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期間限定のお嬢さま  作者: 駅員
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第一話 <姉視点>

 私の家は、両親と祖母と弟、そして私の五人家族だ。

 今は親元を離れてとある全寮制のカトリック系の女子高に籍を置いているので、夏休みに帰省した時とかの最初の一週間くらいは、わりとチヤホヤしてもらえる。のだが、二週間経った頃には邪魔者扱いされた。そして残り二日くらいになると、「鶏肉多めに買っちゃった。あんた、もう二、三日くらい長くいられないの?」になっていた。

 どうやら愛されているらしい。新じゃがで作った肉じゃがみたいに、心がほっこりほこほこになった。


 高校二年生の夏休み。家で顔に畳の跡をつけながらゴロゴロしている私の姿を見ていると、両親は、私が本当にかの有名なお嬢様校で暮らしているのかと疑われてくるらしい。根掘り葉掘り寮生活などについて訊いてくる。

 弟は興味なさそうにテレビなぞ見ていたが、耳を片方ずつ使い分けてこっそり聞き耳を立てていた。


「てい」


 私は弟の右耳をふにっと折ってみた。


「……なにすんだよ」

「いや、こうするとテレビの音しか聞こえなくなるかなーと」


 右耳で私たちの話を聞いていたと仮定してみた。


「わけわかんねーこと言ってんじゃねぇ」


 弟は無愛想に呟くと、しっしっと手を振って私を追い払った。


「ちーちゃん、ちーちゃん」


 呼びかけつつ、さっき弟がやったのとは逆方向に手を振ってみた。つまり招き猫な感じの手招き。

 『招き猫は右手を挙げているのが金運を招き、左手を挙げているのが人を招く』ということだったはずだから、無意味に対抗して左手でなく右手でやってみた。


「いい加減その呼び方よせっつの」


 旧来の迷信に対抗してみた結果、弟の態度は『無愛想』から『不機嫌そう』に移行した。迷信侮りがたし。


「無ー理ー。『ペガサス』を今更『ペガスス』と発音しろと言われたくらい直すの無理ー」


 『ちーちゃん』という呼び名の由来は昔の見た目。おチビだったからちーちゃん。今の背丈は標準くらいだと思うが、私の中に定着してしまっててもう直せない。


「ちーちゃんでいいじゃん。悠久の向こう辺りからひょっこりやってきそうで」

「だから意味わかんねぇっての……」

「うん。実は私も意味わかんない。友だちが読んでた本のタイトルが浮かんだだけだから」

「友だちいるのかよ……」


 弟は、失礼な呼び名を推奨する姉にげんなりしつつも、わりと真剣に心配してくれているようだった。母が先ほど、『お嬢様たちの中でいじめられてないかしら』ともらしていたのが心の片隅にひっかかっていたのだろう。


「失敬な。いるさ、いますともさ。こう、華族のお姫様かなんかみたいなのが、ずわーっと。ずわーっと」


 両手を打ち上げ花火が咲くような感じに広げながら力説してみた。

 対する弟の眼差しは、線香花火の最後の一本を前にしたような、何かの終わりを見届けるようなものになっていた。

 私は広げていた腕を偉そうな感じに胸の前で組んで、


「『友だちとは消耗品だ。常に一定数ストックしておく必要がある』が持論のこの姉に友だちがいないはずがないでしょう」


 人として言ってはならないたぐいの台詞を口にしてみた。無論本心ではない。


「…………」


 弟は沈黙というこの上ない雄弁な対処法を実践し続けていた。

 進退窮まった私は、つい横道にそれて藪の中。弓手を懐にし、しかるのちに、


「聞いて驚け見て騒げ。これが私の親友だー」


 顔をそむけている弟の鼻先に、携帯の画面を突き付ける。なんとそこには私のルームメイトの寝顔を激写した画像が表示されていた! 


「とうとう犯罪に走ったか……」

「盗撮じゃないってば」


 被写体本人から『自分の寝顔を見たことがないから写真に撮って見せてくれ』と依頼されたのだ。寮の中じゃ携帯はほとんど使わないので、人を撮ったのはこれ一枚きりだった。

 『他の人には見せないでね』と釘を刺さないどころか、私が誰かにこれを見せることを喜ぶ人種なので、この行為は一応マナー違反ではない。


「『お嬢様』の寝顔だよ~? 垂涎ものだよ~?」


 いらねえよ、と顔をそむけ続けているせいで首が痛そうな弟の前に回り込み、ひらひら~と携帯を振ってみせて。それから未練なく画像を消去。

 「あ、あ~っ?」と弟がすっとんきょうな声をあげる。


「なーにかな?」

「……いや……」


 私はにまーっと笑ってみせてから、手を軽くしならせて座布団の上に携帯を投げた。

 寮の中のものは、あんまり外に持ち出したくないのだ。それはなんとなくの自分ルールなのだけど、あそこはあそこで一個の世界として完結していて、外と交わってほしくない。

 あっちの色もこっちの色も好きだけど、両方が混ざっちゃったら全然別の色になってしまう。ような気がする。もしかしたら綺麗な色になるのかもしれないけど、確証はないし、今そこにある色を壊したくない。

