第十六章:理界戦争 ― 崩壊の序曲
空が、音もなく割れた。
世界の縁がめくれ上がり、そこから“別の法則”が溢れ出す。
光でも闇でもない――ただ、理そのものが形を失っていく。
「ご主人さま、空間歪曲率、臨界値を超えました!」
「把握。……転送座標、維持できるか?」
詩は冷静に問いながら、無数の魔術式を同時展開していた。
視界の端に、ミヤの光体が揺れる。
「ギリギリです。ですが――貴方なら、間に合わせます」
その一言に、詩は短く息を吐く。
指先が光を描くように動き、魔法陣が幾重にも重なっていく。
詩の戦い方は、他のダンジョンマスターとは異なる。
力押しではなく、解析と干渉の積み重ねだ。
「情報干渉領域――展開」
詩の言葉と共に、空間がデータのように“構造”を変える。
魔力の流れがグリッド状に可視化され、敵の動きがパターン化されていく。
「来るぞ……!」
セリアが声を上げる。
その前方、闇の裂け目から“それ”が姿を現した。
黒い霧の塊。
輪郭は人に似ているが、瞳も声も存在しない。
ただ、世界の法則を“模倣”して動く異界の存在――。
「外界干渉体。第零理層由来……」詩は呟く。「灰の巫女の手か」
その言葉に、セリアの表情が一瞬だけ曇る。
「……やはり、あの方はまだ生きているのね」
「生きてるかどうかも怪しい。理そのものに変わってる可能性もある」
敵が動いた。
周囲の空気が凍りつく。
セリアが詠唱を始め、詩はその詠唱に重ねるように指を動かす。
「第七階位構文、認識領域固定――理界圧縮!」
轟音が響く。
詩の周囲の空間が一気に圧縮され、敵の動きを封じ込めた。
しかしその刹那、敵の体から黒い糸が伸び、セリアの足元に触れる。
「セリア!」
詩の声が鋭く飛ぶ。
彼女は反射的に魔法を放つが、糸は空気に溶けて消える。
その代わりに、セリアの瞳の奥に、わずかな“灰色”が滲んだ。
「……なんでもない。大丈夫よ」
「今のは――精神干渉だ。灰の巫女の残滓が……」
「わかってる。けど、今は気にしてる暇ないでしょう?」
セリアの声はいつもよりわずかに震えていた。
詩は何も言わず、視線を前へ戻す。
「ミヤ、理界構造の再解析だ」
「はい――補助演算開始します。ご主人さま、敵個体は“自己複製型”。撃破ではなく“書き換え”が必要です」
「なるほどな」
詩の口元がわずかに歪む。
「なら、俺の出番だ」
指先が光を編む。
魔術式がひとつ、またひとつと形を変える。
詩はゲームのプレイヤーのように、冷静に、迅速に思考を積み上げていく。
“敵を破壊する”のではなく――“理を修正する”。
「――【再定義:存在変数=0】」
次の瞬間、敵の姿が霧散した。
黒い霧は音もなく崩れ、世界の裂け目がゆっくりと閉じていく。
セリアが呆然とその光景を見つめていた。
「今の……あなた、理そのものを……」
「ああ。変数を書き換えただけだ。あいつらの存在は、定義の誤りだ」
詩の声は淡々としていた。
だがその奥には、確かな疲労と、微かな怒りが滲んでいた。
ミヤが近づき、静かに告げる。
「ご主人さま。敵性干渉体、完全消滅を確認しました。ですが――理界構造に深刻な欠損が発生しています」
「……また“修正”が必要か」
詩は空を見上げた。
そこには、まだいくつもの亀裂が残っている。
光が漏れ、世界がひび割れ、そしてその向こうに――灰の巫女の瞳のような“光”が、確かにあった。
セリアがその光を見つめながら、低く呟く。
「詩……この戦いは、もう“世界”と“あなた”のどちらが正しいか、という話なのかもしれない」
「そんなもん、どうでもいい。
俺は――俺のダンジョンと、俺の仲間を守るだけだ」
詩の言葉が、崩れゆく理界に響いた。




