第10章 ― 邂逅の余燼(よじん)
戦争の音が止んでから、十日が過ぎた。
大隅詩のダンジョンは、かつてないほど静かだった。
だが、静けさの裏に流れる魔力の密度は、以前よりも濃い。
まるで、世界の“心拍”が詩のダンジョンに集まっているようだった。
「……魔力の波、依然として不安定です。」
ミアがモニターを確認しながら報告する。
詩は黙ってデータを見つめていた。
数値上の変動は微々たるもの。
だが、魔力の“質”が変わっている。
――紅と蒼、二つの属性が共鳴していた。
「……魂界干渉の影響がまだ残っているのか。」
詩は呟く。
あの夢のような体験が、ただの幻ではなかったことを確信していた。
ミアは少し迷ったように口を開く。
「ご主人。……あの日から、変わりましたね。」
「変わった?」
「はい。以前よりも、“温かい”です。」
詩は苦笑を漏らす。
その表情は、どこか照れくさそうだった。
「感情を数値化できないのが、今は少し残念だ。」
「でも、それが“人間”じゃないですか?」
その言葉に、詩は一瞬、言葉を失った。
ミアの微笑みが、まるで紅の光のようにやわらかく見えた。
その時だった。
――警報音。
低く、地の底を震わせるような警告が響く。
「魔力異常検知! 外部干渉です!」
ミアが操作盤に駆け寄る。
詩は瞬時に《マスターリンク》を展開し、ダンジョン全域に意識を拡げた。
外周部、第七防衛層。
そこに、ひとつの強大な魔力反応があった。
だが、敵意の波形がない。
殺意でも侵略でもない――“呼びかけ”。
「……来たか。」
詩はゆっくりと立ち上がる。
ミアが不安げに見上げる。
「ご主人、まさか――」
「ああ。迎えに行く。」
地上に出ると、夜明け前の空が広がっていた。
紅と蒼の境界――夜と朝の狭間。
その中心に、彼女は立っていた。
紅の髪を風に揺らし、凛とした瞳で彼を見つめる。
セリア。
あの日のような敵意は、もうなかった。
ただ、静かに、真っすぐに。
「……来たのね、詩。」
「君の魔力反応、忘れようにも忘れられない。」
互いに笑う。
けれど、その空気はどこか張りつめていた。
「あの精神干渉のあと、あなたの魔力が少し私に流れた。
……まるで、心が繋がっているみたい。」
「それは一方的な共鳴だ。理論的にはあり得ない。」
「でも、感じるのよ。
あなたの冷たい理性の奥に、火がある。
それは私があの子に教わった“心の熱”と同じもの。」
“あの子”――ヴォルグのことだ。
詩は静かに目を閉じた。
セリアの言葉の一つひとつが、どこか胸に刺さる。
「……俺は感情を武器にする気はない。
だが、否定もしない。」
「ふふ、それで十分よ。
あなたが心を受け入れた時点で、この世界は少し変わったの。」
セリアが手をかざす。
空中に紅の光が舞い、やがてひとつの結晶となって詩の前に浮かぶ。
「これは……?」
「“魂共鳴石”。
私の魔力核の一部。
あなたのダンジョンに共鳴させれば、理性と感情の境界を越える“新しい回路”が生まれる。」
詩はそれを見つめ、しばらく沈黙した。
「それを受け取れば……俺は、君の力を共有することになる。」
「そうね。つまり――共犯。」
紅の瞳が、夜明けの光を映した。
「でもそれが、次の時代を開く一歩になる。
ダンジョンマスター同士の争いを終わらせる唯一の方法よ。」
風が吹く。
紅と蒼の粒子が空で交わり、淡い紫の光が生まれる。
詩は手を伸ばした。
指先が結晶に触れた瞬間、ダンジョンの深部で反応が走る。
《理性回路》と《感情核》――
相反するはずのふたつの原理が、融合を始めた。
「……始まったわね。」
「ああ。だが――この道の先に何があるかは、まだわからない。」
「それでいいの。
“心”って、わからないからこそ、尊いんだから。」
セリアが微笑む。
その笑みは、もう敵ではなく、仲間でもない――
ただ、同じ運命を背負う者の微笑みだった。
夜明けが訪れる。
紅と蒼が溶け合い、世界が新しい色に染まっていく。
詩は結晶を胸に収め、ゆっくりと歩き出した。
「……さて、次は情報戦の始まりだ。」
「え?」
「新しい“理”が生まれたなら、それを奪おうとする者も現れる。
――次の戦いは、目に見えない場所で始まる。」