 具体的には何色なのかと問われたら、そこはイメージなので『これ!』っていうのはない。でもせっかくあの名前があるのだから、あちらの色はあれで確定してしまおう。


『紫』。


 君は信じるかな、弟君? なんと私は、かの地では『紫のきみ』と呼ばれているのだよ。


 『寝顔の君』が私に付けてくれおったソフィア名で、命名の由来は『色の中では紫が一番妖しげなイメージだから』だそうだ。

 好意をもらってばかりいては悪いと、私は彼女に『冬の宮』という優雅な呼び名を与えてやった。澄ました顔で大酒を飲む彼女には、冬場の赤ちょうちんな名前が似合うだろうと思ったのだ。


『冬飲み屋』→『冬の宮』。


 我ながら素晴らしいセンスだと悦に入ってみる。

 

 あ、ソフィアというのは、私の通っている高校の名だ。聖人の名前が冠された『聖ソフィア学園』。だけど、うん、まあ、『だからどうした』程度のことなんで、これ以上は語るまい。それに、もうそろそろ時間だし。


「もうすぐお見えになるんだから、ちゃんとした格好しときなさいよ」


 今日これから、仕事の都合で長らく故郷を離れていた伯母一家と、初めての対面を果たすのだ。私の父方の従妹にあたる、詩衣しいという名の二つ下の女の子もいるらしい。

 正確にはすごく小さい頃に何度か会ったことはあるそうなのだが、小さすぎて覚えていないので、私と弟にとっては全員ほぼ初対面。

 母に「はーい」と返事をしつつ、私はもそもそと体を持ち上げ、ゴロゴロしていてもいい服から皺がついたらいけない服に着替えにいった。


 *   

      

「どう思った?」


 二時間後。私は居間の畳の上に両足伸ばして座って、扇風機の前に陣取って、吹きつけてくる風に前髪を揺らしていた。問いかけられた弟は、「……んー?」と重たそうに私に首を向ける。


「いとこ検定の結果さーぁあぁああぁ」


 伸ばした語尾が扇風機効果で宇宙人の声みたいになる。


「いとこ検定ってなんだよ……」


 風に邪魔されて声が届きにくいので、首振りスイッチを押して弟にも風をおすそ分けしてあげる。


「んー、じゃあいとこ鑑定? ってか、伯父さん伯母さん含めたいとこ一家なんだから、親戚官邸?」


 言っててかなり意味不明だった。結果弟にも無視された。だけど私はかまわず続ける。


「なんか雰囲気悪かったよねー」

「……そうか? 大人しそうな子だっただろ」

「ちゃうちゃう。詩衣個人についてじゃなくて、伯父さん伯母さんお父さんお母さんおばあちゃんプラスいとこ含めた全体の雰囲気のこと」


 伯父さんの転勤に伴い詩衣一家が十数年振りに帰郷して、そして伯母にとっての実家でもある我が家に挨拶に来たのが、今日の午前十時頃。滞在時間は三十分弱。その間居間に流れていたあの空気は、決して居心地のよいものではなかった。


「特にさー、お父さんと伯母さんって、すごくぎくしゃくしてたと思わない? 十年以上ブランクがあったとはいえ、仮にも実の姉弟なのに」


 あの二人は、目を合わせないようにしてた。と思う。なのに表面上は穏やかな会話が交わされていたから、なんか余計に違和感を抱いてしまっていたのだ。


 私自身も、あの妙な緊張感の漂う中ではあまり話ができなかった。詩衣にいたっては、最初の挨拶以外、ほとんど口を開かなかった。

 でもそれについては、仕方がないと思う。いくら血の繋がりがあるとはいえ、『法事の時には顔をあわせてましたよ』程度の記憶の共有もないのでは、身内ゆえの気やすさというものもなかなか得られないだろうから。


 玄関を開けて彼女たちを出迎えた時のことを思い出す。

 『ポン』と出てきた『いとこ一家』を目の前にした時、私はなんと声をかければいいのかわからず戸惑っていた。『初めまして』も『お久しぶりです』もしっくりこなくて、結局私の口から出たのは『こんにちは』の挨拶とあいまいな笑みのみだった。


 でも私と違い、お父さん達には何年分も蓄積された思い出があるはずなのだ。


「お父さんと伯母さん、仲、悪かったのかなー」

「……そうかもな」

「私とちーちゃんはこんなに仲いいのにね」

「……そうだな」

「およ? 肯定した」

「そうですねー」

「無感動そうに平坦な声で繰り返された!」

「……ばあちゃんがな」

「ん?」

「さみしそうだった」


 弟は、さみしさの周波数を受信してしまったようだ。


「……うん」


 兄妹だから同じくらいの可聴域だったのだろう。私は頷きながら答える。


「さみしそう、だったね」


 実の子どもたちを見つめていたあの祖母の眼差しは、意識せずに聞いていた潮騒のようだと思った。存在に気付いた途端、胸が水気を含んでざわざわと揺れる。


「……」


 私は伸ばしていた左足をひき寄せて、両手で抱え込んだ。そして残った右足の親指を使って、扇風機の首振りスイッチをもっかい押した。風が私のところにだけ固定される。


 不自然な指の運動に、自業自得な感じで足がつったが、私は『痛い~~! 痛いようっ』と訴えて少しでも苦痛を逃がそうとするという試みには取り組まなかった。今は沈黙する場面だと思ったし、それに『喋らないのだから顔面に風が吹き付けててもかまわなくて、だから弟に風を譲ってやる必要はなくなったのだ』との判断から。

 そしていったんスイッチを押した以上は、沈黙を意固地に固持する。

 弟と喋らないでいる理由を保ち続ける。


 そして最初の挨拶の時以降、伯母一家が我が家を訪ねてくることは、一度もなかった。

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