第7章 理性の檻、感情の火
赤眼の侵入者を撃退してから、数日が経った。
詩のダンジョンは、依然として静かに稼働を続けていた。
罠は再配置され、戦闘データは整理され、モンスターの行動アルゴリズムも最適化。
数字で見れば、すべては順調だった。
――だが、胸の奥で、何かがざわついていた。
『主様? 今、ぼんやりされてました。』
「……そうか。」
詩は視線を画面から離さず答えた。
指は無意識のうちに地図を拡大し、何度も同じエリアを確認していた。
『セリアの使い魔の残留波……もう完全に消えています。
再侵入の兆候もありません。』
「……わかってる。」
『なら、なぜそんなに警戒を?』
ミアの声は少し柔らかい。
それは詩の理性的な思考の外に、ほんのわずかな“不安”を感じ取っていたからだ。
詩は小さく息を吐いた。
心のざらつきを吐き出すように。
「……観察されていた。
俺たちの思考、構造、戦術、すべてを。
――俺の“やり方”が通用しない相手が、確実にいる。」
『……怖いですか?』
問われ、詩はわずかに沈黙した。
「怖い、か。
理屈では説明できない、見えない情報。
そういうものを“怖い”と感じるのは、たぶん――普通の人間らしい反応なんだろうな。」
『主様は普通ですよ。』
「そうか? 俺はただ、ゲームをしてるだけだ。」
『でも、勝ちたいから戦ってるんです。
それって――“生きたい”ってことですよ。』
ミアの声には、確かな温度があった。
詩はふと、その優しさに違和感を覚えた。
転生してから感じたことのない、あたたかい波。
そのとき――視界の隅にノイズが走った。
モニターのひとつが乱れ、映像が歪む。
『……!? 主様、通信干渉です!』
「セリアか。」
詩の声が低くなる。
画面の中で、光が集まり――やがて一人の女の姿を形作った。
金色の瞳。黒い外套。
微笑を浮かべるその姿は、以前に見た“紋章の眼”とまったく同じ光を放っていた。
「久しぶりね。……いい観察結果、取れたわ。」
「通信経路をどうやって……」
「あなたのダンジョンは“論理”でできている。
だから、感情という非論理を流せば簡単に“隙間”ができるのよ。」
『……精神干渉!? この層まで……!』
ミアの声が震えた。
セリアはそれを愉しむように笑う。
「ねえ、詩。
あなた、本当に“理性だけ”でこの世界を生きられると思う?」
「生きるのに、理屈以外必要ない。」
「ふふ……だから面白いの。
あなたの理屈が、私の“感情”を測れるなら――証明してみせて?」
次の瞬間、視界全体が白く弾けた。
目を開けると、そこは“ダンジョンの中”ではなかった。
空も地も曖昧で、空間が形を持たない。
ただ、光と音が脈動している。
『主様、ここは……!?』
「……精神界。セリアが干渉してきた。
俺の“内側”に。」
「ようこそ、“理性の檻”へ。
あなたの心を、見せてもらうわ。」
セリアの声が響く。
周囲の光が、人影を形作っていく。
それは、詩自身の姿だった。
もう一人の詩が、静かに問いかけてきた。
「お前は誰だ? 本当に“俺”なのか?」
その問いに、詩の呼吸が止まる。
ミアが声を上げるが、遠く、届かない。
セリアの声が重なった。
「あなたが否定してきた“感情”のすべて。
恐怖も怒りも、愛も――全部、ここにいるの。」
詩は拳を握る。
冷静な思考が、感情の奔流に押し流されそうになる。
「……くだらない幻術だ。
理性は、感情に支配されない。」
「そう? でも理性の源は感情よ。
“何かを守りたい”と思った瞬間に、初めて理屈が生まれるの。」
セリアの言葉に、詩の胸がわずかに熱くなる。
理屈では説明できない、何かが――確かに揺らいでいた。
『主様! 戻ってください! これは罠です!』
ミアの叫びがかすかに届く。
詩は歯を食いしばり、己の幻影を見据えた。
「……理性は檻じゃない。
“生きるための形”だ。」
その言葉と同時に、光が弾けた。
気づけば、詩は元の操作室に立っていた。
モニターは静かに光を取り戻し、セリアの姿はもうない。
『……主様、大丈夫ですか?』
「あぁ。
だが……セリアはもう、完全に“戦闘態勢”に入っている。」
『戦争……ですね。』
「そうだ。次は観察でも干渉でもない。
――“ダンジョン同士の戦争”だ。」




