香奈子の場合5
会長の話になると、さっきと同じように一瞬瞳が陰った。これで相当気にしているのが判った。
「そうなのよ」
と返事をした時には、切れ間から出た月のように、煌々《こうこう》と瞳は輝きを取り戻した。
「それで菜摘未が怪我をして入院した頃にあの店に引っ越したんですか」
「そうよ、もう家族みんなに知れてしまえばお母さんに一軒の店を持たそうとしたのよ」
母は菜摘未さんが入院したと聞いて急いでお見舞いに行った。その時はあたしはまだ何も知らなかった。病院には家族が揃っていて、鴈治郎の口からお前達の兄弟だと知らされておお騒ぎになった。それで亡くなられた先代会長の「みっともない」のひと言で、此の機会にこうなれば家のお酒の宣伝も兼ねて、先代会長は息子の十和瀬鴈治郎に「そんな安アパートに囲っておくな」と母に店を持たせた。
丁度店の商品を扱ってくれる店を探していたが、みんな大手の酒造会社に提携して中々そんな店が無かった。そこで今の店を作ってくれた。場所も会社の近くで気に入ったお酒があれば、家に寄ってもらって買って帰れるようにした。会社の近くに店を出すことには誰も反対はしなかったが、一人だけ鴈治郎の奥さんが反対したそうだ。それで今でも内とは仲違いしている。無理も無い、何で浮気の相手に本家の目と鼻の先に店を持たして、頭にこない妻がどこに居るんでしょう。
とにかくこれで母はやっと陽の差す場所に出られた。それまで母は夜の仕事で昼間は遅くまで寝ているから、香奈子は学校から帰ると入れ違いに母が出て行く、そんな生活が小学校を上がる頃まで続いた。だから私をいつも待っていてくれる母の存在が、気持ちを前向きにさせてくれた。
「家が広くなったので文庫本ばかりだけれど、また多く本を買いそろえてしまったの」
彼女は茶目っ気タップリに舌を出した。




