第1章・後編 支配者の目覚め
洞窟の奥は、静まり返っていた。
湿った空気と、岩肌を伝う水の滴る音。
そして中央に鎮座する、青白く輝く宝玉――《ダンジョンコア》。
大隅 詩はその光を眺めながら、ゆっくりと呼吸を整えた。
「現実感が……あるようで、ないな。」
『主様、転移の直後ですから、魂がまだ世界に馴染んでおりません。すぐに安定いたします。』
ミアの声は穏やかで、どこか鈴のように澄んでいた。
彼女の姿は、青白い光を帯びた半透明の少女――まるで人形のような整った顔立ちだ。
「それで……ここが、俺の“ダンジョン”ってことか。」
『はい。現時点では最下層の“原始階層”です。
支配範囲は半径五十メートル。小さな洞窟に過ぎません。』
「……まるで、チュートリアルマップだな。」
『ちゅ……? チュートリアル、とは?』
「ああ、俺の世界の言葉だ。“初期段階の練習用環境”って意味だよ。」
ミアは一瞬、首をかしげてから小さく笑った。
『なるほど……主様の世界にも、学びのための迷宮があったのですね。』
「まあ、そういうもんだな。
ゲームの世界では、初心者はまず基礎を学んで、少しずつ仕組みを理解していく。
……多分、こっちも同じだろ?」
『ええ。まさしくその通りです。
主様は非常に順応が早い方ですね。』
ミアはわずかに目を細める。
その瞳の奥には、喜びとも安堵ともつかぬ光が宿っていた。
詩は周囲を歩きながら、洞窟の構造を確認していく。
天井は低く、奥行きはおよそ百メートルほど。
岩壁の隙間には、魔力の流れ――“マナライン”が脈打っていた。
「このマナの流れ……ダンジョンの血管みたいなもんか。」
『その通りです。マナラインは魔物や罠の維持に不可欠な魔力を運びます。
また、外界から流れ込む生命力を吸収し、コアの栄養にもなります。』
「つまり、“効率よく吸えるように構築する”のが、この世界の運営か。」
『運営……?』
「つまり、“システム管理”だよ。
無駄な通路を減らして、マナの流れを最短にする。
罠や魔物を配置して、コストパフォーマンスを最適化する。
――まるでゲームの“リソース管理”だ。」
ミアは小さく息を呑んだ。
主が異界の人間であるにもかかわらず、まるで長年のマスターのように核心を突く。
『……主様。本当に初めて、なのですよね?』
「まあ、実際にやるのは初めてだけど……理屈は同じさ。
俺の世界にも、“最適化を競う”職業があったんだ。
数字を整理して、流れを整える――仕事ってやつだ。」
『それが……人々を支配する術だったのですか?』
「支配っていうより、“整理”だな。
混沌を秩序に変えるのが、俺の得意分野だった。」
ミアは静かに頷いた。
その瞳に、どこか信頼の色が宿る。
『主様。もしや、あなた様は……この世界において、強き“支配者”となるお方かもしれません。』
「どうかな。俺はただ、生き残りたいだけだよ。
けど……せっかくなら、上を目指すのも悪くない。」
詩はダンジョンコアの前に立ち、手をかざした。
その瞬間、コアの内部に淡い光が走り、ミアの声が響く。
《コア拡張メニュー》
・通路延長:10MP
・岩壁形成:5MP
・スライム召喚:8MP
・ゴブリン召喚:12MP
・罠設置(落とし穴・毒針・幻影):10MP〜
「……よし、試しに“スライム”を呼んでみるか。」
『承知いたしました。』
ミアが指先を振ると、空気が震え、魔法陣が床に浮かび上がる。
淡い光の泡から、小さな青い生き物が這い出た。
ぷるぷると震えながら、詩の足元を見上げるスライム。
透明な身体の奥で、微かに光が瞬いた。
「……かわいいな。」
『主様、それは敵を溶かす種です。可愛さに油断してはなりません。』
「わかってる。でも、“使える資源”には愛着を持つ主義なんだ。」
『……ふふ、主様らしいお言葉です。』
詩はしばらくスライムを観察しながら、コアの光を見上げた。
地上に出る階段は、まだ存在しない。
この場所は、完全に“隔絶された世界”だ。
「ミア。外の世界は、どんな場所なんだ?」
『地上には王国がいくつか存在します。
人間、獣人、エルフ、魔族――それぞれの国家が争いと同盟を繰り返しております。
そして、ダンジョンマスターはそのいずれにも属さぬ“第三の勢力”です。』
「なるほど。中立の支配者ってわけか。」
『はい。しかし、ほとんどのマスターは短命です。
冒険者に討たれるか、他のマスターに吸収されるか――いずれかです。』
「……つまり、生き残るのは、戦略を持った奴だけ。」
『はい。だからこそ――』
ミアは一歩近づき、詩を見上げた。
その表情は真剣そのものだった。
『主様。どうか、わたくしと共に“生き延びて”ください。
この迷宮が、主様の世界となるのです。』
詩は一瞬だけ目を閉じ、そして口元に微笑を浮かべた。
「もちろんだ。
生き残るだけじゃない。
――この世界の“構造”を理解して、支配してみせる。」
その言葉と同時に、ダンジョンコアが低く唸り、青光が強まる。
詩の中の魔力が共鳴し、迷宮全体が微かに震えた。
『……主様。今、コアが反応を。』
「わかる。――始まったな。」
その光景は、まるで世界そのものが“大隅 詩”という存在を認めたかのようだった。




