第32話 思い出(1)
小山昭ニ。
私のお父さんはサラリーマンだ。
宮川市内に勤めている。
私の小さい頃からずっと同じ会社にいたようだけど、不景気で最近、親会社に組み入れられたらしい。
いつも穏やかな笑顔を絶やさないお父さん。
忙しくても家族のために小旅行に連れて行ってくれるお父さん。
一人娘の私を、とても可愛がってくれた。
お母さんとも仲が良くて、ご近所でも評判のおしどり夫婦と言われ、私もとても嬉しい。
お父さんは電車や鉄道が大好きだ。
昔は子供の頃レールつきの鉄道模型が好きだったけど買えなくて、親に誕生日プレゼントで買ってもらったときにものすごく嬉しかったんだって。
それで、大人になった今でも電車のモデルが部屋に飾ってあったりする。
子供の頃に買ってもらったらしいものも、大事に取ってあるんだって。
引越しのたびに捨てるかどうするか悩むらしいんだけど、結局捨てられないんだそうだ。
そうだよね、思い出があるモノって、粗末に扱えないんだよね。
私だったら捨てられないかなあ。やっぱり。
お父さんの書斎には鉄道関係の本がたくさんおいてある。
大判のフルカラーなやつは、私も見せてもらったけど、迫力あったなあ。
蒸気機関車とか最高だよね。
あの黒くておっきな車輪。
吐き出す白い煙。
「もう今では見ることが出来ないの?」って聞いたら「いまだに現役で国内で走ってる機関車がいくつかあるんだ」、って聞かされて、私が「乗りたい!」って言ったら山口県まで連れて行ってくれたこともあったなあ。
今でも忘れないけど、「どうして車内がこんなに違うの?」って聞いたら「客車が明治、大正、昭和と分かれているんだ、そういう風に鉄道会社の人が分けてくれたんだよ。粋だろう?」って。
粋っていう意味はよくわからなかったけれど、カッコイイっていう意味とたぶんおんなじだよね、って当時思ってた。でも今考えると当たりでいいよね。
列車にはすごくたくさんの種類があって、それぞれに特徴がある。
私はぜんぶ電車、って言うのかと思ってたら、近所を走る宮郷線は「気動車」って言うんだって。今まで知らなかったよ。
「なぜってほら、パンタグラフがついてないだろう?電線もないし。電気じゃなくてガソリンで走るんだよ」ってお父さん。
「じゃあ電車と自動車の中間くらい?」って聞くと、「ははは、そんなとこかなあ」って。
東京のような大都会ともなるとそれこそものすごい種類がある。
都内に行ったときはあまりの多さに興奮さえした。
たぶん私が、お父さんの影響を受けて電車の写真とか撮りだした頃かな。
一緒に行ってくれたときは地下鉄にも乗った。
東京の地下はすごい本数の地下鉄が走ってる。
十何本も路線があるんだ。
「あっちこっち掘りまくってるから水とか噴き出したりしないの?」って聞いたらお父さんは笑って「それがあったりするんだよなー」って。
どこなのかなー。大丈夫なのかな。水抜き、ちゃんと出来てるのかな。直ったのかな。
東京の凄さは何といっても「待たずに列車に乗れる」かな。
そんなこと言うと「待たないわけないじゃん」って都会暮らしの人に突っ込まれそうだけど、田舎にいる私としては、あんなの待ったうちに入らないよ。
ビュンビュン、次々に列車がやってくる。時刻表なんかいらないじゃん、って思えるくらいに。
それと人の数。日本の人口の十分の一がこの東京に集まってるんだって。そりゃあ混雑するはずだよ。
「東京旅行は楽しいか?」って聞いたお父さんに「うん!楽しい!!」って返事したけど、お父さんは「そっかー。菜波に喜んでもらえてよかったな」って。「でも住むには辛いとこらしい」って聞いてちょっとびっくり。そうなのかなあ。
何でも聞くには物価が高い、とかモノが何でも田舎の比じゃないくらい高いんだって。
人も忙しい人が多いせいか田舎より人情味がないって言ってたなあ・・・お父さん、都会で生活したことあるのかなあ。
人情味っていうのはたぶん、人のなさけとか優しさとかそういう意味だよね?お父さんはとても優しい人だから、じゃあそういうとこだと苦しんじゃうかもだね。
お父さんの自慢は地元の列車・宮郷線だ。
この鉄道が無かったら、今の自分はなかったらしい。
田んぼと森を縫って走る。
桜並木を抜けて。
新緑の森を、小高い丘を越えて。
秋の紅葉と、風に揺れる金の稲穂を近くに見ながら。
一面の銀の雪原を駆ける列車もすばらしい。
そんなふうにいつもお父さんは言っていたかな。
こうした景色は都会では見れない、この近くに住む者は見ようと思えばいつでも見ることができる。田舎暮らしの特権だよ、ははは、って。
不便だけど情緒がある。
そこがまたいいんだよって。
田舎の駅はぼろっちいけど、駅舎は木製で風情がある。
最新式の、大都会のような金属的でギラギラしたカッコよさはないけど、木でできた建物は独特の温かみがあるよね。
この七ヶ瀬駅はお父さんが生まれる前からあったらしいけど、当時も今も変わらず古い昭和の匂いがするんだって。
もちろん、いい意味でだよ?
