第34話 思い出(3)
お父さんが白いかたまりになって出てくるのを、私はただ見つめていた。
「どうぞ」と言われて初めて、前に出るんだと思って歩み寄る。
粉と破片ばかりになったそれをしばし眺めてから、ただ淡々と拾い上げ、壺の中に収めた。
不思議と涙は出てこなかった。
とても現実的な光景ではなかったし、午前中で涙はもう出尽くしたと思っていたから。
それでも、乾燥しきった私の心にもまだ水分が残っていたのだろうか。
しずくが一度、頬を伝って落ちた。
朝。
木製の四角い箱に入れられたお父さんは微動だにせず目を閉じたままだった。
親戚のおばさんは「まだ東北には残ってるから」といってたくさんの菜の花を持ってきてくれた。
既に色とりどりの花達がお父さんの周りを飾っていたけど、「昭二さんがこの春、外で見たくて見れなかったと聞いて」と言い、「この花が一番好きだったんでしょう?」とそれを束ねてお父さんの左手の上に置いた。そしてその上から右手を重ねた。
お母さんは村の近所の野原で摘んできた、名も無い小さな花たちで編んだ花冠を、お父さんの頭に乗せた。
須ノ郷村のここ、七ヶ瀬には湿原がある。
豊かな水資源に囲まれた、動植物の楽園だ。
とりわけ春には、他の地方ではなかなかみることができない美しい草花たちが咲き乱れ、さながら地上の楽園のようだとも言われている。
お父さんはもう、別の楽園にたどり着いたんだろうか。
そこにも、綺麗な花たちがあって、迎えてくれたりするのかな。
お母さんは目を細めていとおしそうに、その安らかな顔をずっと見つめていた。
「お花畑でお昼寝してるみたいね」
くすり、とお母さんは笑った。
「『悪戯が過ぎるぞー!』って、怒りながら起きてきそうだよね」
と私もお父さんを見つめて笑った。
お母さんとふたり、泣きながら笑った。
「この模型はやはりナナが持ってて」
お父さんが大事にしていた宮郷の列車の模型。
一緒に棺に入れてあげようと思って持ってきたけど、お母さんはそのほうがいい、と促した。だからこれは、私が持つことにした。お父さんの代わりに。
「もしも許されるなら」そう断りを入れて、お母さんはお父さんに向かって言った。「次の世でも、一緒になりましょうね・・・」
「最後のお別れのご挨拶はもうよろしいでしょうか・・・」
葬儀屋さんのマイクの音が、無情に部屋に響き渡った。
そして、ふたが閉じられた。
そのとき初めて取り乱すお母さんを見た。
大声で泣いていた。
大切にしていた宝物を取り上げられた、子供のようにも見えた。
きっと今までがまんしていたぶんが、一気にきたのだろう。
私もしゃくりあげてしまった。
斎場に向かう道中、私は片時もその模型を手放さず握り締めていた。
だからそれは、今でも大切なお父さんの形見の品になって、私の部屋に置かれている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「小山さんがそこまでこの鉄道に熱い思いを向けてる、本当のところを今知ることができたわ」
微笑んだミズタニンは、これまでにない優しい表情をしていた。
「ありがとう」
きっと小山の優しさが、伝播したのだろう。
「辛い話をさせてしまってごめんね、ナナちゃん」
清川はやや心配顔だ。
「ううん、いつか話す機会があれば話そうと思ってたことだし。気にしないでキヨちゃん!私は大丈夫」
語り終えた小山は妙にサバサバした印象だった。
でもまあ、周囲に気遣ってのことだろうと思うけど。
随分長いこと聞いていたような気もするが、列車はまだ思ったほどには進んでいなかった。皆、初めて明かされる小山一家の物語にのめりこんでいたのだ。
「まったく・・・理想を絵に描いたような素晴らしいご両親だね」
高橋が感銘を受けたような口ぶりで語ったが俺も同じだ。
「いえいえ、それほどでも・・・といいたいけど、気持ちよかったからもっと褒めて!」
調子に乗る小山サン。
「ほんとにいいお父さんだね・・・お母さんが溺愛するのもうなずけるわぁ」
「篠田、目が赤い」
「蔵田うっさい!人のことはいいのっ」
「ちょっとその素敵なお母様にも会いに行きたいなー!」
「シノちゃんそういえばまだだっけ」
