16.鈍感
早朝、いつもよりも少しだけ早い時間に目を覚ました。
昨日は遅くまで空港で奏と遊んでいたから、もしかしたら朝、疲労から起きれないかもと心配していたが、どうやらそれは徒労に終わったようだ。
「良い朝だ」
むしろ、朝の体調はいつもよりも良い。
あれだけ精力的に動いた翌日なのに、一切の疲労……どころか、全身にパッションが溢れているその理由を考えてみると、自ずと答えは一つに絞られた。
「……これも奏のおかげだな」
昨日の空港での奏との会話。
そして何より、帰りの電車の中での奏との会話。
一昨日までの俺は、目標を一日でも早く達成させたい。そんな意識が先行するばかりで、焦りが生じて、視界が随分と狭まっていた。
……でも、一夜明けた今は、その気持ちにも微妙な変化が生じていた。
目標を一日でも早く達成させたい、という気持ちに変化が生じたわけではない。
目標を下方修正し、楽をしようという気持ちが芽生えたわけでもない。
ただ、数年単位で抱き続けて、気付けば錆び始めていた目標達成のためのモチベーションが、昨日の奏との会話のおかげで再更新出来た。
どうして俺が、医師を志すようになったのか。それを再認識することが出来た。
それが、気持ちの持ちように大きく影響を与えていることは明白だった。
「あとで奏にお礼を言おう」
学校か……はたまた、最近の流れなら駅で会えるだろうか。
とにかく早く、奏にお礼を言いたい。
「おはよう」
逸る気持ちを抑えながら、俺はリビングへ。
「おはよう。あっくん」
そして、我が家のリビングにて……奏は母の振舞ってくれた朝食を食べていた。
「いやあ、今日は良い朝だね」
「……」
「あっくん?」
「会いたかったよ、奏」
「……えっ」
「えっ」
おかしい。
俺は素直な胸中を語っただけなのに、奏……ついでに母が、目を丸くして俺を見ている。
「どうしたの? 二人とも」
「……あんた」
「……あ、あっくん。あたしに会いたかったの?」
困惑気味の奏に尋ねられた。
「ん? うん。会いたかったよ。一分一秒でも早くね」
「……そ、そうなんだ」
「はー。お熱いこと」
奏は焼きたてのパンを持ったまま、顔を俯かせて、モジモジとしていた。
「奏、どうかした?」
「え?」
「ずっと俯いてばかりで、なんだか具合が悪そうだから」
「……うぇぇ」
俺は奏に近づいて、額に触れてみた。
途端、奏の顔がみるみると真っ赤に染まっていく。
「……熱はなさそうだね」
しかし、顔の赤さとは裏腹に、額の温度はそこまででもなかった。
何なら少しひんやりとしていて気持ちよいくらいだ。
「……あ、あっくん。ここじゃ恥ずかしいから、学校に行かない?」
「え? ああ、そうだね」
「じゃ、じゃあ、おばさん。行ってきます」
「行ってきます」
母はうんざりげな顔を見せるばかりで、俺達の挨拶に返事はくれなかった。
駅までの道中、しばらくの間、奏は俯いたままだった。
奏、本当に具合、大丈夫なのだろうか?
不安が募るばかりだった。
「……あっくん」
駅舎が見えてきた頃に、奏が声をかけてきた。
「何?」
「……その。さっき言っていたこと、本当?」
「……さっき?」
「あたしと一分一秒でも早く会いたかったって言っていたよね?」
奏の声のトーンが、少し下がった気がした。
「あたしも……あっくんに会いたかった。会いたくて会いたくて。あっくんが寝ている間に、勝手に家にお邪魔しちゃった」
「そうだったんだ」
「うん。……あっくんの傍を、離れたくないの」
奏が歩調を早めて、俺に急接近してきた。
「あっくんは、あたしの傍にずっといてくれるよね?」
そして、瞳の光沢を消して、俺に尋ねてきた。
「いや、ずっとは無理だよ。あははっ」
俺は笑った。
奏の奴、中々面白い冗談を言うものだ。
だって、ずっと一緒にいたいだなんて……文字通りの意味なら、俺達の手首を手錠で繋いだりしないと成しえないことだぞ?
そうなったら日常生活だって苦労が絶えなくなるだろう。
奏は笑っていなかった。
「……今度は、俺の話を聞いてくれる?」
俺は本題に入ることにした。
「さっき言ったじゃないか。君に早く会いたかったって」
「……」
「……ありがとう」
「……」
「ありがとう。奏」
俺は頭を下げた。
「君のおかげで俺、まだもう少し頑張れそうだから」
「……」
「本音を言えば、少しだけ心がくじけてしまいそうだったんだ」
「……!」
「でも……君が俺に再確認させてくれたんだ。どうして俺が、医師を目指したいと思ったか」
「……?」
「多分俺は、君がいないともう駄目なんだと思う」
「……ぇ」
「だから、ずっとは無理だけど、なるべく一緒にいてくれると俺も嬉しい」
……しばらくの沈黙。
「も、もうっ。あっくんは仕方がないなあっ!」
沈黙の後、奏は上機嫌にスキップを始めた。
やっとサイコホラー展開から脱却出来る時が来たと思ったんだが、もしかしたらこれも一種のサイコホラーかもしれない。怖い。




