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どうせ、自由。  作者: 劉之介
第二章 余命一ヶ月の自由
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光の友達

 明日なんか来なければいいのに。

 病気になったことを家族に告げられて、あたしがまず思ったことはそれだった。

「明日なんか……」

 来なければいいのだ。

明日――彼はいつもあたしの部屋のドアをノックして、鍵がかかっていても入ろうとしてきて、あたしと話をしてこようとするのだ。じゃあそれならと、あたしが居留守を使ったとしてもやっぱりダメで、今度はあたしの携帯に電話をしてきて、うるさい音を部屋中に響かせてくる。あたしが出るまで、彼はずっと電話をかけ続ける。サイレントにしてもダメなの。どんな仕組みを利用してるのか知らないけれど、彼が通話を試みるときだけは、なぜかあたしの携帯って消音を忘れてしまうの。だから、仕方なくあたしはいつも根負けして、携帯を取ってしまう。その繰り返し。病気になる前はそんなことなんてなかったのに…… いらっしゃい、と快くドアを開けて、彼を向かい入れていたのに……。

そして、そして、そして……「こんにちは」。

 あたしは周りの景色を見渡した。願っていた場所がそこには広がっていた。

 黒。地平線から天頂までは夜の空。

 白。足元から地平線までは昼の地。

 誰もいないことは少し寂しかった。それはあたしが求めていたことではないから。でもその代り、寂しいことなんてどうでも良くなるくらいのことが起こったからあまり気にはしていない。

 明日がやってこないことだ。

 あたしはこの場所で、最期の短い時間を明日ではなく、自由と共に過ごすことが出来るようになったのだ。あたしをここに連れてきた超能力者は確かに、延命を約束した。何もかもが怪しくて、まだ奴を疑っているところはあるけれど、あたしは今のところ奴を信じてみるという道を進んでいる。それは、奴の風貌や身なりがぼろかったというのもあるし(紳士的な恰好だったら裏がありそうな予感がするのだ)あたし自身がひどく疲れていたというところもある。もう、藁をも掴む思いだったのだ。誰でもいいから、あたしを突然連れて行って、豊かな国へ、永遠の命が手に居られる所へ、連れて行ってほしいと……。

「もっとイケメンの方が良かったか?」

 急に声がして、あたしは思わず本当に飛び上がった。声は上の方から聞こえてくる。あたしは黒い空を見上げた。

「俺だよ。超能力者だ」

 頭の中の判断をつかさどる部分が目を覚まして、あたしは驚きから解放された。早くも安心がこみ上げてきていた。

「礼を言わなくちゃね。ありがとう」

「別に。お前にとっての園を提供してやっただけだ」

 園。またも変なことを言う。

「変なことじゃない。本当のことを言っているだけだ」

「変よ。普通でさえ可笑しいのに、あなたみたいな風貌の人が言うとなおさら目立ってくるわ」

「そうか……」気にしているようだった。

「まぁ、いい。とりあえず、ここでのルールを説明する」

 ルール? 一体なんだろう。あたしは少し不安になった。

「ここではお前さんの思い通りのことが出来る。好きな物を思い浮かべればその通りの物が出て来るし、仲間が欲しいと思えば、人間や動物の仲間が大勢出来る。ようは夢の国だ。お前さんも子ども時代に思ったことがあるだろう。そういう魔法を。手にしてみたいと」

「確かに、思ったかもね」

「どうだ、実際に手にしてみて」奴の声が笑った。

「どうって……」

「何も思わないのか」

「何も思わないわけじゃないけど」あたしはここで自分の考えを整理して言葉にのせた。心の中が見えるなら、奴のほうからあたしの気持ちを汲み取ってくれればいいのにと思った。

「『困惑』、してる」

「だろうな」

「分かってたんなら、最初から聞かないでよ」

「お前さんの口から聴きたかった」奴はそのあとに続く言葉を濁すように言った。

 あたしは状況の意味も分からず、考え込んだ。そして、奴の言ったことを頭の中で繰り返した。好きな物を思い浮かべればその通りの物が出て来るし、仲間が欲しいと思えば、人間や動物の仲間が大勢出来る。

 反復し、また思考の海に入り込んでいった。奴の言ったことを一言でまとめるならば…… あたしはつまり……

「そうだ、神だ」

 結論を浮かべる前に天の声が先に言った。そして、あたしの言葉を待つまでもなく語りが続いた。

「人間が生きる上で目指すものというのは、大抵数種類の名がつくモノに分けられる。夢、希望、目標、安定、幸福、そして自由。無論例外もあるが、大概はこのようなものを人間はゴール地点に設置して、自分の力量がそれに届くかの勝負をする。時にはその勝負を棄権してしまう奴もいるが俺はそういう奴を人間だとは思っていない。ゴールのない人生に、どんな意味があるのだというのか。いや、ない」

「要するに何が言いたいのよ」

 奴は咳払い(たぶんわざとだろう)をして続けた。「話を少し変える。実はいま俺が提示した六種類のゴールの中で最もたどり着くのが難しいものが存在する。言わなくても分かるだろう…… 『自由』だ。自由は人間にとって最高の到達点であり、これに到達したものは少ないといえる。いや…… 少ないどころか、全くいないのかもしれないな」

