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期間限定のお嬢さま  作者: 駅員
3/9

第二話 <姉視点>

 その次に帰省したのは、九月の大型連休の時だった。

 大型とは言ってみても、夏休みなんかと比べれば果てしなく小型だ。こんな時期に、しかもこんな短いスパンで私が帰省することはしごく珍しい。


 両親は最初素直に喜んでくれていたのだが、ためしに「一緒に連休を過ごしてくれる友だちが一人もいないから、寂しくて帰ってきちゃった」と笑顔で言ってみたら、とても微妙な空気が流れた。

 その後すごく優しくしてもらえたのには、なんだか納得いかなかった。


 連休三日目。私は祖母から託された散らし寿司を抱え、伯母の家へ向かっていた。

 詩衣の家族は三人なのだが、優に五人分はある寿司の重量が私の細腕に容赦ない一ツボマッサージを施していた。血行を促進するどころか、風呂敷の持ち手のとこが肌に食い込んで血管を圧迫している。


 ああ、やっぱり引っ張ってでも弟を連れてくるべきだった。実の姉よりも友人との約束を優先させるなど度し難い。脳内弟ならもっと姉思いなのに、現実はままならないものだ。


 私は「む~」と小さくうなりながら、憂さをはらすべく心のスクリーンでねつ造を開始した。


 きっとツンデレな態度を見せながらも、内心は『頼られることに悪い気がしていない』という感じで、「しょうがねーなぁ」とか言いつつヒョイと私の手からお寿司を奪って、そのまま片手で運んで行ってしまうのだ。私はその弟の後ろから小走りに追いかけて行くことだろう。


 ちなみにこれは弟が徒歩の場合を前提としている。自転車使用だった場合は、弟が運転する自転車のけつに私が女の子座りするのだ。私は膝にお寿司をのっけていることになる。


『ふふ。この座り方じゃなかったらちーちゃん役得だったのにねー』

『何がだよ』

『前を向いて座るとだな、こうふわっと、後ろからぷにっと、ちーちゃんの背中に当たるものがあったりするのだよ』

『ざけんな降りろ。セクハラで訴えるぞ』


 そこで私はシリアス風味な顔つきになる。


『裁判ってね……自分との闘いなんだよ』

『何の話だ……』

『自分に非があるって認めちゃだめなの。一歩でも譲っちゃだめなの。長い長い闘いの間に決意が揺るぎそうになっても、最後まで自分を信じてね。「自分は悪くない」って言い続けてね。そうしたら、いつか相手の方が、「もしかしたら正しいのは相手の方かも」「自分の方が間違っていたのかも……」と揺らぎだすから』 


 私は切なげに吐息しながら、喉を絞るように言うだろう。


『お姉ちゃんがちーちゃんに教えてあげられる、これが最後の言葉だよ。頑張って、ね――』

『……もう一度聞くが何の話だ……』

『うん。ちーちゃんが将来セクハラした場合とセクハラで訴えられた場合の両方に使える助言だよ』

『降りろ。むしろ落ちろ』


 楽しい空想に耽ることで暑さおよび腕の疲労と痛みからなるべく意識を遠ざけてるうちに、バス停に到着した。バスもすぐに来たので、座席を確保してやっと一息。


 降りる間際にお財布取り出そうとしたら、筋肉疲労で手がプルプル震えててなかなか小銭がつかめなかった。明日は筋肉痛確定だろう。日頃お嬢をやっていると、体育と奉仕作業の時間以外では筋肉仕事と無縁だからなぁ。


 私が珍しくも文句を言わず赤ずきんちゃんをしているのは、ちょっと思うところがあったからだった。


 少しずつ足腰の衰えを見せていく祖母は、自分でお寿司を娘に届けることができなかった。

 最近の祖母はどんどん外出が億劫になっていってるようだ。私の場合は筋肉の酷使で手が震えてて小銭を財布から出しにくかったんだけど、祖母は、何もしていなくてもバス代を払うことが難しいことがあるみたい。

 お金がないという意味じゃない。小銭の見わけがつかなかったり、なかなか取り出すことができなかったり。それで焦って焦って、しまいに小銭をバスの床にぶちまけてしまって。それ以来バスに乗るのが怖いんだって言っていた。小銭を拾ってくれた周りの人たちへの言葉が、『ありがとう』じゃなくて『すみません』しか出なかったんだって、背を丸く丸くしながら言っていた。

 買ってきたバスカードを渡しておいたけど、私がいるうちに祖母がそれを使うことはなかった。



 二回バスを乗り継いで、やっと詩衣の家にたどり着いた。お寿司を抱え直してチャイムを鳴らし、玄関に出てきた伯母さんにご挨拶。


『モガイは手に入らんかったけど、かわりにアナゴを多くしておいたからね』


 伝言を頼まれた場合、私を通すと別の要素がくっついて原形を留めていないことがある。なので今回は、祖母の言葉をほぼ言われたまま伝えてみた。そしたら、伯母の顔がゆがんだように見えた。


 応接間に招かれ、お茶を勧められた。伯母は詩衣を呼んで、私の向かいに座らせた。私はまだこの二つ年下のいとことの距離をつかめていないので、伯母に聞かれるままにソフィアでの寮生活について話したりしていた。


「寮則の筆頭で最重要事項でござそうろうなのが、『お嬢様言葉で話すこと』なんですよー」と言ったら案の定冗談だと思われたようだが、実際は事実をなんの脚色もせずに申告しただけだったりするんです、はい。

 私は根が真面目なので寮の自室の中でも寮則を守り続けている。お互いにお嬢様な言葉で会話をし続け、どちらが先に音を上げるかルームメイトと競い合ったりしているのですわ、ホホホホホ。