「まだなのよ、ナナ。あ、そうだ、キヨ!今度一緒にナナん家行こうよ!」
「OK!お母様が居られる日時にGOだね!」
小山は微笑んでいる。
「いつでも歓迎だよ!人も少ないし周りに何も無い田舎だけど・・・あ、そうそう、抜き打ちで来ちゃだめだよ、掃除しないといけないからね!」
「僕も行っていい?」
「勿論高橋君もいいよー!こうなりゃまとめて面倒見ちゃうぞ!」
「先生も行っていい!?」
うわぁ。
「えー!水谷先生、個人的には来て欲しいです!でもお母さんが三者面談と勘違いしそうだなぁ」
ははは。
車内に笑い声が戻ってきた。
「まー、家庭訪問といった感じになったりして!『えー、どのようにしてこのような良いお子さんがと思いましたら、ご両親のおかげと言うことが良くわかりました』みたいな・・・」と水谷氏。
「しかし、話をしてくれた後で不謹慎かもしれないが小山家がうらやましい」
俺の口から出た素直な感想だった。
「蔵田君は何か家庭に問題があるの?」
ミズタニンは担任じゃないからわからないか。
「面談のときは親父が来てたんですけど、俺ん家、離婚家庭で。母親が家出てっちゃって。まあその父親も単身赴任みたいなもんで、今俺は須ノ郷村の祖父母の家に厄介になってるんです」
「・・・そうだったの。今、離婚家庭多いわよねえ・・・」
「そうなんですか?」
「そうよ。蔵田君ともめてたりした不良たち、居るでしょ?彼らの多くはそういう家庭の子だって最近わかったの。問題ばっか起こしてダメな生徒、と言う人も多いし否定はしないんだけど」
否定はしないのか・・・。
「でも彼ら、不憫よねえ・・・。愛されるはずの人たちにかまってもらった経験も薄くて。社会や学校に出ても突っかかってばかり。あれってでも、べつに目立ちたいわけじゃなくて、かまってほしい、認めて欲しい、愛されたいっていう思いの表れなのよねえ」
「そうですか!?俺はぜんぜんそんな風に考えたこともなかったな。秩序を乱す、人に迷惑をわかってかけるやつはいかん、と思っていただけで」
「まあ、いけないことはいけないと叱るのが勿論筋だけど。でもいままでかまってもらえなかっただけに、叱られたこともほとんどないわけで。善悪を判断する基準も希薄だし、悪いことをしても開き直っちゃう。片親、育児放棄、DV・・・最近問題になってる家庭の悪いとこを吸収して育った子たちだけに、一概に即処分!って気には私はなれないわ。まあ、ここの学校は風紀に厳しくて、もう学校を去ってしまった子も結構居るようだけど。本当は家庭が面倒見て来れなかったぶん、いくらか学校でケアできればいいのかもしれなかったけどね・・・」
寂しそうにミズタニンは笑った。
「共働きで忙しすぎる家庭が増えたのが要因かなーとか思ったり。ストレスで夫婦がギスギスして。給与の相違でケンカして。育児に時間がかけられなくなって。他所の異性に安らぎを求めてしまっちゃったりね」
まさに俺ん家。
「仕事で子供の面倒が見れないとか本末転倒よね・・・家庭はその家族を守るためにあるべきはずなのに・・・そんなことが問題になってるこの国って、もうおかしいんじゃないの!?って最近は思うようになったかな」
「それにしても、彼らと似たような境遇だと思うんだけど、蔵田君は立派に育ったわよね」
「いえいえそんな」
篠田がゆーな。
「俺はまあ、じいちゃんっ子ですから。ちょくちょく預けられてたし、祖父母から躾のほうは割と。今その家に居ますし、人格者だからいいお手本になってくれてるんだと思います」
「なるほどなぁ~。蔵田君が見た目や喋り方は不良っぽいのに芯がしっかりしてるように見えたのは、そういうことだったかー」
「しっかりしてません」
「だから篠田が言うなっつーの!」
「あら、ごめんあそばせ」
ペロリ、下を出す。
俺ってちょっかい出しやすいヤツなんだろうな・・・。
「小山家がうらやましいんだったら、一員になっちゃう?」
悪戯っぽい視線を本人から投げかけられた。
髪色と同じ栗色のつぶらな瞳を向けられて、ドキリとさせられる。
「そりゃあどういう・・・」
「どういうって、それはー!」
「言葉通りよねー、ナナ!」
「ふふふー!」
篠田と小山女史が意見の一致。
「なんなの君ら・・・」
と言った俺に周囲から笑いがこぼれた。
