特別幕間:《陽と影の境界(Between Sun and Shade)》
――灰の戦いから、数日が経った。
第七層に咲く花々は、今も淡く輝いている。
静寂と、温かな風。
戦いのない日々が、ようやく訪れた。
ミアが花畑の中心で小さく歌を口ずさみ、
セリアはその傍らで、土をならしながら微笑んでいた。
「……こんな時間、久しぶりね。」
「戦闘がないと、お前は表情が柔らかい。」と詩が言う。
「あなたもね。いつも冷たい顔してるのに、今日は穏やかよ。」
「観察対象の変化を確認しているだけだ。」
「はいはい、理屈ばかり。」
ミアが小さく笑った。
「お二人とも、少し仲良くなられましたね。」
セリアがちらりと振り返る。
「ミア、あなたも随分柔らかくなったじゃない。」
「……そうでしょうか? でも、このお花たちが喜んでいるようで。
“ここは暖かい”って、そんな風に感じます。」
「花が、ね。」詩が呟く。
「はい。言葉ではなくても、伝わる気がするんです。」
詩は目を細め、花々を見渡した。
光を受けて、蒼と紅が揺れている。
かつて彼の世界にはなかった、穏やかな色だった。
詩の指先が空をなぞると、淡い光のスクリーンが浮かび上がる。
そこには魔力流と周囲の環境データが、精密に表示されていた。
「……魔力濃度、安定率九十六パーセント。外部干渉、なし。」
「つまり平和、ということね。」とセリア。
「ああ。……いや、待て。」
詩の視線が一箇所で止まった。
【観測異常:微弱魔力波 座標N-72.4 / 深度-03】
「……第三層北側。魔力反応、微弱だが人工的だ。」
「まさか、人間……?」セリアの声が低くなる。
「可能性は高い。冒険者か、観測者だ。」
ミアが一歩詩に近づく。
「どうなさいますか? 防衛を……?」
「いいや、攻撃は不要。観測を“許可”する。」
「許可、ですか?」
「彼らの探知は不完全だ。
少し情報を操作してやれば、我々を“活動停止した遺跡”として認識する。」
セリアは呆れたように笑う。
「あなたって、本当に怖い人ね。
けれど――理にかなっているわ。」
「理が崩れたら、世界は動かない。」
「でも、人は理だけでは動かないのよ。」
セリアが、少しだけ優しい声で言う。
詩はそれに答えず、スクリーンを閉じた。
地上――灰色の山脈の麓。
冒険者たちが三人、探索装備を整えながら魔力探知器を覗き込んでいた。
「この辺りだ。魔力波の反応がある。」
「最近、古代型ダンジョンが多いな。」
「けど、この反応……妙に“整ってる”。まるで管理されてるみたいだ。」
若い術師が眉をひそめる。
その言葉は、地中深くで詩の耳にも届いている。
「観測信号、こちらの魔力膜を通過。」ミアが報告する。
「補正開始。探知波にノイズを加える。」
詩が冷静に指を動かすたび、ダンジョン全体が微かに振動する。
「確認。彼らの探知波を、自然発生的な魔力残響へ変換完了。」
「……つまり、こちらを“古い遺跡”だと誤認させたわけですね。」
「そうだ。」
セリアが腕を組み、興味深げに見ていた。
「まるでチェスね。駒を見せる角度すら計算してる。」
「当然だ。情報戦は、開戦よりも先に始まる。」
「そうやって、あなたは生き延びてきたのね。」
セリアの声には、少しだけ敬意が混じっていた。
冒険者たちは記録を終え、夕日を背に帰還していった。
報告書にはこう書かれるだろう。
――「活動反応なし、構造安定。危険度低。」
地中深く、詩は小さく息をついた。
「……完了。観測線、遮断。」
「ふぅ……ご苦労さまです。」ミアが胸に手を当てた。
「外界の人々が、あなたを見つけたらどうなるのかしら。」セリアの声が少し遠い。
「恐れる者も、利用する者も出るだろう。」
「けど……あなたを理解する者も、きっといる。」
「それは幻想だ。」
「幻想でも、花は咲くわ。」
セリアが花畑に視線を落とす。
蒼い花弁が、柔らかく揺れていた。
ミアが微笑み、花の上に光を落とす。
「この光が、外の世界まで届くといいですね。」
「ああ……いつか。」詩が静かに答えた。
――理と情、そして心。
その境界に立つ彼らの存在を、
世界が初めて“感じ取った”夜だった。




