているのがーーー。
「んっもー!シェリーちゃん耳いたーい。そんな大きな声出さなくてもマリーちゃん聞こえてるんだよぉ」
大袈裟に両手で耳を押さえながら、鈴の音のような澄んだ声で文句を言う姿は保護欲を誘いとても可愛らしい。可愛らしいのだが喋り方が少々独特だ。
(この遣る瀬無い気持ちはどう表現したらよろしいのでしょうか?何と言うんでしたかしら……確かウザイ、ムカつく、でしたわね)
そう、麻里は普段と変わらず話しているつもりでもゲームの設定の影響なのか、何故か言語変換されてしまうのだ。
しかし疑問が一つ。
生前、アバターにはまだ声の設定やスキルなど未完成のままだった筈だ。なのでこの言語変換は可笑しい。やはりゲームとは関係無い似た世界なのだろうかと麻里は思うが、此処まで似るものだろうか?
取り敢えず今は目の前の事が先だと彼女らに向き合った。
「だいたい失礼な間違いだよぉ。マリーちゃんのだあい好きな人は、リオル君じゃなくってジーンセンセなんだからね!プンプン!」
(プ、プンプン?……詩織さん、助けて下さい!)
心の中で滂沱の涙を流している麻里を他所に、シェリーと呼ばれた女生徒や取り巻きたちは告げられた名前に驚愕の表情を浮かべる。
「リオル様目当てではなかったの?」
「ジ、ジーン先生?あの騎士科の。確かにリオル様も騎士科ですけど、え、ええ?ジーン先生を見ていらしたの?」
「え、あの獣人で強面の?わたくし近づくのも怖いですのに」
「ゴブリンの集団を片手で倒したとか、ならず者から悪魔と恐れられているとか、殺伐とした噂ばかりの持ち主ですわ」
「……それはまたなんと申しますか、変わ…コホン、個性的なご趣味ですわね」
怒りの形相から一転、それぞれ何かおかしな物を食べた時のような顔や、生暖かいものを見る目に早変わりしている。失礼な。
ジーン先生とは元Aランクの冒険者であり、今は騎士科の担任をしている黒狼の獣人だ。顔が狼で下は二足歩行の寡黙で落ち着いた雰囲気の持主だが、やたら目つきが悪い。
鋭い牙と鋭い目付き。一般人とは程遠いヤの付くご職業のオオオヤブンさん、といった貫禄であるが、麻里は落ち着いていて尚且つ懐の大きな大人雰囲気にコロリと落ちた。
因みに持論は男性は年齢と共に魅力を増す、だ。同学年の男子生徒など彼女にとってお子ちゃまであり、恋愛対象にもなり得ない。因みに理想は愛読書に出てくる長谷川○蔵様と小房の粂○様である。
彼女達の誤解は解けた。
何かあれば協力するわ、と好意的な目とついでに好みは人それぞれですもの、と残念な物を見る目と一緒に。
何故だか素直に喜べない和解だった。
調理室いっぱいに広がる甘い匂いと、女の子達の可愛らしい笑い声。
調理実習を終えた女生徒達が友人や恋人達へ送る為、出来上がったお菓子にラッピングをしている姿は可愛らしく眼福そのものだ。勿論シェリー達もその中の一人だ。
「マフィンの焼き色が美味しそうですわね。紅茶の香りも風味もしっかりしてますわ」
「リオル様に喜んで頂けますかしら」
「あ、私結ぶリボンを持っています」
「あら、どれも素敵なリボンばかりですわね。使っても宜しいの?ありがとう。では私はそのストライプのリボンを下さい。
そういえばマリー様は何を………。何を作っていらっしゃるの?」
エプロンを外しつつ調理台越しから見れば、マリーは何やら長方形に伸ばした黒っぽい固まりを持ってニマニマ笑っているではないか。
クラスメイト達も遠巻きに見ながらひそひそ声で話している。常日頃から貴族とは思えない言動をするマリーは注目の的なのだが、当の本人は今日も平常運転だ。正直シェリーもニマニマ笑っているマリーに声をかけるは多少躊躇われたのだが、多分きっと絶対その黒い塊を渡されるであろうジーン先生の身の安全くらい確認しておくのはクラスメイトというよりは人としての義務だろう。気は進まないものの勇気を持ってマリーに近づいて行くシェリーの勇姿に周りから賞賛の眼差しが送られる。
間近で見る黒い物体は食べ物には到底見えず、自分の顔が引きつるのが分かった。
砂糖菓子の様にふわふわして可愛らしいマリーが持つと違和感しかない。
「マ、マリー様、それは一体何ですの?」
「あ、シェリーちゃん。なになになに?これ?気になるのかなぁ。世界には和菓子ってないもんねぇ。
