特別幕間1:《陽光の休息 ― 蒼と紅の小さな約束》
――灰の侵攻から数日後。
ダンジョン第七層、中央空間。
そこには、これまで詩が築いてきたどの部屋とも違う景色があった。
溶岩層でも、魔力炉でもなく、穏やかな陽光と草の匂いが満ちている。
ミアが転送陣を開きながら、小声で報告した。
「ご主人さま、セリアさんが……その、花畑を作るって言って聞かなくて……」
詩はモニタ越しに眉をひそめた。
「……花畑? 戦略資源にもならないだろう。」
「でも、魔力安定区域として再利用可能らしいです!」
渋々第七層へ降り立つと、そこに――
土をならし、汗を拭うセリアの姿があった。
「お前……何をしてる。」
「見てわからない? “癒しの庭”を作ってるの。」
紅い髪が風に揺れ、額に光る汗が朝日に照らされる。
その手は、かつて多くを焼き尽くした炎の手。
けれど今は、命を育てていた。
「ここに植えるのは《リーフ・フィリア》という花。
魔力を吸収して、空気を浄化するの。
戦い続けるあなたのダンジョンには、こういう“呼吸する空間”が必要よ。」
セリアが苗を植えるたび、淡い緑光が地面を包む。
その魔力は、炎とは正反対の“優しさ”のように感じられた。
「……効率的だな。」
「褒め言葉として受け取るわ。」
詩も無言で手伝い始める。
慣れない手つきで土をならし、魔力を注ぐ。
ミアは嬉しそうに走り回り、花に水を撒いた。
「ご主人さま、ほら! 咲きました!」
ひとつの小さな花弁が、ふわりと開く。
蒼い光が花の中心で瞬き、それをセリアが見つめた。
「綺麗ね……まるで、あなたの魔力みたい。」
「花を俺に例えるな。」
「ふふ。照れてるの?」
「分析してるだけだ。」
ミアがくすくす笑う。
花畑の空気が、ほんの少し柔らかくなった。
しばらく沈黙の中で作業が続いたあと、セリアがぽつりと呟いた。
「……昔ね、こうやって花を育てるのが好きだったの。
でも、戦争が始まって全部燃やした。自分の手で。」
詩は手を止める。
セリアの瞳は、少しだけ遠くを見ていた。
「灰の巫女に取り込まれた時、私の心の中で一番最初に壊れたのは“花”だったわ。
だから、取り戻したかったの。」
「……罪滅ぼしか。」
「そうね。けど、それだけじゃない。
あなたと一緒に作ると、不思議と“これから”を考えられるの。」
セリアは土に触れながら微笑む。
その笑顔は、どこか痛々しくも温かい。
詩はしばらく黙ってから、
自分の掌に魔力を集め、小さな光球を作った。
「……この光、しばらく保つ。
夜間照明の代わりになる。」
「優しいのね、あなた。」
「ただの設備効率だ。」
「はいはい。」
ミアが小さく笑った。
日が沈み始める。
花畑は柔らかな橙に染まり、風が優しく吹き抜けた。
セリアが立ち上がり、手を伸ばす。
その指先が、咲き誇る花のひとつを撫でる。
「いつか、この花が外の空気に触れる日が来るかしらね。」
「外の大気はまだ汚染されてる。魔力濃度も高い。無理だ。」
「でも、いつか。」
「……ああ、いつか。」
詩が小さく頷く。
セリアが微笑む。
「そのときまで、この庭を守りましょう。
あなたが理を築くなら、私は情でそれを包むわ。」
詩は花畑を見渡しながら、
ほんの少しだけ、口角を上げた。
「……いい約束だな。」
ミアが手を合わせるように笑顔を見せた。
「ご主人さま、セリアさん、これからも一緒に頑張りましょうね!」
花の光が三人の影を包み、
蒼と紅と白が重なり合うように揺れた。
――その日、詩の心に“温度”が生まれた。
理性の中に、確かに灯った小さな炎。
それが、後に彼を人間として繋ぎ止める最後の欠片になるとは、
まだ誰も知らなかった。




