29.外堀
奏と母に夕飯の支度が出来たと呼ばれたのは、一人で勉強をして一時間くらい経った頃だった。
「それでね、敦ったらその時、なんて言ったと思う?」
「えー、なんて言ったんですかー?」
「それがね。うっさいバーカ。バーカって、まるで子供みたいに駄々こねだしてね」
「えー、かわいー」
リビングに向かうと、奏と母は二人でとても仲良さそうに会話を楽しんでいた。
「……可愛いかしら?」
「はい。あっくんの所作全てが可愛いです」
「あらー……」
二人の仲睦まじい姿を見ていると、少しだけ嫉妬心みたいなものが胸の奥に宿っていることに気が付いた。
……勉強の手を止めて料理を作ってくれた奏のことも、俺のために日夜仕事や家事に追われる母のことも、嫉妬心を抱いていいはずがないのに。
「……あら、敦。扉の前でボーっとしてどうしたの?」
「いつもありがとう」
「あらー……」
素直にお礼を伝えたが、母は少し困った顔をしていた。
今日、父はもう少し仕事が長引くそうで、母のスマホに先にご飯を食べていてくれと連絡を送っていたそうだ。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
「いただきまーす」
俺達は食卓を囲み、夕食を食べ始めた。
「二人とも、テスト勉強はちゃんとしている?」
「勿論」
「はい。あっくんに勉強を教えてもらってます」
「そう。敦、あなたも人に勉強を教えられるようになったのにね……」
「俺が学力テストで一位を取り始めたのは、中学一年の時からだよ?」
三年超、ずっと学年一位を取り続けていたのだ。
勉強を教えるくらい、造作もない。
「いや、コミュニケーション能力的な意味で」
そんな俺の楽観的な思考は、母により真向から真っ二つにされた。
ただ、なるほど。
母が、俺が勉強を他人に教えることが出来るかどうかで懸念していた項目は、学力よりもコミュニケーション能力だったわけか。
中々に失礼だ。
「母さん、ごめん。確かに俺、人に勉強なんて教えられそうもない」
本当、母の期待に応えられず、俺ときたらどれだけ失礼な奴なのだろう。
「諦めが早い」
「そこがあっくんの良いところですよ」
「でも、親の視点からしたら、息子にもう少し友達が出来てほしいと思うわけよ」
「友達が少ないことも、あっくんの良いところですよ?」
今日の奏、なんだかヤケに俺に対して全肯定だな。
いつもはここまで……全肯定、だったかも?
「そ、それにしても、奏ちゃん。最近、ずっとウチでご飯を食べているけど、ご両親は心配されていたりしない?」
母は何の気なしで聞いたみたいだったが、発言後、少し取り乱したように付け足した。
「いやね。あなたがウチに入り浸っているのが嫌ってわけじゃないのよ? むしろ、友達の少ない敦と仲良くしてくれて本当にありがたい。マジで」
母は、マジの部分を強く強調した。
「でも……それはこっちの都合であって、あなたのご両親の都合はどうかなと思ったのよね」
つまり、奏がウチに入り浸ることを、奏の両親がどう思っているか、という話か。
まあ……絶対にないことだが、もし俺が奏の家に入り浸ったら、母は俺に対して、あまり向こうのご両親のご厚意に甘えるな、と言うだろう。
ご厚意に甘え続けるのは、甘えた方も甘えられた方も気を遣う結果になったりするし、母はそれが嫌なんだろう。
「おばさん。いつもお邪魔しちゃって、ごめんなさい」
「いや、ごめんね。本当に謝罪なんて……」
「ただ、安心してください。ウチの親は、あっくんの家に行くこと、むしろ喜んでいる風なので」
「あら、そうなの?」
「はい。……あたし、フランスに入る時はあまり友達が出来なくて」
それは知らなかった。
「だから、病気のこともあってふさぎ込んでいたんですが……最近は元気に見えるようで、とても嬉しそうです」
……奏の笑みは眩かった。
「そう。それなら良かった」
母も嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、早く敦には責任を取らせないとね」
……背筋に冷たい汗が伝った。
母は一体、何を言っているのか?
「あら? あなた達、付き合っているんじゃなかったの?」
「はい」
奏は即答した。
「まだ、付き合ってないです!」
「そう。まだ、付き合ってないのね」
今日の味噌汁は、味が濃い目でいつもより美味しく感じるな。
「敦、こっちはもう準備万端だから」
「ジョークでもその類のものは笑えないよ、母さん」
俺は呆れたため息を吐いた。
「そういうのは相手もあることなんだから、おいそれと言うもんじゃないよ」
「あっくん。あたしも準備万端だよ?」
「ほら、奏もこう言ってるじゃないか」
本当、ジョークにしても笑えないことを言うもんだ。