にゃははは。これはねぇ羊羹と言ってお豆さんとお砂糖さんたっぷりのぉ、あっまーいお菓子なんだよ。これにはぁマリーちゃんのだぁい好きの気持ちがいーっぱい詰まってるんだぁ。ジーンセンセ喜んでくれるかな。ワクワク」
「ヨウカン?材料は豆と砂糖ですか。…とりあえず中身はまともそうで安心しましたわ。
ジーン先生が喜んでくれるかは兎も角、驚いてはくれますわよ。きっと」
「ホント?わ〜いわ〜い」
「…本当に分かってるのかしら、この子」
広大な学園の敷地には男女別の寮に、ビリヤード室や乗馬等の娯楽施設、訓練用の小高い丘や森、湖までありその広さゆえ、茶色のレンガで舗装された道には定期的に移動用の馬車が出ている。
その敷地内でも四季折々の花々と緑が柔らかな芝生がある中庭は特に人気で、木陰で仮眠を取る者や写生をする者、ベンチで読書する者など生徒たちの憩いの場となり人が絶えない場所だ。
放課後にはジーンが中庭で散歩をしていることが多いと聞いていたマリーは、羊羹片手に愛しい人を捜索中である。
小柄で身軽なマリーの動きに合わせて揺れるツインテールのふわふわの髪と、ピョンピョン弾む様に移動する姿が愛玩動物に似て周りを和ませている。陰でウサギさんと呼ばれ見守られている事を知らないのは本人だけだ。
トントンと柔らかい芝生の感触を楽しみながら歩いていたマリーの耳に小さな悲鳴が聞こえてきた。
立ち止まりキョロキョロ見渡せば、右手奥の方に数人の見物人が出来ており何やら不穏な雰囲気だ。何事かと小走りで近づくと、お菓子を持ったシェリーと愉快な取り巻き達と対面するように、リオルと彼の友人達数名が向かい合っているではないか。決して和やかにお菓子を渡す雰囲気ではない事だけは分かる。首を傾げるマリーはとりあえず傍にいた栗毛の男子生徒に事情を聞くことにした。
「ねーねー栗毛君、あれどうしたの?マリーちゃん分かんないよぅ」
「へ?栗毛って僕?え、ええっと…きみはウサギ、ゲホンゲホン。マ、マリーさんだったよね?」
いきなり自分の袖口を掴んできた有名人に戸惑う男子生徒。それでも名前を確認するあたり律儀な性格のようだ。
因みににこの学園では身分に関係なく門戸を開いている事から、家名ではなく名前で呼び合う決まりになっている。
「そだよー。それよりも、教えて教えてってばー!!」
「わぁ!?わ、分かったから止めて〜!袖が伸びるから…良かった。
ええっと、今の状況?見たまま。
王子様だとか持て囃されてるけど、僕に言わせれば腹黒王子様さ。僕も同じ騎士科なんだけどさぁ、彼奴ら先生にバレないように陰で周りに当たり散らすわ、態と防具に守られてないとこ殴るわ、女性に貰った物をゴミ箱に捨てるわ……イケメンなんて滅びればいいのに。感じ悪いったらありゃしない。
今日は何か機嫌悪くて猫被りが剥がれてるんだよね。そこに運悪く女生徒達がお菓子を持ってやって来た。要は八つ当たりをされている最中さ」
「ふーん。困った君たちだねー。でもぉ…」
マリーが何事か言葉を続けるのを遮る小さな悲鳴。
突き飛ばされた女生徒達と籠から溢れ芝生の上に転がるお菓子。
彼女たちの瞳から涙が零れたのが見えた。
ーーどうか綺麗に焼けますように。美味しく出来ますように。
ーーリオル様は喜んでくれるかしら。
ーー大丈夫、これならリオル様も喜んでくれますわ。
ーーリオル様のご迷惑にならないよう、放課後に届けましょうね。
一つ一つ丁寧にラッピングしながら頬を染め楽しげに笑い合っていた姿が甦る。
仲間も男子生徒を咎めもせず一緒になって愉快そうに嘲笑う。リオルの横にいた取り巻きの一人が足元に転がっていたお菓子をぐしゃり、と踏み潰した。
ぷち。
後に栗毛君は語る。隣で何か切れた音がしたと。
何かが切れると同時に、麻里には馴染みのある、マリーとしては初めて聞く無機質な音声が頭の中で響いた。
ーー条件を満たしました。
ーー隠しスキル、発動致します。
「ひ、酷い……」
「あっれー?ゴメンな、見えなかった、、ぐがっっ」
ニヤニヤしながらシェリーを見ていた男子生徒が一瞬で視界から消えた。
その位置には正拳突きの構えを解いた麻里の姿があり、一体何が起こったか理解できない周囲の耳に呻き声が聞こえ横を見れば、かの生徒が数メートル先まで吹き飛ばされているではないか。
え?これウサギさんの仕業?
