30.おもてなし
夕飯を食べた後、リビングで楽しそうに雑談をしている奏と母を放って、俺は自室で勉強を再開した。
本当はもう少し奏と会話をしたかったが……目先の欲求に負けた結果、自分の行く末がどうなるかは考えるまでもなく明白だったから、ここは我慢をした。
時計の針の音だけが聞こえる静かな自室。
しばらくの間、勉強に集中していると……一階から扉の開く音が聞こえてきた。
そこでようやく、俺は時計を確認して、現在時刻を確認した。
現在の時刻は、夜の十時。
「……今日は集中することが出来た」
最近、室内にいると誰かの視線を感じるような違和感を覚えるから、あまり勉強が捗っていなかったのだが、今日は違った。
いつも感じていた視線は一切感じない上に、熱が出た時みたいな背筋がぞーっと冷たくなる感覚もない。
中々、良い調子だ。
「……ま、多分考えすぎなだけなんだけどね」
俺みたいな陰キャを好き好んで盗撮するような奴がいるはずもないし。
そもそもこの部屋に最近、誰かを招いた記憶もないし。
……テストが近づいていることがストレスで憂鬱な気分になって、神経過敏になっていたのだろう。
ただ、今日それを乗り越えられたならば、明日以降も大丈夫な気がする。
「……そういえば父さんはもう帰ってきたのだろうか」
最近、課長に昇進したことを深く嘆いていた父は、昇進を機に帰宅時間が一層遅くなった。
それでいて、昇進をしたことで残業代も出なくなったそうで……それはもう嘆きに嘆きまくっていた。
「……奏は、もう帰ったかな?」
父のことはともかく、奏はまだ家にいるだろうか。
いや、いるはずがないか。
さすがに年頃の女の子をこんな時間から家に一人で帰すのは危ないから。
……ただそれなら、一言帰るって言ってくれても良かったのに。
まあ、俺が勉強に集中していたから、気を遣ってくれたのだろう。
「あっくん。夜食作ったけど食べる?」
「うん。もらおうかな」
唐突に自室の扉が開くと、奏は大皿におにぎりを二つ乗せて持ってきた。
よく見たら、大皿を持っていない方の手にはもう一つのおにぎりが握られている。
恐らく、奏も小腹が空いてこの自室に向かいながら食べていたのだろう。
お行儀が悪いなぁ……。
……あれ?
「奏、帰ってなかったの?」
「うん」
奏は嬉しそうに頷いた。
「おばさんが勉強に集中したいなら、今日は泊まっていったらって。お母さんに相談したら、いいよって。だから泊まったの」
「……へえ」
知らない間に、なんだかすごい話が進んでいて、俺はリアクションさえ碌に出来なかった。
「だから、今日はあっくん家に泊めさせてもらいます」
「あ、はい」
「お風呂は先程浴びました」
「そうなんだ」
「うん。あっくんと同じ匂いがするね」
「そうなんだ……?」
俺が日頃使っているシャンプーは男物。風呂場には、母が使用する女性用のシャンプーもあったはずだが、うっかり間違えたのだろうか。
「あと、パジャマはあっくんの体育着を借りました」
「そうみたいだね」
「サイズは……胸元がちょっとキツイ」
「……そうみたいだね」
俺は奏の胸元を一瞬チラリと見て、すぐに目を逸らした。
「あと、今日はあっくんの部屋に布団を敷いて眠ることになりました」
「……」
「おばさんがそうしなって。おばさんが言うなら仕方がないよね」
「…………」
「うふふ」
「……駄目だよ」
俺は俯いた。
「……あっくん?」
「……駄目だよ。奏」
「……駄目って言われても、しょうがないよ。おばさんが言うんだもん。他でもないおばさんが言うんだよ? それだったら従うしかないよ。だっておばさんが言うんだもん」
「……どうしても駄目だ」
「……ぶぅ」
俺は深いため息を吐いた。
「……君が布団で寝るだなんて」
それだけはどうしても、認めることは出来なかった。
「……へ?」
「君はベッドで寝なよ。布団では俺が寝る。フローリングに直に布団を敷くとクッション性がなくて、翌朝体がしんどいよ? 奏は……ちゃんと休んでよ」
「……あっくん」
奏はうっとりとした視線を俺に向けていた。声はどこか熱っぽい。
「あっくん。あたし今日、今までの人生でも一番、ぐっすり眠ることが出来そう」
「何言ってるんだよ、奏」
「だって……」
「そうしてもらわないと困る」
「へ?」
「君を家に泊めるってことは、俺に出来うる最大限のおもてなしをしなければならないってことなんだから」
奏がこの家に泊まるとなった以上、翌朝、彼女が全快の状態で目覚めないわけにはいかない。
それくらいの覚悟を持って、俺は彼女をこの部屋に一日泊めるのだ。
「……ど、どういうこと?」
しかし、奏に俺の意図は通じなかったらしい。
「奏、今晩はよろしく」
「……ひ、ひゃい」
「俺、君がまたこの家に泊まりたいと思えるように、しっかりと君をもてなすから」
「……うふふ」
「……」
「……うへへぇ」
奏はだらしなく微笑んだ。
今回初めて、主人公が発言をする度に首を傾げながら書いていた。
読み直してもなお主人公が何を言っているのかわからなかった。




