第3話 部活開始
地域文化部の活動拠点は、昔の地理準備室だ。
校舎本館の3階にある。
昔、というからには使われていた形跡があり、世界地図が壁にかかっていたり、丸まった図面らしきものがドラム缶のような入れ物に数本突っ込まれたままだったり。
いろいろ使えそうなものがあるように感じられるが、壁の世界地図はかなり古い。
なにしろロシアの位置付近に「ソビエト連邦」と書かれているくらいだ。
つまりバルト三国とか東欧の最近の独立国は勿論のこと、東ティモールだとかナミビアだとかも存在していない。
チェコとスロバキアはまだ分離しておらず、ドイツに至っては西と東に分かれたままだ。
1980年代以前のものだろうか。
昭和の時代の地図が平成の世ではまったく役に立たない。
世の中の変化は激しく、めまぐるしく何処かへ向かって進んでいる。
「世界は広いよなぁ・・・」
地図を見ながら自然、言葉が出た。
「世界はどんどん変わっていくけど、この辺りは変化がないよな。まあ、田舎だし過疎地だもんな・・・特に俺ん家周辺は」
「いえいえ蔵田君。確かにこの近辺とか自宅周辺は田舎で変化に乏しいけど・・・宮郷線はこのままだと確実に」
割と真顔で小山。
宮川市は山あいの盆地に位置する、人口5,6万そこらの小規模な市だ。
大都会の喧騒や変化からは程遠い。
しかし、ゆるやかではあるが確実に変化はある。
自分と、小山のいる須ノ郷村はさらに変化に乏しい。
ただ、人口が過疎化でどんどん減っているというような、あるいは小さな商店があるとき閉鎖されたりとか、そういう、徐々に寂しくなるような変化しか起きない。
刺激がないぶん、他所から来た若者にはおそらくつらい場所だ。
まあ、「村」だしね・・・。
大体なんでこんな遠距離を通学せねばならんのか。
須ノ郷から来てるのは俺と小山ぐらいだろう。
村には高校はない。
中学校と小学校はある。
俺は高校1年のときに村に越してきたから、村で唯一の中学には通っていない。
昔はあったが皆、廃校になったらしい。
中学時代に引越しをしていたなら。おそらく小山とはもっと早くから身近になっていただろう。彼女も地元の学校に行っていたようだから。
まあ、小山とは小学校の頃に少しだけ、面識はあるのだが。爺ちゃん家に行ったり預けられたりしたときなどに。
だがまあ、高校で会ってももう昔の通りとはいかないよな。あまりに歳に隔たりがありすぎて。
ほぼ新しく会う人物のように接してしまう。
で、なぜ不便な田舎に俺が越してきたかといえば、祖父と祖母が暮らしているからだ。
小さい頃から正月や盆以外にも何かあるごとにちょくちょく来てはいた。
だから俺の面倒を見ることに祖父母は割と慣れていたかもしれない。
母親は俺が小学校のとき離婚して出て行った。
引き取ったのは親父だった。
なぜ家を出て行ったのか、いまだに詳しいことは解っていない。
過去のことはなるべく考えないようにしてる。
知っても仕方のないことだ。
親父は単身赴任で県外へ出て行った。
随分遠方だったので、父にはついていかず、父方の祖父母の家で厄介になることになった。
親父は元来寡黙で「そうか」「わかった」「よし」など片言ずつしか喋らないから会話が長続きしない。親子でも疎遠な印象。
おそらく母とはコミュニケーションの問題でよく衝突していたから、離婚の一因はその辺にあるかも知れない。
他人の家と比較をしたことないからよくわからないが、俺ってかなり愛情の薄い家庭に産まれたのかな・・・。そんなことをふと漏らすと、前に高橋に怒られたことがある。「子を大事にしない親はいない」って。
そうかもしれない。
そうじゃないかもという思いと、そうであってほしいと願っている自分が心の奥に共存している。
「間違った地図、直そうかなとか思って」
気付けば黒のマジックインクを右手に持った小山が、鞄から取り出した参考書らしきものを片手に世界地図の上からじかに手直しをしようと試みている。
「わわわ!」
「いやそれやめようよ」
あわてた清川の声とあきれた篠田の声が重なった。
「でもなんか気になるんだよねー」
「いやいや、気にしなくていいから!」
小山に俺も一応突っ込んでおいた。
「ははは、確かに直しておいたら勉強には役立ちそうだけどね!どうせもう使われない地図だろうし」
「でしょう?高橋君、わかってる!」
「いやいや、小山。放課後にここに俺たちが居るのは居残りで勉強するためか?」
「うんにゃ」
俺の言葉に小山はぶんぶんと首を横に振る。
「授業の復習や試験の勉強はしないよ。ただ、地域の文化を知るための勉強はちょこっとするつもり」
「世界地図は放っときなよ・・・」
「うん」
やはり小山は少し、おかしい。
世間ズレしてる感じというか、浮いてる感が否めない。
天然とか子供っぽいとか。
そういう印象だ。
俺が子供の頃からこうだったかな・・・。
でも憎めないのは柔らかい笑顔が好印象を周囲に与えているせいかもしれない。
いや、うん、どうだろう・・・何か得体の知れない不思議さがあるような。
小山は頭を小刻みに左右に振りながら、ふんふんと鼻歌まじりで何やら新たな作業を始めている。覗き込むと「気になる?」と訊いてきた。
「いや、特に・・・」と返すと「あ、そう」とそっけない返事の後でまたハミングが再開される。
チラリと見えたがどうもノートに書かれている内容は、今後の活動計画案か何かだろう。
肩の下あたりまで伸びたこげ茶色の髪がモップのように揺れている。
そんなことを考えてたら、不意に横から伸びた手に気付いた。
まさしくモップ・・・。
「?」
篠田だった。
小山と違い黒の長い髪のポニーテール。テールの先端が揺れて、上から覗き込むような格好で篠田の両眼が、かがんで小山の様子を眺めていた俺の顔を捉える。
「掃除。お願いね」
どうも篠田は自主的に部室の掃除を始めていたらしい。
近くで既に清川が、ボブカットを激しく振動させながら一心不乱に床を磨いている。
一つのことに集中するととことんするたちなのかもしれない。
高橋はといえば、丁度バケツの水換えから戻ってきたばかりだったようだ。
「部員が増えたし、一度きれいにしておこうと思って」
篠田は綺麗好きだな。
いや、というかよく見れば使われてなさそうな部屋の奥とか、謎の部品が散在してたり堆積してたり、ホコリが放置されてたりで、正直あまり頻繁に使われていたとは思えない。
部活をするにあたり最低限必要そうな部屋の中心だけは片付いていたが。
「ああ、ごめん、やるよ」
俺の部活の第一歩は掃除から始まった。