「それにしてもいい景色ね・・・小山さんのお父さんが言われたように、都会では決して見ることの出来ない風情があるわよね・・・」
車窓から少し顔を出して語るミズタニンの髪がなびいている。
「だからまあ、なくなって欲しくなくて活動してるんですけどね」と俺。「あと、通学の足とか、まあ色々理由はありますけど」
「うーんでもね・・・最近時々思うんだけど、私達はなくなって欲しくないからそう思うんだけど、追川さんみたいに『周囲に負担を強いてまで、しかも乗らない人間が圧倒的なのに存続させる意味があるのか!?』って言われると、ああ、そうなのかなあ・・・って思っちゃうんだよね・・・」
小山・・・。
「そこで弱気になっちゃだめだよ」
清川の言うとおりだ。
「私、パンフのお仕事したりして『絶対残してくださいね!』って言う人をたくさん見てきたし、それが励みになったよ。ここには必要と思う人がたくさん居るんだよ」
清川は俺の知らないところでいろんな人と交流があって、そうした意見をじかに聞いてるんだよな。応援してくれる嘘偽りのない意見を沢山聞いてるんだろう。
「深くマイナスに考えることなんてないよ、ナナ。町とか村が赤字なのは鉄道のせいじゃない。過疎化がそもそもの原因なんでしょう?大体、まだ利用者がいるのに『はい、もう利益出そうにないんで廃止です、スパーン!』ってやられたら全国のローカル線がみんななくなっちゃう」
「まあそうなんだけどねーシノちゃん。宮郷は赤字額が毎年膨れ上がってるし、もう勘弁ならん、ってとこまで来ちゃってるらしいからね~・・・」
「でもこれまでのイベントの収益とかでかなり持ちこたえたんじゃないか?相当頑張ってる気がするんだが」
率直な意見を述べる。
「聞いたところによると、昨年と同じ水準くらいの収益で推移してるらしいよ。ただ、バスのシャトル運転が始まって、こっちに鞍替えしちゃった鉄道利用者の人が多いらしくて・・・それがかなりやばいんだって。他にも沿線周辺を走る路線ができたり増便があったりで、鉄道会社の中でも『もう顧客を完全に譲渡してしまったほうがいいのでは』と考えてる人たちが出てるとか。存続派の中にもあきらめムードというか・・・。数日前に聞いた話。宮川の駅員さんから」
「鉄道の定期利用だとかなり安くなるからバスに対抗できると思ったけど・・・バス会社も定期券出してるみたいだからね・・・きついよね」
そうなんだ。高橋の言うとおり。
実質的に値段もさほど、ということならバス利用が進んでしまいそうだ。実際俺も、小山の運動に参加するまでは、沿線住民といいながら恥ずかしくもバス利用者だったわけだし。
「バスのシャトル運行がなければ・・・という感じよね・・・」
ミズタニンは外を見つめながら溜息をついた。
「なかなか乗車率が伸びてかない・・・目標に近づいてるようで近づけない・・・」
小山の雲行きが怪しくなってきた。
さっきまで家の話をしていた影響が出てきたのだろうか。
お父さんの遺志を継いで宮郷を見守り続けるということが、まもなく困難になる。そういうことを危惧しているようにも見える。
「終わっちゃうなんて嫌だよ・・・絶対、嫌だよ・・・」
小山は窓の外を、細めた両のまなこで見つめている。
「わがままかもしれないけど、やっぱりこの場所を・・・思い出のあるこの線路を守りたいよ・・・」
そう言って肩を震わせた。
「小山ひとりのわがままなんかじゃない・・・俺らだって、ずっとそのままでいてほしいよ」
「うん・・・ありがと・・・」
小山はうつむいたまま俺に返事をしたあと、急に黙りこくってしまった。
そして突然、泣き出してしまった。
「お父さあん!」
清川がハンカチを出してきてくれて、それを篠田が受け取って小山の顔にあてがった。
「(蔵田、お願い)」
俺の隣の高橋が席を空けたところに篠田は小山をそっと移動させた。
俺が代わりに涙をぬぐう。
小山の背中をさすりながら様子を見ていると、だんだん落ち着きを取り戻してきた。
周囲の皆も内心ハラハラしていたようだが、安堵の表情だ。
頭を少し撫でてあげたら、しばらくして寝息が聞こえてきた。
「(あら・・・寝ちゃった?)」
「(可愛いわねぇ・・・)」
篠田とミズタニンの声が聞こえた気がした。