まっさかー、だってあのウサギさんだよ?腕も細いし身長だって胸のあたりまでしかないよ。無理でしょ。
でも確かクルスタム家って武家じゃ無かったか?何人も傭兵や騎士とかに有能な人材を輩出している。
ウサギさんはあそこの一人娘だよね。幼い頃から訓練とか受けてたりとか……あはは、まさかね。
ひそひそ声で噂する周囲を他所に麻里は艶やかに微笑み腰を落とし謝罪をする。
「あら?見えなかったですわ。申し訳ございません。
…しかし情けないにも程がありますわね。貴方がたは一体何を学ばれているので?ああ、か弱く非力な女性に己が力を誇示しろとでも教わりましたか?
それはそれは大変ご立派なことですね」
あからさまな挑発に若い男子生徒たちはいきり立ち、頭に血が上った二人が麻里に手を上げる。上がる悲鳴と止めようと動き出す者たち、そして
正当防衛ですわね、と小さく呟いた麻里。
次の瞬間、
襲いかかる男子生徒に向かい伸び上がる様に突き出した掌底が顎を取らえる。軽い脳震盪を起こした体はその場で崩れ落ちた。続く動作で倒した相手の体を踏み台にし飛んだ勢いのまま、もう一人の男子生徒を回し蹴りで沈める。
そのまま体重を感じさせない足音で軽く地面に着地すると、何事も無かったかのように乱れたスカートの裾を手で優雅に直す。
そしてリオルへと視線を向け歩き始めた。
え、マジで?
その場にいた全員の心からの言葉だろう。
騎士課の中でも上位にいる筈の者たちがあっさり倒されたのだ。しかも小柄な女生徒ただ一人によって。
リオルに向かい静かに歩く姿は気品にあふれ、誰一人その歩みを止める者はいない。
高貴な姿に気圧されるリオルが緊張で乾い唇を開いた。
「……わ、私は何もしていないぞ。第一君には関係な…」
「関係はありますわ、シェリー様たちはわたくしの友人ですもの。
それにしてもご自覚はありましたのね。貴方の言われた通り、リオル様は何もしていませんわ。彼女たちが押されて倒された時も菓子が踏まれた時も。
ああ、勘違いされている様ですが何もしていないは免罪符ではありません、同罪なのですよ。寧ろ当事者のリオル様は彼らを止めるべき立場だったのです。もう今更ですが」
スッパリと断罪したマリーの態度に懐柔が失敗に終った事を悟ったリオルは、とっさの判断で小柄なマリーの体を押さえつけようと、手を伸ばした先で見たものは、マリーが空中で右足を大きく上げた姿。
数々の暴漢たちを沈めてきた踵落としが衝撃と共にリオルの意識を刈り取った。
「マ、マリー様…」
「シェリー様も皆様も大丈夫ですか」
はい、と反射的に答えた起こしてもらったシェリーらだが頭の中はパニック状態だ。お菓子を踏み潰された事は確かにショックだったが、今は正直どうでもいい。今はマリーだ。確かにマリーは常識はあるが、貴族にあるまじき言動を繰り返していた。殆どの生徒は愛玩動物にも似たマリー好意的だったが一部では貴族らしく無いと非難の声もある。
しかし今はどうだろう。
聞き惚れる様な声と柔らかな口調。洗練された物腰はきっと王族にも引けは取らない。何より愛らしい見た目と清廉な雰囲気は見るものの目を引きつけ止まず、まるで妖精だ。
マリーはシェリーたちの無事を確認すると、落ちた菓子を全て籠に拾う。そのまま止める間もなく、はくりと一口。
落ちた物を、と周りが慌てる中で一人平然としながら、
「芝生の上ですから大丈夫ですよ………とても美味しいですね。これは頂いても宜しいですか?」
ふわりと優しい微笑みにシェリー達はだけでなく周りも釘付けになる。
いや、そんな地面に落ちたお菓子なんか貴女様に食べさせられませんから!心からの叫びとは裏腹に首が勝手にカクカク縦に振るシェリー達。
「ありがとうございます。大切にたべますね。皆様もお身体は大丈夫ですわね?