 伯母は私の話を聞いた後目を細め、


「なかなかおもしろそうなところじゃない。この子ってばこの通り無口でしょう、やっぱり学校でちょっと浮いちゃってるのよね。ソフィアみたいに浮世離れしたところでなら、少しは目立たなくなるんじゃないかしら。ねえ、詩衣、あなた本気で考えてみたら? もう、この子ったらね、三年生の二学期なのに、行きたい高校が一つもないって言うのよ」


 行ける高校ならたくさんあるんだけどね、と付け足しながら、隣に座った娘の腕を曲げた肘で軽く押してみせる。

 伯母の気さくな様子が私の目にはなぜか白々しいものに映って、もやが心の内に少しずつ溜まっていくような気分だった。伯母の声は、そのもや越しに遠く聞こえる。


 三十分経過するのを待ってから、耳を素通りする会話を終えて、席を立った。お使い蟻さんの役目は果たしました。

 見送りを受けつつ辞した後、そこから三分くらい歩き、バス停に着いた。『出たばっかりかよ』と時刻表に向かっての悪態をついたりはせず、大人しく長椅子に座ってバスを待つ。


『暑いなー、溶けそうだなー、溶けるとしたらどこから溶けるんだろう、やっぱノウミ……』


 真っ先に浮かんだのが思考の中枢を司る部分だったので、想像は自主規制した。

 白いという要素をバニラのソフトクリームとかに変換してお茶を濁してみる。


 『後二分ー、何か有効な暇つぶしないかなぁ』と考えていると、心の声に応じてか我に呼びかける声あり。

 顔を上げると、そこには真夏の幽霊のように伯母が立っていた。


 ここまで駆けてきたらしい伯母は、呼吸を整えた後、その手に持っていた物を私に突き出した。お寿司の入っていた重箱。


「おばあちゃんに、ありがとうって伝えてね」


 受け取ったお重は軽かった。


「ちゃんと、洗ってあるから」


 バスが停まった。私のためにバスのドアが開けられたが、私は運転手さんに向けて首を横に振ってみせた。そして勢いよく立ちあがり、いぶかる伯母を後目に、ずんずんと歩いて行った。

 向かう先は伯母の家。


「自分で返しに来てください」


 門をくぐり、玄関先で、私は追いついてきた伯母に、手に持っていたお重を突き返した。


「全部食べた後に。伯母さんが、うちに来て、直接言ってあげてください」


 祖母の姿が、私にそう言わせていた。


 筋の浮いた手で、酢飯を冷やすために団扇で扇いでいた。曲がった腰には高いからと、流しではなく食卓にまな板を置いて人参を切っていた。炊きたての酢飯から立ち上る湯気の向こうに見える、祖母の、姿。


 伯母は私を見つめ、ためらいがちに答えた。


「……困るのよ……」


 空の箱がずしりと重く感じられるような、そんな声と表情だった。


 私だって困ってるよ。唇を噛みしめながら思う。伯母は真面目な人なのだろう。空のお重なんて、わざわざ返さずともよかったのだ。『何かのついで』ができるまで、忘れたふりをしてどこかにしまっておけばいい。家にあることが嫌なのなら、いっそ捨ててしまえばいい。祖母が『返せ』と言うことなんて、ありはしないのだから。


 ふいに泣きたくなった。

 伯母は真面目だ。真面目で、残酷だ。


 衝動に任せてここまで来てしまった私は引っ込みがつかず、伯母は伯母で持ち重りのする箱を扱いかねて、その場に縫いとめられたように私たちは二人して立ち尽くしていた。そして皮肉にも、そのいたたまれない沈黙を破る糸口になったのは、二階から聞こえてきた物音だった。


 一瞬で真っ青になった伯母が「詩衣!? どうしたの、詩衣!?」と叫びながら家に飛び込む。少し迷った後私も続き――その先に見たのは、部屋の中で一人で暴れている詩衣の姿だった。


 割れた鏡の破片が床に散って、その上を詩衣は転がっていた。頬に、手に、むき出しのふくらはぎに切り傷ができ、カーペットに点々と血を滴らせていた。


 ナンダ、コレ


 唖然としつつその光景を見ていた私の前で、伯母は自分が破片で傷つくのもかまわず詩衣に覆いかぶさり、そして空中に左手を伸ばし、その手を狂ったように振り回した。


 それとほぼ同時に、目の前で、床に落ちていた重そうな置時計がひとりでに音を立てて動いた。直後にくぐもった呻き声が耳朶を打つ。そして何もなかった、誰もいなかったはずの空間に、突然、ジグソーパズルのピースがばらばらと降り注いだみたいに無秩序な色彩が浮かび上がった。


 ピースは瞬く間に繋ぎあわされて、『男』の形になった。頭を押さえてうずくまっている男。


 その時になって、ようやく。私は、その時になってようやく、その場に『もう一人』がいたのだということに気がついた。

 男の姿が見えるまで、私はいとこと伯母が二人だけで踊るおかしなダンスを、後ずさって壁際で見物している観客だった。


「おまえがそんなだから悪いんだ。おまえが俺を誘ったんだ。自分から誘っておいてなんだその態度は。ちくしょう。これで逃げられると思うなよ」


 男が何かを叫んでいる。伯母が手を振り回している。いとこが血を流している。鏡の欠片が私を映している。叫びが手が血が欠片が渦になって私の周りをぐるぐるぐるぐる回っている。


 立っているのか座っているのか浮いているのか沈んでいるのか。安定を欠いた、世界が回る。

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