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どうせ、自由。  作者: 劉之介
第一章 恋おわり、今は自由。
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そして、嗚咽。

 僕が風邪をひいている間に、彼女はいなくなっていた。

 いや、厳密に言えばいなくなったという表現は少し違う。でも、僕にとっては同じようなものだ。

 僕が風邪をひいている間に、彼女は別の男をつくっていた。彼女の方から僕に言ってきたのだ。彼女の行動とこの真実が何を意味するのか僕には分かっている。要はフラれたのだ。彼女と付き合って一年、共に愛しあい、一緒に帰り、今では恥ずかしくて言えないような甘い言葉をかけたり、抱擁したりもした。でも結局、「終わり」は来るのだ。あっけない流れで、予想もつかないやり方で、それはやってくるのだ。

 思い当たることは何もなかった。だから、彼女がなぜ僕と別れたのか理解ができなかった。しかもよりによって、僕が風邪をひいている時になんて。そんな話、聞いたことがあるだろうか。僕は彼女に訊きたくてたまらなかった。別に彼女を恨んでいるわけじゃない。ただ理由を知りたいだけなのだ。彼女のもとへ行き、質問を投げかけて、彼女が拒んでもしつこく追いかけまわして、真相をつきとめて、全てを……

 待て。僕はつばを飲んだ。こうやってストーカーは生まれてくるのだろう。今は恨みがなくとも、徐々に現れていって、最後には事件を引き起こしてしまうのだろう。よくあるパターンだ。


 通りのベンチに座って、チーズバーガーを食べる。最近価格が上がったらしく、それを知ったのはレジでのことだった。レジ前に立って買うのを断るわけにもいかず、結局無駄な出費をしてしまった。

 彼女はハンバーガーが大好きだった。彼女はいつもデートのときの食事はハンバーガーにすると決めていた。口は汚れるし、カロリーは高いし、どう考えても女性の食事としては不向きだと思うのだが、彼女は紙ナプキンで口を拭きながら、冷めてまずくなったポテトと一緒にそれを頬張っていた。こう言うように、僕はどちらかというとハンバーガーショップでの食事があまり好きではなかったのだが、それを彼女に伝えることが出来なかった。怖かったのだ。彼女が僕の前からいなくなってしまうのを。勿論、ハンバーガーが食べたくないと言っただけで僕らの関係が崩れてしまうようなことは決してないと分かっているのだけれど。それでも、食事の内容は彼女が食べたい物にする、という僕自身が勝手にたてた掟は、絶対に破ることができないものだった。

 そして、僕は今こうしてチーズバーガーを食べている。下品で、不味い、好きでもないハンバーガーを。僕は、彼女のことをひたすらに思い返していた。食べても。食べても…… 味などしなかった。哀しい思い出がトッピングされたハンバーガーなんて――僕はいつの間にか、人目を気にせず嗚咽を漏らしていた。彼女との記憶を全て口に入れようとするかのように、力強く、弱々しく、バーガーを口に放り込んでいた。

 目蓋の裏に溜まっていたダムが枯れ、僕は今日初めての疲労を感じた。本当なら彼女のことをもっと回想していたかったのだが、疲労がそうはさせてくれなかった。白いペンキが塗られたベンチで人目も憚らず横になり、僕は眠りにつくことにした。意識が徐々に遠のいていき、淡い色をしたカーテンが僕の目蓋に覆いかぶさった。カーテンはざらざらしていない、なめらかな質感の布が使われていた。

 僕は誰かに操られているのだろうか。途端にそう思った。この運命、失恋、夢。誰かが僕の見えないところで薄気味悪い微笑を浮かべながら、僕の全てを弄んでいるのではないだろうか。

 そうだ、そうであると信じたい。彼女がいなくなったのも、僕が風邪をひいたのも、ベンチで寝ていることも…… 何もかもがソイツによって作られ、計画されたことなのだ。そうだ、そうであると信じたい。じゃなければ、これらのことが、全て「僕」のせいになってしまう。僕のせいで、僕が哀しむことになったことになる。そんなこと…… そんなことは、絶対にあってはならないのだ。

 夢の中で、君が僕にくれた心の全てが解き放たれ、僕の手の届かない遥か彼方へと飛んでいった。描いていた未来へのキャンパスは、僕の代わりに誰かが汚してくれた。こうすることによって、何もかもがなかったことになるのだ。賽を振って、高台から転げ落ちて、最後には「ふりだしに戻る」へ進む目をだすのだ。

 スタートに戻って、その地で全てを忘れよう。恐らく長い時間が掛かってしまうだろうけど。辛抱強く、僕は忘れる作業を続けるのだ。

 顔の温度が徐々に冷えていく。これはなんだろう。理由もなく僕は緊張しているのか。どうしてだ、どうしてだ。なぜ、こんなところで緊張する必要がある。いや、これはまさか……。

「うわっ」

 両手で顔を防御しながら、僕はベンチから起き上がった。顔に液体が大量についている。一瞬で毒だと思い、僕は半狂乱になりかけた。ベンチで寝ていたらいきなり液体をかけられる。そんな恐ろしいことが他にあるだろうか。

「彼女にフラれること。じゃ、ないのか?」

 眩しい日差しと共に、せせら笑いの含んだ声が耳に入ってきた。頬を思いきり嘗められたような気持ちの悪い声だった。

 明るさに目が慣れてきて、ようやく僕は声の主を視認することができた。突然のことに身体が吐き気を呼んでいるが、構わずに僕は眼前の人物をしかと見た。

 馬鹿笑いと共に、しわくちゃ顔の老人が僕の横にいた。カップ酒をを左手で握り、こちらに向けて大口を開けていた。僕はそれを自分の意志とは関係なく、まるで離れ島の町医者のように懸命に観察してしまった。けばけばしい黄色の歯に、所々にある入居募集中の張り紙。同時にやってくる、奴のヘドロを蒸発させて気体にしたような口臭は、光化学的なそれを思い起こさせた。僕は奴の全ての要素を集め、一瞬で一つの結論をだした。

「おえっ…… ううっ…… 嗚呼……」

 僕はそこから心因性嘔吐症になった。


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