第二十章:灰の巫女 ― 最初のマスター
光の霧が晴れる。
崩壊した理界の中心に、静かに立っていたのは――“人”だった。
灰の巫女。
だが、彼女の姿は神々しさよりも、どこか儚さを帯びている。
白い衣はひび割れ、髪は灰色の光を反射している。
その瞳だけが、深く、悲しみに染まっていた。
「ようやく……ここまで来たのね、詩」
その声には怒りも敵意もない。
ただ、諦めにも似た穏やかさがあった。
詩は一歩踏み出す。
「……灰の巫女。
お前はいったい――何者だ」
巫女は微笑んだ。
その笑みは、どこか“人間的”だった。
「昔は……あなたと同じ、“ダンジョンマスター”だったわ」
「……!」
セリアが驚きに息を呑む。
詩は眉をひそめ、目の奥を細めた。
「最初の……?」
「ええ。
人間として生まれ、理界に選ばれた最初の存在。
“創造者”と呼ばれていた時代もあったわ」
灰の巫女は指先で空気をなぞる。
淡い灰の光が、その軌跡に沿って流れた。
「でもね――“理”は人の心を許さなかった。
感情を排除し、完璧な秩序だけを求めた。
だから私は、心を取り戻すために“感情の世界”を創ろうとしたの」
ミヤが小さく光を放ち、詩の背後で分析を始める。
『確認。灰の巫女の魔力構造――古代理界型。
通常のマスターより三千年以上前の記録です』
「三千年……!」
セリアが息を呑む。
「そんな、長い間……」
「ええ。理界が何度も崩壊し、再構築されるたびに、
私は“巫女”という形で存在を保ってきた。
けれど――もう限界なの」
その声は、哀しみに満ちていた。
詩は一歩進み、低く呟く。
「……お前の望みは、理の破壊か?」
「いいえ、違うの」
灰の巫女はゆっくり首を振る。
「理を壊したいんじゃない。
“理の中で苦しむ心”を、救いたいの」
その瞬間、彼女の身体が微かに崩れた。
灰の粒子が風に舞う。
「けれど……“理の外”に心を置くことは、存在の崩壊を意味する。
私はその境界で、何度も、何度も壊れて……いま、こうして残骸になっている」
セリアの目に涙が滲んだ。
彼女は巫女に近づこうとしたが、詩が手で制した。
「……なら、なぜ俺を導いた。
“理と情を融合せよ”と、何度も声をかけたのはお前だろう」
灰の巫女は静かに笑った。
「あなたなら――できるかもしれない、と思ったから。
“理を保ったまま、情を抱ける存在”。
わたしが果たせなかった夢を、あなたが継ぐかもしれないと」
沈黙が流れる。
詩は、彼女の眼差しを真正面から受け止めた。
「……俺は、お前の願いを否定しない。
けど――お前のやり方は、あまりにも犠牲が大きすぎる」
灰の巫女の目が細められる。
微笑が、ほんの一瞬だけ、悲痛に歪んだ。
「だからこそ、あなたに託したの。
この“灰の理核”を――」
彼女が手を差し出す。
掌の中には、小さな灰色の結晶。
それは詩の理核と共鳴し、淡く脈を打っていた。
『警告:理核同調率上昇。
融合すれば、巫女の意識の一部が流入します』
「……詩」
セリアの声が震える。
「それ、危険よ。あなたの理まで侵食される」
詩は小さく笑った。
「大丈夫だ。
――俺には、ミヤがいる」
『はい。ご主人さまの“理”は、わたしが守ります』
そして詩は、その灰の核を手に取った。
灰と蒼の光が交わり、世界が震えた。
灰の巫女の声が、静かに響く。
「ありがとう、詩。
どうか、わたしの夢を……続きを、見せて」
彼女の身体が光に溶け、空に昇っていく。
灰の霧が晴れ、空が蒼く戻っていく。
セリアは小さく呟いた。
「……彼女も、救われたのね」
詩は拳を握りしめ、空を見上げた。
「いいや。
まだ、“終わっていない”」
彼の瞳が、灰と蒼の二色に輝いていた。




