幕間 ― 紅の残響
戦争の音が、ようやく止んだ。
地の底は、まるで世界そのものが息を潜めているように、静かだった。
崩れた壁の中――ひとつの紅い光が、まだ消えていなかった。
それは、感情の塊。
セリアの配下、《紅牙将ヴォルグ》の魂の残滓だった。
「……ヴォルグ。」
声が、暗闇の中に落ちた。
その音だけで、空気がわずかに震える。
紅い髪の女――セリアが歩み寄る。
彼女の足音は静かで、しかし重かった。
瓦礫を越えてしゃがみ込み、光を包み込むように両手で掬う。
その掌の中で、赤い光がかすかに鼓動する。
「そんな顔……してないわよね。
あなた、最後まで“勝ちに行く顔”だったもの。」
光がわずかに瞬いた。
まるで、応えるように。
セリアは微笑んだ。
懐かしむような、痛むような、柔らかい笑みだった。
「覚えてる? 最初に出会った日のこと。」
その声に、紅い光が強く脈打つ。
彼女の脳裏に、遠い記憶が浮かんだ。
――まだ、世界が今ほど殺伐としていなかった頃。
ダンジョンマスター同士の戦争が始まる前。
セリアは、初めて自分のダンジョンを創ったばかりだった。
その第1層で、群れから追放された一匹のコボルトが、
自分の子を守るために必死に戦っていた。
弱く、愚かで、そして――どこまでも優しかった。
「“群れ”を守るために群れを裏切るなんて、変わってるわね」
そう言って近づいたとき、
そのコボルトは牙を剥きながらも、震える声で答えた。
『……俺は、あいつらの父親だ。守るのが俺の群れだ。』
その言葉に、セリアは心を動かされた。
彼女自身が“何かを守る”という感情を、まだ知らなかったから。
その日から、彼女はそのコボルトに魔力を与え、
肉体を再構築し、知性を与えた。
それが――紅牙将ヴォルグ。
ただの眷属ではない。
セリアにとって、初めて“家族”というものに近い存在だった。
「あなたはずっと私の右腕で、
私の“怒り”であり、“誇り”でもあった。
戦場で誰も残らなくても、
あなたがいれば勝てるって思ってた。」
彼女の声が震える。
手の中の紅い光が、静かに明滅を繰り返した。
『……主……勝てたか……?』
かすかな声が、心の中で響いた。
セリアは目を閉じて首を振る。
「勝ってない。でも、負けてもいない。
あの男――詩。彼は理性で戦った。
でもね……理性には、心の重みがない。」
『……なら……燃やせ。俺の心を……お前の中で。』
紅い光が、彼女の手の中で弾けた。
まるで、笑うように。
セリアは涙を流さなかった。
ただ、静かに息を吸い込むと、胸に手を当てる。
「あなたの怒り、ちゃんと受け取ったわ。
次は、私が“あの理性”を試す番。」
光がゆっくりと彼女の胸の中に溶けていく。
紅から金へ――怒りが、祈りの色へ変わっていった。
やがて、崩壊しかけたダンジョンが再構築を始める。
地が脈動し、紅の結晶が再生していく。
セリアは立ち上がり、戦場を見渡した。
遠くで、まだ蒼の光がかすかに瞬いている。
「詩……あなたの理性は、美しい。
だけど、それは“誰かの痛み”を知らないままよ。」
その声は穏やかで、しかし確かに“復讐”の予兆を孕んでいた。
風が吹く。
瓦礫の中から、ヴォルグの残した折れた牙が転がり落ちる。
それを拾い上げ、セリアは首元に吊るした。
「あなたは私の牙。
次に噛みつくときは、世界の心臓にね。」
紅の光が、静かに闇を照らした。




