揺らぐ理界 ― 世界の亀裂
風が、鳴いていた。
大隅詩は、ダンジョンの最奥で立ち尽くしていた。
そこに広がるのは、彼自身が設計したはずの〈魔核中枢区〉。
だが今は、その構造が――まるで生き物のように脈打ち、歪んでいる。
「……座標固定ができない?」
目の前の地形がゆっくりと形を変える。
壁が、床が、空間そのものが波打つように流動していた。
システムウィンドウが赤く点滅する。
【理界干渉検出:レベル4】
【空間安定度:29%】
【次元座標:逸脱中】
詩は舌打ちした。
「まさか、“理界”そのものが動いてるのか……?」
ミヤの声が響く。
「ご主人さま、周辺空間のマナ構造が崩壊しています。理層が自己修復を始めていますが――このままでは、ダンジョンと外界の境界が曖昧になります」
「つまり……外からも、こっちが見えるってことか」
「はい。さらに、異空間干渉により“別の理界”との重なりが進行中です。これまで観測されたことのない現象です」
詩は息を吐いた。
ここ数日、理層の異常値は少しずつ高まっていた。
その原因が、今ようやく形になって現れている。
「移動準備を。上層に転移する」
ミヤの光体が淡く明滅する。
「了解しました。ですが……理界が乱れているため、転移精度が保証できません」
「構わない。失敗したら、また戻ればいい」
詩がそう呟いた瞬間、空間が弾けた。
無音の衝撃が全身を打つ。
視界が、ねじれる。
浮遊感――否、落下感。
身体が引き裂かれるような痛みとともに、詩は黒の中へ飲み込まれた。
* * *
――静寂。
次に目を開けたとき、そこは見知らぬ大地だった。
灰色の空、歪んだ地平、浮遊する岩塊。
そして遠くに、巨大な門のような影。
「ここは……どこだ?」
「ご主人さま、理界の外部構造と思われます。通常の物理法則が一部崩壊しています」
ミヤの声にも微かなノイズが混じる。
詩は足元の地を踏みしめる。
土ではない――結晶のような冷たい感触。
「理界の外、ね。じゃあ……“こちら側”から見た俺たちはどう映ってるんだろうな」
ふと、空を見上げる。
そこに、逆さまの街の幻が浮かんでいた。
まるで鏡面の向こう側に、現実世界が“貼り付けられている”ように。
「……ここが、“理の裂け目”か」
詩がそう呟いた時、視界の端で光が揺れた。
淡い蒼の粒子が集まり、少女の輪郭を形作る。
セリアだった。
その顔には、見たことのない緊張が走っている。
「詩……あなたも、ここに来たのね」
「セリア? お前まで――」
「理界が崩れたの。あなたのダンジョンが、“基点”になってる」
「……俺の?」
セリアは頷いた。
「あなたの魔核――あれは本来、この世界の理に干渉できない構造なの。
でもあなたは“異界の理”を使って構築してる。
それが、世界の自動修復機構に引っかかったのよ」
詩は言葉を失う。
自分の“外から持ち込んだ知識”が、世界の理を乱していた――?
「……皮肉だな。
俺が世界に順応しようとして作った仕組みが、世界を壊してる」
セリアの瞳が細められる。
「それでも、あなたはまだ止められる。
あなたが創った理なら、あなたにしか“修正”できない」
「……理の改修、か。だが、代償は?」
「それは――」
セリアが言いかけたその瞬間、空が裂けた。
轟音。
紫の稲光が走り、虚空が口を開く。
そこから滲み出るのは、黒い霧――
人の形を模した、しかしどこか違う“存在”だった。
「……来たわね」
セリアが構える。
詩の周囲に、ダンジョンの魔核リンクが形成される。
【外界接続:強制起動】
【理界同調:開始】
詩は低く呟いた。
「ミヤ、準備は?」
「全サブルーム反応あり。詩様、理層魔術を展開できます」
「――よし。なら、ここを“俺たちの戦場”にする」
灰の巫女がまだ何かを企んでいると知りながら、
詩は静かに拳を握った。
理が歪むなら、理ごと塗り替えればいい。
それが、この世界で“ダンジョンマスター”として生きるということだ。




