その通知、どう思う? その2
離れて暮らす次男夫婦のところに、とうとうベビーが誕生した。里帰り出産はせず、退院後は自宅で初めての育児を開始。
予定より2週間も早い誕生で、育休が間に合わなかった新米パパの穴を埋めつつ経験者として手伝う為、最初の1週間は新米ママ実家のお母さんが手伝い、その後を自分が引き継ぐことになって先日、産後のお手伝いに赴いてきた。
ベビーのことはまた別途綴るとして、今日は持参したIT機器についてちょっと書きたい。
SNSや執筆、調べものしたり動画や写真を管理したり。諸々作業の傍ら大好きなアーティストさんのMV鑑賞、情報動画を視聴したり。自宅ではデスクトップPCとスマホで使い回してたのだが、今般は1週間ほどの長い滞在となるからスマホオンリーはちょっと心寂しい・厳しいな…。ということで家族で共用している小型の古いノートパソコンを整理しなおし、スマホと一緒に携行していくことになった。
慣れない家・普段と違う家族・生まれたての赤ちゃん。そこで過ごす初めての晩。初日のサポート家事が一段落して夜も深まり、熱い紅茶とともにやれやれとノートPCを開いてみた。
無事起動したのはよかったけど、いつものチャンネルの慣れ親しんだ画面を開くと、米粒よりも小さい文字が画面いっぱい、地模様みたいに並んでいる。
「……」
久々のノートPC。その画面の映像と文字の小さいことにちょっと衝撃を受けた。
勿論スマホよりも画面は大きい、とはいってもスマホはスマホ用アプリだから、それなりに見やすさ使いやすさがそれ用に整えられている。でもノートはPC版ソフトだから、それと比較できるもんでもない。自宅で使ってるやつの4分の1くらいだろうか、画面全体が凄ーく縮小されているのだった。
眼精疲労でしょぼつく目には、これがなかなか厳しい。画面表示設定を拡大すればいいだけなんだけど、その日はそれすらやる気力も残っておらず、ぼんやり、いつものMVやコメント欄を眺める。
疲れも伴った故か、目に入って来るこじんまりとした画面の景色に、なんだか世界が違って見えてきた。例えるなら、普段地上1.5メートルで歩いて見ている景色を、その時は数十メートル上空から眺めてるような気分、というか。没入感も居心地も全く違ったのだった。
なんとなく足が地につかないフワフワした感覚で、それでもお気に入りのYoutubeチャンネルでMVを幾つか巡っている最中。ポン!と画面の右端にポップアップで小さな四角い枠が飛び出してきた。
「ん?」
よーく見ると、以前打ったとある自分のコメントに対して「高評価がつきました」と記されてあった。リアルタイムで届いたそれは「だれか」がたった今、グッドをつけてくれたってことらしい。
急に飛び出してきたその枠の存在感に、なにか特別なお知らせか或いは返信が届いたのかと思った。
あれ?コメにグッドついた、のお知らせってこんな表示あったっけか?
自分のPCでは個別のポップアップ通知は殆ど無くて、ベルの通知マークに数字が すん!と表示され、開くと枠内に一覧で内容が羅列される形だったから、最初は何これ?感が強かった。
でもどっか見覚えもあって…ああそう言えばだいぶ昔に持ってた古いPCで、確かこんな表示だったっけな?と思い出した。
このノート自体が古いから入ってるソフトもきっとバージョンが古いんだな、くらいに思いながらお手伝いの期間を過ごした。その間は、いつものページにアクセスしてもなんとなく落ち着かない。
チャンネルの中身は全く同じなはずなんだけどなあ?別の窓から別の角度でその世界を覗いてるようで、見慣れた景色がどこか違って見えるような、ちょっと不思議な感覚だった。
そして滞在中ずっと、様々なお知らせを受信するたびに一個一個がその画面の右端に「はいどうぞ!」ってポコポコと飛び出しては混在状態のまま積み重なっていく(笑)、それにもなんか慣れることができなかった。
趣味である音楽チャンネルで視聴やコメ活を楽しむ自分にとっての重要度から言ったら「返信が届いたよ!」は是非ちゃんと届いて欲しい通知だ。その100%が好意的なものって訳では勿論ないけども、おおかたが暖かな返信で、そういうのを受け取る度に気持ちもフッと温もる。
