28.疑似体験
奏との家勉強を始めて数時間、外がすっかりと真っ暗になった頃、俺は部屋の電気を点けるために一度立ち上がった。
「ありがと」
「大丈夫」
最初こそ勉強にまったく集中出来ていなかった奏だったが、少し前からは一切の雑談をすることなく、勉強に集中するようになっていた。
「奏、さっきからすごい集中力だね」
「んー? んー」
そんな奏の集中力の高さを称えたのだが、彼女から返ってきた返事は生返事。
既に奏は、こちらのことなど完全に忘れているようだ。
……そういえば奏は、昔から集中力が高い子だった。
俺の家に遊びに来て、一緒にパーティーゲームをやる度に、彼女はゲームよりも俺の本棚に置いてある漫画に夢中になり、スゴロクで彼女の順番が来ても漫画を読むばかりで全然サイコロを振ってくれなかったこともあった気がする。
『奏、ゲーム止めて漫画に集中する?』
『え? どうして?』
そんな彼女の様子を見て、漫画に集中させてあげようとしたのだが……彼女はこちらの気も知らず、結局ゲームも並行でやって、どっちつかずで終わった回数は最早数えきれない。
「……まあ、今回は一つのことに集中しているみたいだしなぁ」
それであれば、以前のゲームの時のようにどっちつかずに終わることはないだろう。
高い集中力のまま、奏は一気に高順位を獲得することになるかもしれない。
「……んー」
更に一時間程、追加で勉強をしあった頃、奏は凝り固まった体をほぐすために腕を伸ばし始めた。
「もう結構な時間だね」
「んー? あ、本当だ」
奏は時計を見て、少し驚いた様子だった。
「いやあ、ここまで勉強に集中できたの、久しぶりかも」
奏は大層満足そうに言った。
「いつもはここまでじゃないの?」
「うん。……誘惑が多すぎてね、エヘヘ」
奏は頭を掻いた。
「へえ、君ってそんなに多趣味だったっけ?」
「いやあ、家でやっていることは一つだけだよ? ただ……その一つのことに熱中しているってだけ」
「どんなことをしているの?」
「うふふ。そんな恥ずかしいこと、言えないよぅ」
奏は頬を染めながら、恍惚とした表情を見せた。
……この話題はあまり深堀するべきではないってことだけはわかった。
「そろそろ母さん達、帰ってくると思う」
「そう?」
「うん。帰ってきたら夕飯作ってくれると思うんだけど、君も食べていく?」
「やった。うん。食べてく食べてく!」
奏は嬉しそうに微笑んだ後、少しの休憩を挟み、再び勉強に励みだした。
……本当に、すごい集中力だ。
「ただいまーっ」
玄関から母の声がした。
「あらー、今日も奏ちゃん来てるのー?」
「はーい。お邪魔してまーす!」
玄関先にいる母に聞こえるように、奏は大きめの声で返事をした。
パタパタと足音が聞こえた後、母が俺の部屋に入ってきた。
「母さん、扉を開ける時はノックしてっていつも言ってるじゃないか」
「奏ちゃん、こんばんは」
「おばさん、こんばんは」
「今日も可愛いわねぇ。あ、夕飯食べてく?」
「はいっ!」
……流れるように無視された。酷い。
年頃の男子の無視したら、反抗期になっちゃうぞ?
「それじゃあご飯作るから、ちょっと待ってて」
「あ、おばさん。あたしも手伝います!」
「あらー。いいのー? 嬉しいわー」
大層嬉しそうに母は喜んだ。
そういえば昔、母は俺に向けて、本当は息子より娘が欲しかった、と言っていた。
その発言を思い出してみて……。
やっぱり当時思ったように、そんなことを息子の前で言うもんじゃない、という気持ちが浮かんだのと、きっと母は、奏の今の反応に喜んでみせたように、娘と一緒にご飯の支度とかをしてみたかったんだろう、と思わされた。
……まさか母も、四十歳を超えてその夢の疑似体験が出来るとは、思ってもみなかっただろう。
「俺も手伝うよ」
「いいよ。あっくんは勉強してて」
「……でも」
「学年一位を取るんでしょう?」
……俺は目を丸くした。
ここ最近の奏は、何かとつけて、俺の留学を阻止しようとしてくる。
だからてっきり、俺が学力テストで学年一位を取ること疎ましいと思っていると思っていたのだ。
「うん。わかった」
だから、まさか……背中を押されるとは思っていなかった。
「うふふ。じゃああっくん。頑張ってね」
「……うん」
俺の部屋を出て行った奏と母を見送って、俺は再び勉強に集中するのだった。




