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第6話 最後の対決

あの運命の商談から数週間、経済界は激震に見舞われていた。

四宮財閥と如月グループの経営悪化は誰の目にも明らかとなり、株価は暴落。主力銀行からの融資引き上げが公になったことで、二大巨頭の神話は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。


一方、黒瀬堂の名は、奇跡の復活を遂げた企業として、連日メディアを賑わせていた。わたくしたちは、その渦の中心にいた。


「詩織、次の会議の資料だ。目を通しておいてくれ」

「はい、社長」


わたくしは、黒瀬社長の片腕として、多忙な日々を送っていた。もはや、ただの雑用係ではない。彼の信頼を得て、会社の重要な意思決定にも関わるようになっていた。スーツの着こなしも、すっかり板についてきたと、同僚の女性社員に褒められた。


自分の力が、誰かの役に立っている。

自分の存在が、誰かに必要とされている。


その実感は、わたくしの心に、今まで知らなかった自信と誇りを育ててくれた。


けれど、わたくしたちの戦いは、まだ終わってはいなかった。

追い詰められた獣は、最も危険だ。


海斗と莉奈が、最後の牙を剥いてきたのは、ある晴れた日の午後だった。

わたくしと黒瀬社長が、新しい工場の建設予定地を視察していた時のこと。突然、数台の黒塗りの高級車が、わたくしたちの行く手を塞いだ。


車から降りてきたのは、やつれた、しかし瞳だけが狂気じみた光を宿す海斗と、泣き腫らした顔でわたくしを睨みつける莉奈だった。


「……詩織ッ!」


海斗が、獣のような声でわたくしの名を呼んだ。


「お前のせいだ……! お前が、俺たちから幸運を奪ったんだ!」


彼は、もはや正気ではなかった。わたくしの能力の真相に辿り着いたのだろう。けれど、その解釈は、あまりに身勝手で、自己中心的だった。


「さあ、帰ってこい、詩織! お前は、俺たちのための『道具』なんだ! お前さえいれば、また、全て元通りになる!」


黒瀬社長が、わたくしの前に、庇うようにすっと立った。


「見苦しいぞ、四宮海斗。彼女は道具ではない。私の、大切なパートナーだ」

「黙れ! 黒瀬ッ! お前が、お前がこの女を唆したんだ!」


莉奈も、金切り声を上げた。

「そうよ! お姉様のせいで、わたくしの人生はめちゃくちゃよ! 海斗様はわたくしを愛してくれなくなったし、友達もみんな離れていった! 全部、全部お姉様のせい!」


彼女の瞳には、嫉妬と憎悪の炎が燃え盛っていた。

「お願いだから、帰ってきて、お姉様! そして、わたくしに幸運を返しなさい!」


その言葉に、わたくしの心の中で、何かがぷつりと切れた。

わたくしは、黒瀬社長の背後から、一歩、前に出た。


「莉奈」

わたくしは、初めて、彼女の名前を、憐れみではなく、確かな意志をもって呼んだ。

「わたくしは、あなたに何も奪われてなどいません。幸運とは、誰かから与えられるものではなく、自らの手で掴み取るもの。あなたはそのことを、一生理解できないのでしょうね」


「な……なんですって……!?」

「そして、海斗様」

わたくしは、ゆっくりと、かつての婚約者に向き直った。

「わたくしは、もうあなたの知っている如月詩織ではありません。わたくしは今、ここで、自分の足で立っています。自分の意志で、生きています」


わたくしは、すう、と息を吸った。

「だから、あなたに返す幸運など、わたくしは持ち合わせておりませんの。わたくしの幸運は、わたくし自身のものですから」


その言葉は、わたくし自身の魂からの叫びだった。

もう、誰かのための道具にはならない。

誰かの不幸の身代わりにもならない。


わたくしの人生は、わたくしのものだ。


海斗と莉奈は、わたくしのあまりの変貌ぶりに、ただ呆然と立ち尽くしていた。彼らが知る、おどおどと怯えるだけの災星の令嬢は、もうどこにもいなかったのだ。


その時だった。

彼らの背後から、パトカーのサイレンの音が、けたたましく響き渡ってきた。


「……何の真似だ、黒瀬」

海斗が、忌々しげに呟いた。


「君たちが私と詩織を脅迫し、拉致しようとした、その現行犯だよ」


黒瀬社長の懐から、小さな録音機が取り出される。

「これまでの君たちの不正の証拠も、全て警察に提出させてもらった。もう、君たちに逃げ場はない」


観念したように、海斗と莉奈はその場に崩れ落ちた。

彼らの最後の足掻きは、黒瀬社長の完璧な策略の前に、あっけなく終わりを告げたのだ。


警察に連行されていく二人の姿を、わたくしは静かに見送った。

もう、彼らに対して、何の感情も湧いてこなかった。

憎しみも、憐れみも。


ただ、空っぽだった。


ふと、隣を見ると、黒瀬社長が、わたくしのことを見つめていた。その黒い瞳は、どこまでも優しかった。


「……終わったな」

「はい……」

「怖くは、なかったか?」

「いいえ。あなたが、そばにいてくださいましたから」


わたくしがそう答えると、彼は、ほんの少しだけ驚いたような顔をした後、ふ、と息だけで笑った。


「そうか」


彼は、わたくしの手を、そっと握った。

その手は、いつも通りのようにひんやりとしていたが、わたくしには、それがどんな炎よりも温かく感じられた。


わたくしたちの長い戦いは、こうして、本当に終わりを告げた。

夕日が、わたくしたち二人の影を、長く、長く、地面に伸ばしていた。

それは、まるで、新しい物語の始まりを告げているかのようだった。

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