美の独裁
テディベアの友達を作ったあとは、同じような日々ばかりが続いた。変化がなかったわけじゃない。むしろ変化ばかりが起きていた。変化だけが続いていくから、同じ、ということなのだ。
余命が尽きるまでの自由時間を、あたしは理想郷の制作に使うことにした。理想郷というのは、あたしが三歳の時に描いた「こういう街だったら住んでみたいな」を具現化させたもので、車も走っていない、テレビも携帯もない非現代的な世界のことを指す。ファンタジーの世界と言えば分かりやすいかもしれない。スマートフォンのゲームアプリは、よくこんな世界が舞台になる。車は馬となり、サラリーマンは農民となる。まさに空想世界の王国だ。作っているのはあたしだから、あたしにはここの女王様になる権利がある。でも、それはさすがに責任が重すぎるから、もっと有能な人にトップをやってもらおう。容姿端麗。身体はスマート。結婚のターゲットにはならないけれど、眺める分には十分な男性。
最初に生み出したテディベアとは仲良くやっている。彼(一応オスなのだ)はあたしが知能を与えて、徐々に物事を自然に覚えるように組み込んである。まるで人工知能のように。もうテディベアはあたしなしでも成長しているの。
「ねぇ、何を考えているの?」
右横にいるテディベアが、あたしに向かって訊いてきた。あたしとテディベアはいま、城内のある一室にいる。あたしは優雅に紅茶をすすって、良さの分からない味を感じている。テディベアは椅子に座らないで、あたしのことをじっくりと眺めている。
「何も」
あたしはそう言った。あえてそう言ってみた。
「何も、ってことはないだろう」
「本当に、何もよ」
「何も?」
「『何も』」あたしは強調した。
「ふうん」彼は興味をなくしたようだった。
あたしはまた紅茶をすすった。視線の先には大きな鏡がある。あたしの冷静な表情がある。
「あのさ」
テディベアの声。
「何?」
あたし。
「ずっと……訊きたかったことなんだけど」
「変な話なら聞きたくない」
「いや、聞いてよ」
今度は違うことを言った。「いいわよ、話してみて」
彼は口をもごもごさせながら、独り言のように呟いた。
「どうして、こんな国をつくったんだい?」
あたしはカップを口に入れる手を止めた。口に酸素を一度入れた。
「どういう意味?」
「だから…… どうしてこんな国を……」
言いかけて、彼は途中で黙り込んだ。「やっぱり、いいよ。どうやら怒ってるみたいだから」
まるで英文を訳したときのような言葉遣いだ。彼はいつもそんな不自然な日本語の使い方をする。あたしはカップを背後にある木のテーブルに置いて、テディベアの方へ振り返ると同時に言った。
「怒ってなんかいないわよ。ただ、おかしいなと思っただけ」
「えっ、おかしい……?」
あたしは目を細め、そのまま口角を上げた。「あなたがそんなことを言うなんて。今までそんなこと訊いたことがなかったから」
「いいじゃないか、たまには別に」彼は少し焦っているようだった。「僕だって疑問には思うさ」
「なんで疑問に思ったの?」あたしはすぐに返した。「どうして?」
彼の焦りが徐々に大きくなりはじめた。短足を小鹿のように震わせている。それを見るのが楽しくてあたしはにやけそうになった。
あたしの表情が怖かったのか、彼はそのあと何も言わずに黙り込んだ。振り返ってあたしはもう一度カップを手に取り、それから一口すすった。ざらざらした紅茶の成分が、あたしの舌に染みつくようにして停滞した。
カレンダーにペンで印をつけて、今日が何日目かを確認した。
別にそれはいちいち確認しなくてもわかっていることだった。最初にここへ来てから今日まで何日経ったのかは、あたしにとって(そしてこの世界にとって)至極重要なことだし、絶対に忘れてはならないものでもあった。あたしが消えれば、それはこの世界の消滅を意味する。そのことは確実なことではなくて、あたしが勝手に自分で立てた仮説なのだけど。実際のところ、あたしの死がこの世界の存在とリンクしているのか、はたまたそうではないのか、よく分からずにいる。奴――自由の評論家はそれを教えてはくれなかった。呼べばきっと答えてくれるだろうけど、知ったらそれはそれで怖くなるような気がしていたので、無理に訊かないようにしていた。心臓にあまり負担はかけたくはない。
今日で…… 二十五日になる。きっと間違えてはいないと思う。あと数日もすれば一か月。この二十五日の間、あたしは自分の思うままに家を建て、森を生み、人々に命を与え、法律や軍を作っていった。あたしはもちろん国造りの専門家ではないし、これで正解なのかどうかは正直不安ではあるけれど、みんなが自分のことを慕ってくれていて、あたしの存在を尊いものだと想ってくれるなら後は適当でもよかった。