さて、わたくしはこの方達を保健室まで、」
「その必要はない」
「やれやれ此奴らにはまた一から鍛え直しじゃのう」
「ジーン先生、バロック先生…」
振り向けばいつの間にいたのか、マリーの愛おしいジーンと、もう一人の騎士科担当のバロック老が眉間にしわを寄せ立っていた。
元冒険者のジーンは型にとらわれない自由な戦い方やモンスターの生態を、騎士団副長を勤めていたバロックは定年後教師になり騎士の心得や作法を教えている。
教師たち、特に騎士の心得を教えているバロックにしてみれば、あり得ない、の一言だ。
女生徒に暴言、乱暴を行った挙句に小柄な女生徒一人に手も足も出ず気絶させられたのだから。
バロックは溜息を吐きつつも見物人に保健室へと運ぶよう指示を出し、シェリー達に監督不行き届きだと詫びを入れ、そのまま彼らに付いていった。
残ったジーンも謝罪し事後処理が終わると、その場でマリーに今後の事を伝える。
「彼奴らはバロック老から騎士の心得を骨の髄まで叩き込まれる。その後は俺の仕事だがな。
お前はお咎めなしだ。寧ろ良くやった。お前が出なければ俺たちが出ていた。
彼奴らも女生徒に暴言を吐いた挙句に、数人がかりにもかかわらず一人の女生徒に伸された等、広めたくはない醜聞だろうな…。
しかし目撃者がこれだけいるのか。…少し遅いか。これも人生経験特として諦めてもらうとしよう」
口の端しを上げ意地悪く笑う姿は傍目から見れば、神に祈る時間は終わりだ。覚悟は出来たか?的な悪役顏にしか見えない表情に周囲は震え上がり顔を青ざめさせているが、マリーの目には優しく微笑んでいるイケメンの姿にしか見えない。
(素敵過ぎますわ!!)
「キャイ〜ン♫ジンセンセってば、ちょーカックイイー!!マリーちゃんのだあぃすきを受け取るのだぁ〜」
感極まったマリーがポケットに入れていた羊羹をジーンの口に突っ込むという暴挙に全員ムンク化し固まった。物音一つしない静寂の中、ジーンの咀嚼音だけが聞こえる。ジーンは羊羹を一気に飲み込むと目元を緩ませた。
「…ムグ……美味いな。もう少し甘い方が俺好みだが」
「ホントにウマウマ?にゃはははマリーちゃん照れちゃうよ。ジーンセンセは甘党さんなんだね。じゃ甘〜く煮た栗さん入れた栗羊羹なんかどかな、どかな?」
「…くり、ようかん?この菓子の名か。 美味そうだな」
「でしょでしょ♫マリーちゃんってば、ちょーハイスピードで作って来るから一緒にお茶しようね!」
「…お茶はいいが、しかし…………いない…」
ジーンの前に居たマリーの姿は既に消えており、羊羹と引き換えに捕獲した魔法科先生を引っ張りながら調理室に駆け足で向かう姿が確認された。その後、一時間後には疲労困憊で保健室で眠る一人の教師と、休憩室でジーンとお茶をするマリーの姿があった。
朝日を浴び、教室に向かう出たマリーの顔は緩みまくっていた。
憧れのジーンとお茶だけでなく、次の約束まで取り付けたのだ。
ジーンの目元が緩み無言で食べていた姿を思い出し悶える。
(これが詩織さんの言っていた萌え、と言う感覚ですのね。貴方がゲームのヒーローの名前を叫びながら奇行に走っていた気持ち、今ならわかる気がしますわ)
今は遠い友人を思いつつも、次回のお茶会に向けてメニューを作成中だ。
(次はお汁粉やあんみつ、抹茶アイスも美味しそうですわね。……あら?)
