第十九章:虚無に哭くものたち
灰の空が、歪んでいた。
世界の理が崩壊し、空間が波打っている。
詩とセリア、そしてミヤは、荒れ果てた理界の中に立っていた。
「……これが、“感情だけで構成された存在”か」
詩の目の前には、無数の“顔”が浮かんでいた。
怒り、悲しみ、絶望、憎悪――
それらが渦を巻き、巨大な形をとって蠢いている。
肉体も魂も持たず、ただ“感情”の塊だけで動く異形。
『検出:対象、名称不明。構成情報――感情波形99.8%、理構造0.2%』
ミヤの声が冷静に響く。
「つまり、ほとんど“理”を持たない生物ってわけか」
『はい。理の欠片は微弱に残存。
……恐らく、“灰の巫女”がこの領域に感情を流し込んだ結果です』
詩は唇を噛んだ。
灰の巫女の目的――それは、“感情”による理界の上書き。
理を壊し、世界を“心のままの混沌”に変えること。
「理が消えれば、秩序も消える。
……けどな」
詩はゆっくりと、蒼く光る瞳を開いた。
「俺がここにいる限り、“理”は消えない」
その瞬間、周囲に青い光の陣が広がる。
ミヤの声が重なった。
『《Core-Fusion System》稼働率、上昇中――現在74%。
理構造、詩の神経系と完全同期。』
「セリア、守りは任せた」
「わかった。あなたの背中は、絶対に傷つけさせない」
セリアが杖を掲げると、紅い障壁が展開する。
詩はその前に立ち、静かに右手を上げた。
「――《理構文・零式展開》」
光が世界を貫く。
蒼白い線が空間を走り、虚無の異形たちを解析していく。
情報が流れ込み、詩の脳内で無数の数式が組み上がる。
『感情波形、干渉率92%。
直接攻撃は無効化されます――理的再構築を推奨』
「じゃあ、“感情”を理に変える」
詩の声は冷たく、しかし確信に満ちていた。
両手を組み、彼は目を閉じる。
「――《感情変換演算・第一段階》開始」
周囲の怒りと悲しみが、青い光に吸い込まれていく。
叫びが静まり、空気が変わった。
異形たちの姿が、ほんの一瞬だけ“人の形”を取り戻す。
「これは……!」
セリアが息を呑む。
詩の瞳が蒼く燃え上がる。
「感情を否定するんじゃない。
“理解して、再構築”するんだ」
光の渦が広がり、異形たちがひとつずつ消えていく。
代わりに、空間に小さな光の粒が舞い上がる。
それは“救われた感情”の残滓。
『……対象消失。理構造安定。
感情エネルギー、一部吸収成功。
詩の魔核、進化の兆候あり』
「進化……?」
『はい。感情を“理として受け入れた”影響。
ご主人さまの中で、理と情の融合が進んでいます』
詩は息を吐いた。
頭の奥で、微かな“声”が響く。
『――理を超えよ、詩。
お前の“心”こそが、世界を定義する』
灰の巫女の声だった。
だが、その響きはどこか懐かしい。
まるで、ずっと昔から知っていたような――。
詩は静かに目を閉じた。
「……いいさ。なら、見せてやるよ。
“理と情”が一つになった世界を――」
蒼と紅が交わる光が、崩壊した理界を包み込む。
セリアの髪が風に舞い、ミヤの瞳が揺らめく。
そして、空間の奥――灰の巫女の影が、ゆっくりと姿を現した。