物語の主役を演じるというよりかは、脚本家になっているような気分だった。でも本当の脚本家と違って、誰かに見せることを前提としているわけではないから、息詰まったり、迷走したりすることがなかった。いい喩えか自信がないけれど、止まらずに流れる河のような感じだった。美麗で澄んだ自由の河を、あたしは自分の感情に任せるがまま、キャンバスにユートピアを描いていく。あたしと自分の感情が丁度切り離されているような感覚なの。それは不思議な感覚でもあり、同時に怖いことでもあった。理由は誰も止めてはくれないから。制止する障害がないことは自由の最大の利点なのだけど、それもやがては限界が来てしまう。完全な自由でも、やがては制約が出てきてしまうの。その証拠にあたしは縛られたいという感情に時々駆られることがある。難しい話、そう自由を阻害する感情――不自由を別の言葉で言い換えたメタファーは、摂理でもあり、事象でもある。逃れられない法則のようなもの。重力、生死、沸点と融点、光速。
「光速」
あたしはその言葉を口にした。もちろん独り言だ。考えついでに、つい口に出してしまったのだ。でもそれを丁度横にいたテディベアが聞いてしまっていた。彼はその時、宝石が多く埋め込まれた、高級そうな本を読んでいた。この本はあたしが生み出したものじゃないからどんな内容の本なのかは分からないけれど、とにかく彼はその言葉を聞き入れてしまっていた。
「こうそく?」彼は案の定あたしに尋ねてきた。
「読んでなさいよ。集中してない証拠よ」
「そうだよ」彼は即答した。「この本はレオナルド・ダ・ヴィンチが書いた有名な本でね、いま僕はこれを読めるようになろうと勉強中なんだ」
「レオナルド・ダ・ヴィンチ……聞いたことはあるわ。どういう人なのかは知らないけど」
「教養がないなぁ、君も」
「うるさい、悪口を言うのはやめて。あたしを誰だと思ってるの?」
「ふふっ……ごめんね。ただの冗談だよ。僕は君を愚かな人間だとは思ってないよ」
あたしは目を細くして猛獣のように彼を睨み付けた。心の中は嫌な混濁が色濃く渦巻いていた。
「そんな睨むなよ」彼は穏やかに言った。「僕を敵視しだしたら、君は一体だれを信用するようになるんだ」
「敵視なんかしてないわよ」あたしは目を閉じた。「誰も信用してない……わけでもない」
「してるんだよ」テディベアは急に冷静な口調になった。「自分で気づいてないのだとしたら、言葉は悪いけど、ちょっと鈍感すぎるよ。君はこの世界を手にした瞬間から……変わり始めた。それも悪い方向に。よくも分からない強大な力を私欲のためばかりに使って、絵に描いたような独裁を達成している。そんなことを本当に君は望んでたの? これが君の選んだ理想なの?」
「うるさい!」
あたしはペンを彼に投げつけた。
「私欲や理想なんて最初からもってないわ! 私は残り少ない人生を『自由』に過ごしたいだけ! 別にいいでしょ。あたしはもうすぐで死ぬんだから。もう、この世から消えてなくなっちゃうんだから……」
あたしはそのまま床に崩れ落ちた。同時に涙が数滴こぼれた。もうたくさんという気になって、落ちる涙は止まらなくなった。
「ごめん」彼はそっと言ってきた。「心配だったんだ。君のことが。このままじゃ君は暴走してしまうんじゃないかと思ったんだ。でも、もういいよ。君が……苦しんでいることが分かったから。ごめん」
床に小さな水溜りができ、あたしは何も言えずに、震えながら慟哭していた。
沈黙が続いて、風があたしと彼の間をかけぬけて、自分が何者か一瞬忘れてしまって。また自分の記憶に舞い戻って。
あたしは何を手に入れたんだろうか。あたしは何を望んでいたのだろうか。あたしは何を願っていたのだろうか。あたしは本当に「自由」なのだろうか。
「ちょっと……下がってて」あたしは言葉もとぎれとぎれに言った。「一人に……なりたいの。独りに」
テディベアは小さく何かを呟いたあと、足音をたてて、ドアの方へ向かっていった。ドアの開く音、閉まる音。足音は消えて、あたしはようやくひとりになった。
自分が何かを達成したという気にはなっていなかった。それは神様に誓っても本当のことだといえた。タイムリミットを自由に過ごしたい、終末の霧を払いたいという思いだけがあたしの中にあった。それをやり過ぎて傍から見れば、独裁者ともとれる振る舞いをしていたことも確かにあった。だけど、あたしには独裁を行えるだけの権限があると思っていたし、誰にも文句を言わせないというおごった気分に浸ることも許されると考えていた。だってここはあたしが創出した国なんだから。あたしの想像で生み出された世界なんだから。気を使う必要はまったくないでしょう。
こうして泣いている間にも、あたしが生きられる時間は刻一刻と少なくなっている。それでも、あたしは泣き続けていた。あたしは……喚き続けていた。