お父さんがまだ実家で独身生活だった頃、やはりこの駅近くに住んでいて。
大学時代に知り合ったお母さんもまだ独身だった頃。
お父さんの優しさに惹かれた(お母さんいわく)お母さんが、自分から電話よこして「いまから会いにそっちいきますから」って。
積極的なお母さん。
お父さんを溺愛していたお母さん。
付き合っていてこの辺で会うときは、いつも七ヶ瀬の駅で待ち合わせていたんだって。
まだインターネットもメールも、携帯電話も普及してなかった時代。
何か急用でもあれば駅の掲示板に書き込んだり。
お父さんがお母さんにプロポーズするときは、電話とかじかにじゃなくって、思い入れのあるこの駅の掲示板経由で「どこどこで会いましょう」って伝えたんだって。
駅で待ち合わせてから一緒に説明して、そこに移動すればいいかもって思っちゃうのが私だけど、わざわざお父さんが「大事な話があるから待ってます」って先に移動して待ってるのがなんかいいよね・・・後から思ったことだけど。
お父さん風に言うと「粋だろう?」ってことかな、ふふふ。
「デートをどこでしてたの?」とか聞いてもお父さんはあまり深いことは教えてくれなかったけど、お母さんに聞いたら「面白くて記憶に残ってるのはねぇ・・・」
って答えてくれた。
二十歳過ぎた大学生同士のころ、ふたりは出会っていろんなとこに行ったそうだけど、思い出すたびに笑えるのが「ディスコ」。
今だと「クラブ」?
お母さんは女友達と、数人の男子学生と遊びで行ったらしいんだけど、一人とても真面目そうな人がいて。それが後のお父さん。
寡黙な印象のお父さんはここがどういうとこかよくわかってなくて(?)ダンスもせずに、ひたすらテーブルの上の食事を食べてたんだって。
「踊らないの?」ってお母さんが聞いたら「ああ、踊るとこなんですよね?」って。
「いやあ、聞けばここのご飯、食べ放題だそうじゃないですか。こんなにあるのに、みんな食べもせずによく激しく踊れるなあと。若いんだからたくさん食べないと」って。「それに踊ったぶんだけ体力消費してるんだから、しっかり栄養補給もしなくちゃね」だって。
それ聞いて興味を持ったお母さん「この人は真面目で大人しそうなのに、話すと面白い」。
「踊りませんか?」
「いいんですか?」
「いいんです」
付き合いだしてからもお父さんのどこか少年のような純真さに惹かれてたそうで。
田舎育ちが長かったせいか、森に住む虫たちや川に棲息する魚たちに詳しくて、野山を散策するときはお母さんとよく出かけてはお父さんのする薀蓄に、お母さんは楽しそうに耳を傾けてたらしいね。
二人が結婚して私が産まれたときは、もうお父さんの実家の近くに借家してたみたいだけど、名前をどうするかって考えてたら、二人がよく会ってた近くの駅、今でも家の近くにある七ヶ瀬の駅から取ったらどうかとお父さんは提案し。
お母さんは「じゃあその駅の線路沿いに咲いてる菜の花の文字を入れたいなあ」って。
そう、七ヶ瀬駅は今でも、春になると沢山の菜の花に囲まれるのだ。
春の風を受けて心地よさそうに、沢山の菜の花が波のようにそよいでいる・・・。
「だったら『菜波』がいいな」ってお父さんが言って。
お母さんも「それがいい!」って言って。
「七」も「菜の花」もあってその子が思い出の場所の近くで育つ。
だから私は、春の陽光を浴びて揺れる菜の花。
長く続いた駅の名と、そこを見守りながらたたずむちいさな花たち。
それが、私の名前の由来。




