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どうせ、自由。  作者: 劉之介
第一章 恋おわり、今は自由。
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もう、二度。

 夢なら忘れてしまいたかった。それが悪夢ならなおさらだ。でも残念ながら、僕の記憶からあの老人のイメージは抜けていなかった。起き上がった時には、僕はまだ激痛とその記憶を両手に抱えたままだった。

 左横の腹を押さえながら僕は、辺りを見渡した。

 そこには大量のごみがあった。ごみ袋がいくつも積まれている。周りはコンクリートの壁と、砂利の地面。どうやら僕は廃墟となった建物の中にいるらしかった。おそらくあの老人の住居だろうと僕は思った。

 綺麗なのは僕が寝ていたベッドだけだった。汚れがなく、しわも少ない。それでも僕は、いつも奴が寝るのに使っているんだろうと想像し、気味悪がった。

 逃げ出そう、次に僕はそう考えた。ここが本当に奴の住居かは分からないが、そうであってもなくとも逃げ出す必要がある。僕は完全に「誘拐」されているのだ。逃げて、助けを呼ぶ必要があるだろう。いや、その前に、警察に電話をしたほうがいいのかもしれないな。僕は自分の携帯を探した。ジーンズのポケットに入れたつもりなのだが、残念ながらそこにはなかった。やはり、そんなうまいこと行くはずがない、ということだろう。

 僕は仕方なくベッドから這い出て、逃走を開始しようとし、靴もとられたことを悟った。だが、そんなことは構わないと思い、結局僕は裸足のまま、砂利道を行くことにした。不思議と緊張はしていなかった。

 痛くて走れないので、早歩きが精一杯だった。公園にあった足つぼの道を思い出し、あれと同じようなもんだと自分に言い聞かせた。しかし、言い聞かせたところで痛いものは痛いのだった。廃墟を進み、時折やってくる小さな絶望に心はえぐられるのだった。

 誘拐犯が僕の予想通り本当に老人だとしたら、僕はあの超能力によって洗脳されていたのかもしれないと思った。奴の超能力を本当に信用したわけではないが、足が折れていないのにも関わらず立てなかったというのは、僕にはトリックが見破れないというか、超能力くらいしか納得できる理由が見つからない気がした。老人は確かに僕に触れていなかったし、僕の心を読み取る力も持っていた。テレビによく出てくる、メンタリストの達人なのだろうか。あの老人と、メンタリスト…… 結構おかしい感じもする。 

 廃墟の中は意外に広く何度も袋小路に入ったが、来た道を正確に覚えていたので、焦ることはほとんどなかった。その代わりに、奴の息と同じくさい臭いが鼻に無許可で入ってきて、僕は何度も吐きそうになった。こう何度も一日で吐いていては、体中の水分が持たない。

 ここまで誘拐犯に出くわさないのが奇跡だと思った。僕は脳を活動させながら早歩きを続け、ようやく光が差し込んでいる空間を発見した。出口の発見もそうだが、何よりも夜中でなかったことが一番の救いだった。

 僕は足に刺さる砂利の痛みも忘れ、夢中で駆け出した。ごみの異臭を吹き飛ばすように、僕は二本の脚を懸命に動かした。

 しかし……(もしくはやはり)そんなうまくいくはずがなかった。僕は腕と脚を動かすのを止め、急にその場に立ち尽くした。出口の隣に、「例の奴」が煙草を吸いながら胡坐をかいて座っていたのだった。

 僕は息をのんだ。すぐに、先ほどまで消えていた緊張が心に覆いかぶさってきた。

「よぉ!」

 超能力者は僕を認めると、友人と再会したかのように軽快な挨拶をした。

 僕はもちろん黙っていた。

 奴は鼻息を僕にかけると腕時計(ずいぶんと不釣合いだ)をちらと見て、それから一人ごとのように言った。「三分五十二秒…… だいたい四分だな。随分と早いじゃないか」

 奴は僕にそう言うと、僕の反応を待たずに続けた。「起きてから、ここに来るまでの時間だ。寝起きにしては冷静な判断ができている」

 僕は奴の言葉を理解し――三回目の嘔吐をしそうだ――ひどく心を握られた気持ちになった。奴は最初から僕の行動を見ていたのだ。僕の起床から今まで、僕を弄ぶように様子をうかがって。恐らく、監視カメラでも使っていたのだろう。

「超能力だよ」

 奴は言った。僕のほうに顔を向けて、僕の思考を遮って……。

「超能力だよ」

 奴はもう一度言って、それから自慢げに嗤った。

 もう、頭が混乱していた。予期せぬ出来事が次々に起こりすぎて、この場で卒倒してしまいそうになった。意識を失えたらどれだけいいか……。僕は今日だけで二回も意識を失っている。二回もやったのだから三回目くらいいいだろう。嘔吐するくらいなら、そっちの方がよっぽどいい。

「逃げるな」

 僕は首をすくめた。奴が言っている。

「もう、逃げられないんだ。お前は」

 心の中を読み取り、浮浪者は立ち上がって僕に近づいてきた。獲物を狙う肥えたブルドッグのように、ゆっくりゆっくりと…… そんな奴の姿に、僕は自分の命の危機を感じた。奴の何物にも恐れない冷酷な目を見ていると、人殺しですら簡単にやってのけてしまうような気がしてくる。こんな人気のない場所で、気の狂った奴に向かって果たして日本国憲法が通用するのかどうか。僕は胸にくる嘔吐物を胃に押し込み、逃げる準備をした。

奴に集る蠅の羽音が僕の耳にも届いてくる。心の中でカウントダウンを行った。十、九、八、七…… 逃げるための秒読みだ。多分、最初で最後のチャンスになるだろう。

「逃げられない、逃げられないんだ」

 超能力者がぶつぶつと発している。僕に向けられたその早口が呪文のようにも聞こえた。聞けば聞くほど不幸になっていくような、そんな危機感が本能でやってくる。そんな独特な不快感がしている。

 四、三、二…… 僕は心のタイマーを慌てて止め、カウントダウンをリセットした。逃げ出すのはまだ早い。もう少し奴を引きつけてからだ。

 羽音がだんだんと大きくなる。僕の鼓動も徐々に高まってくる。何か不思議な力が僕の中に溜まってくる。

 八、七、六……さようなら、哀れな浮浪者よ。

 五、四、三……さようなら、狂気の超能力者よ。

 もう、二度と会うことはないだろう。

「さようなら」

 僕は静かにそう言うと、奴に横をすり抜け、目をつむりながら駆けだした。偏西風を切って、蠅の群れを掃い除けて、出口の方へ疾走した。

 途端に光が全身を包んで、僕の身体は温かくなった。

そして、僕の自由はここから始まった。

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