「あ、あの……マリー様。今日のお昼ご一緒しませんか」
教室の前で待っていたシェリー達に呼び止められたマリーは、お昼の誘いに目を輝かせる。
「いいのー?嬉しいにゃん。あ、でもでもマリーちゃんお弁当ないんだぁ。食堂でいいかな、かな?」
「い、いえ。その…昨日のお礼と言う訳ではないのですが、マリー様の分もありますわ」
「ホントー?え、シェリーちゃん達の手作り?うっわ〜!玉子さんや甘辛い牛さんと野菜の具沢山サンドイッチにぃ、ハムとしっとりポテトにマリーちゃんの好きな唐揚げさんも?すっご〜い!シェリーちゃん達は可愛くて料理も出来るなんてマリーちゃん尊敬するよぉ〜」
「ーーっ!」
しどろもどろにお礼を言った後、再度約束を取り付けシェリー達は真っ赤な顔で教室へと足早に向かう。
彼女達の後ろで笑顔で手を振りながら、ふっとデジャブを覚えた。
(…………あら?この状況は昔と変わらないのではないかしら)
◇◇◇◇◇◇◇
麻里が帰った後も続いていたパチパチとリズミカルなタイピングの音が漸く止み、詩織は椅子の上で大きく背伸びをした。
ポキポキと鳴る体に柔軟体操でもするかなぁ、とその場限りの目標を立てながらほぼ入力し終えた麻里のアバターを確認する。
画面には麻里のアバターが、
『もぉ〜怒っちゃうんだからね、プンプン』
『うれしいにゃん♫』
と、ツインテールを揺らしながら喋る人気声優の萌え声は、アバターの容姿と凄く合っている。
しかし中身は超お嬢様の麻里を想像しぷっ、と吹き出した。
明日また家に来る麻里の為に声やスキルを簡単に入力しようと始めたら物凄く熱が入ってしまった。この馬鹿っぽい口調がロリロリアバターとよく合ってると思うのだが、しかし残念だがきっと明日には変更を余儀無くされるだろう。…本当に残念だ。
このゲームには基本HPやMPの他にはスキルしか存在しない。
種族や職種にもよるが、ある程度スキルは後から取得する事が出来る。しかし始めから有るのと無いのとではゲームの進行に大きく違ってくる。
その為学園でプレイする麻里の為に速読や速記など役に立ちそうなスキルを設定していた。
「…あ、絶対記憶能力もいいな。はぁ、あたしもこれが現実であったらなー。テストなんか楽勝なのに」
二日後の小テストを意識の隅に追いやり現実逃避するかの様に勢い良く入力していた手がピタリとまた止まる。
隠しスキルの欄だ。
隠しスキルとは通常のスキルと違い、条件を満たした時に発動する特殊なスキルだ。それ故に発動した時には大きな効果をもたらすものが多い。
その数ある中でも詩織が特に注目したスキルがある。
【マインドチェンジ】
一定以上の感情の高ぶりの時、アバターでは無くプレイヤー自身が出てくる。
アバターには声優の声や口調、仕草性格など細かく設定している者も数多い。
しかしこのスキルが発動してしまうと例えば、老人が操作する麗しいエルフ美男子のアバターがいきなり杖をつき歯が無いようなふがふがとした話し方を始めたり、女子高生が操作する冷静沈着渋い侍のアバターが急にキャアァァ!と野太い声で悲鳴をあげつつ涙目でプルプル震えたりするのだ。完全なネタスキルである、が。それを見た詩織はこれだっ!と確信した。
一般家庭に憧れる麻里は、アバターも容姿以外は口調や行動、家庭環境まで全て一般平均を希望しているが、麻里はセレブ感漂う優雅な仕草も上品な言葉も清廉な雰囲気もフェミニストな性格もどれも本っとに素敵なのだ。
勿体無い。このアバターも可愛いが本人はもっと魅力的なのだ。
このスキルをセットしておけば更に素敵なアバターになること間違いなし!思わずニンマリするのはしょうがない。麻里が機械オンチで助かった。本人に言わなければバレないし。
「あ、このスキルも面白そう。んーこっちのは微妙だなぁ。……あ〜、これはいい!うふふふふふ」
薄暗くなっていく自室で女子高生にあるまじき不気味に笑い、詩織はまた画面に向かう。
パチパチとリズミカルな音はまだ止まりそうな気配は無い。




