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第7話 世界で一番幸運な触れ方

如月家と四宮家の崩壊は、まるで一つの時代の終わりを告げる号砲のようだった。彼らが遺した権力の空白を埋めるように、経済界は新たな秩序を模索し始め、その中心には、常に黒瀬堂があった。


そして、黒瀬社長の隣には、いつもわたくしの姿があった。

いつしか人々は、わたくしを「黒瀬堂の幸運の女神」と呼ぶようになっていた。わたくしの過去を知る者は、もうほとんどいない。かつての『災星』は、今や『福の神』として、新しい人生を歩み始めていた。


季節は巡り、黒瀬堂の庭には、色とりどりの花が咲き誇っていた。かつては枯れ果てていたこの庭が、今は生命力に満ち溢れている。それは、まるでわたくしたちの会社の未来を象徴しているかのようだった。


「詩織」


執務室で書類の整理をしていたわたくしを、黒瀬社長が呼んだ。

「少し、付き合え」


彼に連れられて向かったのは、会社の屋上だった。そこには、小さなテーブルと二脚の椅子が置かれ、眼下にはきらめく街の夜景が広がっていた。


「綺麗……」

思わず、ため息が漏れる。こんな美しい景色を、わたくしは今まで見たことがなかった。


「君が、この会社を……いや、私を救ってくれた」

彼は、夜景から目を離さずに、静かに言った。

「君がいなければ、今頃、黒瀬堂は存在していなかっただろう」


「そんなことはありません。わたくしは、何も……。全て、社長の手腕ですわ」

「謙遜するな。君の力がなければ、私の手腕など、宝の持ち腐れだった」


彼は、ゆっくりとこちらを振り返った。その黒い瞳が、街の光を反射して、星のようにきらめいている。


「君と出会って、私は初めて『運』というものを信じるようになった。そして、運命は、自らの手で変えられるのだということも」


彼は、一歩、わたくしに近づいた。その真剣な眼差しに、わたくしの心臓が、とくん、と大きく跳ねた。


「詩織……。君に、伝えたいことがある」


彼の声は、いつになく、優しく、そして少しだけ震えているように聞こえた。


「私は、君と共に、これからの人生を歩んでいきたい。この黒瀬堂の未来も、そして、私の未来も、君なしでは考えられない」


彼は、懐から小さなベルベットの箱を取り出した。

箱が開かれると、中には、夜空の星を閉じ込めたかのような、美しいダイヤモンドの指輪が輝いていた。


「……私と、結婚してくれないか」


その言葉は、まるで夢のようだった。

わたくしが、結婚?

この、呪われていると信じてきたわたくしが?


涙が、次から次へと溢れ出して、止まらない。

言葉を、発することができない。


わたくしがただ頷くだけで精一杯なのを見て、彼は安堵したように微笑んだ。そして、指輪を手に取ると、わたくしの左手を取った。


その時、わたくしは、はっとして、思わず手を引っこめようとした。

(駄目……! わたくしが、この指輪に触れたら……)


この幸運の象徴である指輪が、わたくしのせいで壊れてしまうかもしれない。この幸せな瞬間が、わたくしのせいで台無しになってしまうかもしれない。拭い去ったはずの過去の恐怖が、蘇ってくる。


「……詩織?」


わたくしの戸惑いに気づいた彼が、不思議そうに首を傾げた。


わたくしは、震える声で言った。

「わたくしが、触れると……不幸なことが、起きるかもしれませんわ」


それを聞いた彼は、一瞬、きょとんとした顔をした。

そして、次の瞬間、声を立てて笑い出した。わたくしが、初めて見る、彼の心からの笑い声だった。


「ははは……! ああ、そうだったな。君は、そういう人だった」


彼は、笑いながら、わたくしの手を、再び優しく、しかし力強く握った。


「いいか、詩織。よく聞け」


彼は、わたくしの瞳をまっすぐに見つめて、言った。


「他の誰かにとって、君のその手は、注意が必要なものかもしれない。けれどな」


彼の指が、わたくしの薬指に、ゆっくりと、指輪を滑らせていく。ひんやりとした金属の感触。それは、少しも壊れることなく、わたくしの指にぴったりと収まった。


「私にとって、この触れ方こそが、世界で一番、幸運な触れ方なんだ」


彼の言葉が、わたくしの心の最後の氷を、完全に溶かした。


ああ、そうだったのか。

わたくしのこの力は、誰かを不幸にするためのものではなかった。

たった一人、運命の人に出会い、その人を世界で一番幸せにするための、祝福だったのだ。


わたくしは、涙で濡れた顔のまま、最高の笑顔で彼を見上げた。


「はい。喜んで、あなたのお嫁さんになりますわ、樹様」


彼の唇が、そっとわたくしの唇に重なる。

それは、わたくしたちの永遠の始まりを告げる、世界で一番、甘くて幸運なキスだった。


眼下の街の光が、まるでわたくしたち二人を祝福するかのように、いつもより一層、強く、美しく、輝いているように見えた。

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