第十七章:理と情 ― 灰の声
――白。
視界を覆うほどの白光の中で、詩は一瞬、何も感じなかった。
ただ音も匂いもない、真空のような空間。
その中心に、“声”があった。
『……ルーク。いえ、大隅詩。』
懐かしくも、不気味な声。
柔らかいが、底が見えない。
その音に、詩の心が一瞬だけ軋んだ。
「……灰の巫女、か」
空間が揺れ、白が灰に変わる。
霧の中から現れたその影は、確かに人の形をしていた。
目のない顔。
けれど、声だけがやけに“優しかった”。
『あなたの理、見ていました。とても美しいわ。
けれど、それはこの世界に“存在してはいけない”理。』
詩は目を細めた。
「俺の理が“異質”だと言いたいのか」
『ええ。でもね――異質なものこそが、この世界を変えるのよ。』
『あなたの手で、理を壊して。世界を、新しい形に』
その誘いは、まるで甘い囁きのようだった。
詩の背後で、セリアが息を呑む。
「……やめて。あなたの声は、世界を狂わせる」
『セリア。あなたはまだ“選べない”のね』
灰の巫女が微笑むように首を傾げる。
その一瞬、セリアの身体が震えた。
彼女の瞳の奥に、微かな灰色が走る。
「……っ!」
詩が一歩前へ出る。
「セリア、下がれ!」
「大丈夫……私は、まだ……!」
だが声は震えていた。
巫女の声が、セリアの意識を侵していく。
『あなたも、かつて“理に縛られた”者。
なのに、なぜ彼の隣に立つの?』
セリアの表情が歪む。
「彼は……理を、変えた。だから私は――」
『変えた? それは破壊と同じよ。あなたはそれを“愛”と呼ぶの?』
沈黙。
そして、詩が口を開く。
「愛か破壊かなんて、どうでもいい。
俺は――俺の選んだものを、守る」
その言葉に、巫女の声が一瞬だけ止まる。
空気が張りつめ、灰の霧が波紋のように広がる。
『……あなたの“魔核”が、震えている』
詩の胸が熱を帯びる。
体の奥から、かすかな鼓動のようなものが響く。
ミヤの声が、少し焦った調子で響いた。
「ご主人さま……魔核の反応が異常です。
共鳴、いえ、感情値が……上昇しています!」
「感情値……?」
『ええ、そう。あなたの理が、あなた自身を変えていく。
あなたがこの世界を壊す前に――私が、あなたを取り込むわ』
灰の巫女が手を伸ばした。
その瞬間、空間全体が“反転”する。
上下の概念が消え、光と闇が混ざり合う。
詩は、痛みを感じなかった。
代わりに――胸の奥から、“声”がした。
『……まもる……』
「……ミヤ?」
詩の目が見開かれる。
ミヤの光体が、淡く揺らめいていた。
彼女の声が、震えながらもはっきりと響く。
「ご主人さまの心が……わたしの中に流れ込んでいます。
これが……魔核共鳴。ご主人さまの“想い”です」
「俺の、想い……?」
その瞬間、詩の視界に、過去の断片がよぎった。
会社のデスク。夜のゲーム画面。
孤独な光の中、ただ一つの願いがあった。
――「誰かと、繋がりたい」
灰の巫女の声が嘲るように響く。
『あなたの理の根源は孤独よ。
だから、どれだけ世界を造っても、空虚しか残らない』
「違う……」
詩は顔を上げた。
「俺は、孤独を理に変えた。
それでも、繋がれる世界が欲しかった。
理と心が、同じ場所にある世界を」
セリアが、震える指で詩の腕を掴む。
「詩……それが、あなたの理なのね」
「そうだ。
“理”は冷たくても、“想い”で動かせる」
詩が一歩踏み出す。
灰の巫女の影が揺れる。
「――再定義する。
“理”は、想いと共に在るものとする」
その宣言が響いた瞬間、世界が白く弾けた。
灰の霧が砕け、空が反転し、
巫女の声が、遠くで掠れながら消えていく。
『……あなたの理、見せてもらったわ。
次は……あなたの“情”を見せて』
音が消え、光が静まった。
そこに残ったのは、
ただ――詩の胸で淡く光る“魔核”だけだった。