他のSMSみたいにほぼリアタイで返信を行ったり来たりの遣り取りも可能だし、他の人たちの感想に色々な刺激や気づき、学びや感動を貰いながら、自分のペースで様々な人と語り合ったり。そんな自由度高い交流が出来るのは至極有り難く、楽しく大好きだ。コメ活で最も魅力に感じてる部分だ。
片や「グッドがついたよ通知」はまたちょっと感覚が違う。その「お知らせ自体の必要性」がイマイチよく実感出来ない。
だってそのグッドは誰が押したものか全くわからない上に、付くたび全部が通知されるって訳でもない。たとえ100個グッドがついても通知は一個も届かなかったりもする。チョイスの基準がわからない、多分無作為的な、極めてアバウトな通知だからだ。
コメントや作品とかに対してのグッドひとつひとつ。自分が頂いた時は、有難いな嬉しいなって気持ちは勿論ある。見てくれてありがとう、そのうえ賛同いただいて本当にありがとう!って、つけて下さった「どなたか」に対して素直に感謝を思う。
ただ、高評価通知そのものが毎回送られてくるとは決まってないので、状況は大抵自分から確認しに行ってるのが現状だ。
不特定多数が閲覧する場所に投じたコメント等に「高評価」が付いた場合、どんな基準で誰からのが送られてくるのか、受け取る側には一切、明らかにされないシステム(交流相手が特定されてる場合には、勿論その限りではないけど)。おそらくAIとかが適宜選び出しては勝手に送信してくるだけなんだろうな。
返信の通知に関しては、吹き出し式だと確かに「おっ!」となり リアタイ感の嬉しさが増す。ああ~ありがとう、でも申し訳ないけど即応が出来ないからあとで…、って事も多々ある。自分のペースで関わりやすいシンプルな一覧表示式が、慣れもあり使いやすくて性にあってるようだなあ、自宅に戻ったらあっちの画面で詳細確認してみよ。みたいに思いながら数日間を終えたのだった。
帰宅して。バタバタと留守の間に滞っていたモロモロを片付け、やっと日常のペースを取り戻した週末。アッと思い出してその通知表示の件を家族に尋ねた。
「あのさあノートPCにインストールされてるクロームとかのブラウザソフトって、バージョン古いまんまなのかな?いつも使ってるデスクトップのと同じブラウザだけど、通知の表示の仕方が違うんだよねー。なんでだろ?って思って」
「んー、ネットに繋げるたびに自動更新されてるからソフト自体はいつも最新の状態になってるはずだよ?」
「じゃあ通知の表示がすごい昔のやつと同じなのはなんでなんだろー?」
「通知ってYoutubeのやつ?」
「そうそれ。コメントとかにグッドついたよ、とか返信来たよ、ってやつ。私のPCはベルのマーク点灯と一覧だけなんだけど、持ってったノートだといちいち全部リアルタイムで吹き出してくるの、なんでなの?」
どれどれ。とノートを引っ張り出して来てYoutubeを開いてみる。
確かに、お知らせを受信するたび一個一個うやうやしく、ポップに飛び出してきた。
「この方式ってさ各通知、すごい高い評価とか特別なメッセージ受け取ったみたいなスペシャル感が、なんかあるよねえ?」
実際には単に誰からかわからないグッドをひとつ貰ったってだけであっても、あれっ!?と目と心を引き、内容によらず独特なスペシャル感がふっと過る気がするのだ。
自分は、これじゃない方が使いやすいんだけどなあ。
「どこをどういじったらこのポップアップ表示がなくなるの?」
「これって多分、ソフトの通知設定の違いだと思うよ?」
ふーん、そうなのか!という事で、その設定を確認してみることに。
まずはYoutube。そこの設定では、通知の有る無しを選択は出来ても表示方法そのものを選ぶことはできなかった。
それじゃあウェブブラウザ(自分の場合はChrome)の設定の方かな?ということで
「システム→通知→アプリ→アプリやその他の送信者からの通知→Google Chrome」の設定状態を、確認してみた。
あっ!表示方法に2種類ある!
個別表示のポップアップ形式(通知バナーを表示)と、一枠内の一覧(通知センターに通知を表示する)形式が選択できるようになっている!
片方だけを選ぶことも両方をオフにも出来るし、両方オンにすることも出来るようだ。
これだ!
試しにバナーとセンターの両方を交互にオンにして、家族のアカウントから返信を送り、その際の表示の違いを確かめてみた。
でたあ!