「ちょっと待って」あたしは首を傾けながら、天に向かって叫んだ。「夢ならまだしも、自由なんて人それぞれに感じ方が違うじゃない。一人で過ごしているからと言って、自由だと思う人とそうでない人がいるわけだし。断定的にあなたの基準で自由を決めつけるのはいけないことだと思う」

「青い」

「何よ、それ」

「俺は自らの基準で、自由という神聖なものを語っている。お前が反論するような理屈の話じゃない。黙って俺の話が聞けないのなら、結を先に言ってやろう。つまり自由というのは、人間が生という営みをしている限り、到底たどりつくことは出来ない境地なのだ。勉強をし、趣味を楽しみ、仕事をし、恋愛をし、やがては結婚をする。結婚や仕事をしなくても、何かしら縛られているものがある。他人、時間、プライド。結局生きるということは、何かに縛られているということと同義なのだ。生きるということは自由を手放すということ。棄権するということ。分かるか」

「何となく……。自由を掴むためには、人間をまず止めなきゃいけないということ?」

「人間をやめる……死ねと言っているわけじゃない」奴は続けた。「死んだらどうなるのかは、超能力者である俺でもわからないことだ。だから死んだら自由になる、ということは断言できない。だから、俺は逆転ともいえる発想をしたんだ」

「それは分かるわ。あたしのことを言ってるんでしょ?」

「その通りだ。当事者である人間をいじるのではなく、その人間を不自由たらしめている周りを何とかしようと俺は思ったんだ。当事者の人間に神の力を噛ませ、思い通りにその力が発揮できる場所で、自由を感じてもらおうと思ったんだ。そう…… そして、その当事者というのがお前と、もう一人だ。自由は擬似体験できるものじゃない。疑似体験ができた時点でそれはもう自由ということだからな。0と10しかないんだ」

 徐々に早口になっていく奴に対して、あたしは何を返していいのか分からなくなった。

 奴の言葉は終わりを忘れたようだった。

「それはまさにアークのようなものだ。自分の中でもがき苦しめる場所と完全なる隔離をめざし、新天地に赴く。そのための箱舟を造る。人類に課せられた永遠のテーゼのようなものだ。それをついに俺は叶えることができたんだ! 現世のいかなる災厄が起きても崩れない、鉄壁の方程式を。俺はこの手で導きだしたのだ!」

 今の彼を誰が止めることが出来るだろうか。表情は見えないが、人格が変わってしまっているのは嫌でも分かる。よほど嬉しいんだろう。あたしはもう奴の話に耳を傾けるのを止めて、これからの「自由」についてゆっくり考えてみることにした。もう説教もされたくないし、自慢話も聴きたくなかった。あたしに与えられた時間は僅かなのだ。この自由は永遠ではないもの。奴は自由には0と10しかないと断言してたけど、ここは奴の言っているような10の自由世界ではないと思う。

 奴の反論が聞こえてこない――もうあたしは独りなのだ。誰の声も聞こえてこない。それは奴の声だけじゃなくて、みんなの声もそうだということ。家族の声も、友達の声も……。

 死の声も聞こえてはこない。だから、実際孤独なことが良いのか悪いのか判断がつかない自分がいる。考えすぎているから、こういうことが起きるのかもしれない。辿りすぎているから、あんなことが起きたのかもしれない。

 ここのルールをもう一度噛みしめてみる。好きな物を思い浮かべればその通りの物が出て来るし、仲間が欲しいと思えば、人間や動物の仲間が大勢出来る。孤独からの脱却だ。あたしは自分の力で、孤独からいとも簡単に脱出することが出来るのだ。

 あたしは試しに、友達よ出てこい、と念じてみた。幼少のころに、同じ言葉で魔法を使ってみたことがあるのだ。もちろん、それは本当の魔法ではないのだけれど。……だけど今なら、本当の魔法を出せるのかもしれない。

 何も起きない。でもあたしはがっかりすることなく、今度は口に出して言ってみた。まるで呪文を唱えるように、棒読みで。

「友達よ、出てこい」

 すると、目の前に光が現れた。あたしはあまり驚くことなく、その光を凝視した。光の、塊みたいなものだ。でも硬くはなさそう、やわらかくもなさそうだけれど。

 光は僅かな時間で、ある立体形の「何か」を形成し始めた。その「何か」が何なのかは呪文を口にしたあたしでも分からなかった。だけど、身体に溜まる不安は少なかった。

 そして……完成。「ありがとう」とあたしはなぜかお礼を述べた。物を見たのはその後だった。あたしは母の微笑みみたいにゆっくりと暖かさを抱いた。

 眼前には、テディベアが置かれていた。茶色い毛の、冬のフランスのショーウィンドウに置かれてあるような何の変哲もない熊のぬいぐるみだった。あたしは白い地面に現れたクマを優しく拾い上げた。おもちゃだという実感はあまりなかった。

「ありがとう……」あたしは再びお礼を言った。また身体が暖かくなった。

 余命は残り一ヶ月。ここにいることで期間は延びたけれど、時から見たら、所詮は変わりのない一ヶ月になるのかもしれない。浦島太郎みたいなものだ。同じ一ヶ月でもここでは時間の流れが違うのだ。誰に教えてもらったわけではないけれど、きっとそうなのだ。

 余命一ヶ月の自由。これはあたしと自由の死を待つまでの一ヶ月間。あたしは自由と一緒に生きて、自由と一緒に死んでゆく……。

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