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千夏の話1

 千夏さんの努力で幸弘は十和瀬酒造会社に戻った。一応会社はこれから本格的な醸造に入るので馴れた人ならと戻した。妻の希実世に家族は、余りいい顔はしていない。それでも住宅補助はしている。あれほど毛嫌いしていた会長の妻も賛成して、幸弘の住まいも、手入れされたマンション暮らしに代わった。それで幸弘夫妻は千夏さんに対しては頭が上がらなかった。

 千夏さんは神戸の人だ。伏見と二分する同じ酒所の灘で、矢張り酒造関係の家に生まれ育った。そこへ利き酒の品評会で長男の十和瀬功治と会ってから、最初はお互いに相手の酒をまるでけんか腰に貶し合っているうちに、一緒になってお互いに酒にはうるさい。

 元々は伏見の酒は甘口で灘の酒は辛口だった。だが初代会長が辛口に挑んでから千夏の家とは繋がりが出来て、いがみ合っていた二人だが(こん)(ぽん)では認め合った。両家では、当人同士は喧嘩ばかりしてヒヤヒヤもんだった縁談が、最後はスムーズに行ったのは、人の本質を見抜く千夏さんが此の人ならと決めた。

 今までは十和瀬幸弘に呼ばれたときだけ小谷は、十和瀬家を訪れていた。十和瀬に代わって入社した会社から仕入れの出入りを任されてからは、頻繁に訪れて千夏さんの人となりも判ってきた。

 この日も小谷が来ると、店番をするパートのおばさんも心得た物で、大概は奥の事務所にそのまま素通りさせて貰った。

 千夏さんは酒造会社の若女将にしては、地味な銘仙の着物を粋に着こなして、事机を前に伝票に追われていた。

「どうですか酒の酵母の熟成は」

 彼女は事務椅子に座りながらも着物が似合っている。此の前の菜摘未のあの赤いタイトスカートのスーツは何なのだと想わせる。菜摘未も長めの髪だが彼女のは手入れが行き届いているのか、サラッとして屋外なら颯爽と靡いていた。目は整った鼻に合うように細いながらもクリッとしている。丁度額の真ん中で分けて後ろで束ねているから、槍ヶ岳のような額でアルビニストならぐらっと来そうだ。




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