通知バナー・オンでは、ブラウザを開いた瞬間に通知の一個一個が(受信のタイミングで)ぽこん!と画面の右下に吹き出してくる。
うん、やっぱりこれはなんかだいぶ、スペシャル感があるよなあ(笑)
通知バナーをオフ(通知センター表示のみ)にすれば、いつも通りに通知ベルマークに赤丸で件数だけが都度表示され、そのマーククリック→プルダウン方式で、枠内に一覧で内容が表示がされた。
なるほど~~!こういうことだったのかあ!
通知の表示方法がそもそも選べるなんて、いまのいままで知らなかった!
Youtubeにおいて不特定多数の人が閲覧している場所で、誰からのか一切不明なはずのグッド取得通知が届いたことを「(誰かからの)連絡が来た」と表現されてる場面に時折遭遇したが、その解釈の飛躍が長らくとても不思議だったのだけど。
こんな風にふいに画面に飛び込んでくる通知バナーの吹き出しは、まるで漫画の台詞みたいだ。受け取った瞬間に「誰かから話しかけられている・ねえ、と呼び掛けられている」かのように感じられる要素が、無くはないのかも。
わかりやすく目につき易く報せる「通知」というものに求められる性質を考えたら、それも手段の一つとして有用なんだろうな。
ただ個別の通知バナー表示は、即時性と指向性も強くて、人によっては特別感が高く感じられる場合もあるから、実際の情報量以上にウェイトが重く捉えられがちになるのかもしれない。
非対面の匿名コミュニケーションの気楽さに加え、承認欲求が強くあったり対人コミュニケーションに飢えてたりするとグッド依存等に傾いたり。
更に言うなら、とにかく誰かに構って欲しいみて欲しい、わざと悪態つく事で目立ち自分の存在を示し誰かに構って貰いたい「あらし」達の蔓延る遠因の一つに、こういった吹き出し通知表示のインパクトも、関連は少なからずあるのかもしれないなあと、ちょっと思った。
PCやスマホを使うようになってから大分経つけど、通知表示の設定までいじってみたのは今回が初めてだった。家族やビジネスで機器を共有してたりとか、画面表示に気を使わねばならない使用条件にある場合とか、ユーザーによってこの設定変更が不可欠なケースは勿論いっぱいあると思う。
けど、割と多くの個人ユーザーが私のように特に疑問も不都合も感じずに、機器を入手した際の初期設定のまんま当たり前に使い続けてたりするのかもなあ?と(調べた訳でもないけど)想像している。
人間の感覚って面白い。
データとしての中身は全く同じはずなのに、目に入って来る表示の仕方ひとつで、受け止め方・心の反応も何某か変わって来る。
大きな画面、小さな画面、ポップアップ、一覧、目にしたタイミングでの心理状態。背景。経験値、等々。広告とかってその最たるものだろうな。
もっと言えば、同じ映画を劇場の大スクリーンで見るのと自宅のテレビで鑑賞するの、やっぱ明らかに感動や受け止め方が違って来たりするし。
五感に働きかけてくる色んなツールを通して、たったひとつの「グッド」も全部異なった色合いで人それぞれの心に情報や交流アイテムとして、反映されていく。
その解釈・正誤の判断も個人に委ねられ、有益無益、美醜や喜怒哀楽、怖いとか煩わしいとか…いろんな思考や感情が、そこから巻き起こっていく。
人目を引き心理状態を左右する視覚効果に様々に飾られた情報が、そこにもかしこにも溢れ捲ってるいま。魅力的なサムネや興味引く見出し文につい釣られ、ちょっとだけ…と開いてみたら、実にしょうもない動画やウェブ記事だったり…(笑)
恥ずかしながらそんなことは毎日のように、ある。
そして次の瞬間から類似の動画や情報がぞろぞろとお勧めに上がって来るのだ。
そういったことに惑わされ煽られ踊らされ、心もエネルギーも時間も無駄に消費して疲弊していく事ってほんと、珍しくない。
その一方で、中身が持つ実際の意味・本質を見過ごしたり見誤ってしまうのは最も避けたい、口惜しい事だと思う。
見た目・耳ざわり・手触りや口当たり良く粉飾された「見かけ」に惑わされてはならんなあ。
受け取った情報を取り込む前に、その本質が何かを冷静に見極めるための余白と余裕。いつでも手放さず持ってることってやっぱ大事だなあ心掛けていかないとなあ…と改めて強く思った今回の体験だった。




