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第5話 因果の応報

黒瀬堂に救いの風が吹き始めた頃、かつてわたくしを追放した二つの巨大な城では、不穏な影が深く、暗く、広がりつつあった。


如月グループと四宮財閥。

この国の経済を牛耳る二大巨頭は、わたくしという「無意識の浄化装置」を失ったことで、その盤石だったはずの土台を、自らの重みで軋ませ始めていた。


最初に異変が現れたのは、ささいなことだった。

如月グループ本社ビルで、原因不明の停電が頻発するようになった。かつては、わたくしが近づくだけでダウンしていたサーバーが、今度は何の予兆もなく、重要な会議の最中に沈黙する。

四宮財閥が鳴り物入りで進めていた新規事業のシステムは、バグが多発し、一向に本格稼働の目処が立たない。


「どうなっているんだ! 些細なミスばかりが重なって、計画が全く進まん!」


四宮海斗は、苛立ちを隠さずに怒鳴り散らしていた。彼の周りでは、以前なら考えられなかったような小さなトラブルが、まるで示し合わせたかのように連鎖していた。重要な契約書に誤字が見つかり、海外からの重要な部品が税関で足止めされ、信頼していた部下がインフルエンザで次々と倒れる。


一つ一つは、些細な不運。

けれど、それらが積み重なることで、巨大な歯車が狂い始めていた。


彼らは気づいていなかった。彼らのこれまでの「幸運」が、どれほど脆い奇跡の上に成り立っていたのかを。わたくしがそばにいることで、無意識のうちに浄化されていた小さな「厄」が、今や牙を剥き、彼らの足元を静かに、しかし確実に蝕んでいたのだ。


そして、その流れを決定的にしたのが、莉奈の存在だった。


「まあ、海斗様。最近、あまりお顔の色が優れませんわね。きっと、お疲れなのよ」


莉奈は、海斗の隣で甘く囁きながら、彼の心を巧みに支配していった。彼女は、わたくしという格好の「責任転嫁先」がいなくなった今、自らが幸運の女神であるかのように振る舞い、海斗の判断を鈍らせていった。


「この投資案件、素晴らしいですわ。わたくしの直感が、成功すると告げておりますの」


彼女が推す案件は、ことごとく失敗に終わった。彼女の主催する華やかなパーティーは、必ず何かしらのトラブルに見舞われ、社交界の笑いものとなった。彼女自身が、新たな『災星』となりつつあったのだ。


人々は囁き始めた。

「四宮様も、莉奈様と婚約されてから、どうも運に見放されたようだ」

「如月の『災星』は、実はあのご長女ではなく、妹君の方だったのではないか……?」


追い詰められた海斗と、彼の父である如月正臣が下した決断は、彼らの破滅をさらに加速させることになる。


「黒瀬堂だ……。最近、あの瀕死だった会社が、奇跡的な復活を遂げているというではないか」

「ええ。長年の訴訟に勝訴し、大型の新規契約も次々と獲得しているとか。まるで、憑き物が落ちたかのようだ、と」


彼らは、黒瀬堂の急成長に目をつけた。そして、その背後にいる、謎多き社長、黒瀬樹の存在に。


「あの会社を叩き潰し、その技術と販路を我々のものにする。そうすれば、今の苦境を乗り越えられるはずだ」


それは、あまりに傲慢で、短絡的な計画だった。

彼らは、自分たちの足元が崩れかけていることに気づかぬまま、他人の城を奪おうとしたのだ。


そして、運命の商談の日がやってくる。


黒瀬堂の未来を賭けた、重要な商談。

その相手こそが、四宮財閥と如月グループの合同事業体だった。


わたくしは、黒瀬社長のアシスタントとして、その席に同席していた。彼が用意してくれた、シンプルだが品の良いスーツに身を包み、髪を一つに束ねる。鏡に映る自分の姿は、もはやかつての令嬢の面影はなかった。けれど、その瞳には、今までなかったはずの、確かな意志の光が宿っていた。


会議室の扉が開かれ、海斗と莉奈、そして父、正臣が入ってくる。

彼らは、わたくしの姿を認めると、一瞬、息を呑んだ。


「……詩織……? なぜ、お前が、こんなところに……」


海斗が、信じられないという顔で呟く。

莉奈の顔からは、血の気が失せていた。


わたくしは、何も言わずに、ただ深く、静かに頭を下げた。


「彼女は、私の有能なアシスタントだ。何か問題でも?」


黒瀬社長が、氷のような声で言った。

商談は、終始、険悪な雰囲気で進んだ。海斗たちは、黒瀬堂に対して、明らかに不当な条件を突きつけてきた。それは、交渉というよりは、脅迫に近いものだった。


彼らは、まだ自分たちが優位な立場にいると信じ込んでいた。


「黒瀬社長、我々の提案を呑まなければ、貴社がどうなるか……お分かりでしょうな?」


父が、恫喝するように言った。


その時、わたくしは、黒瀬社長の指示で、資料を配るために立ち上がった。そして、その資料の束を、わざとらしく、父の目の前のテーブルに、ドン、と少し大きな音を立てて置いた。


その瞬間だった。


会議室のプロジェクターが、突然火花を散らしてショートした。照明が激しく点滅し、海斗のスマートフォンの画面が、真っ暗になった。


「な、なんだこれは……!?」


彼らが混乱に陥る中、黒瀬社長は、静かに立ち上がった。


「交渉は、決裂のようですね」


彼は、冷ややかに言い放つ。


「あなた方が我々を潰そうとしている間に、あなた方の足元で、何が起きているか……気づいてすらいないようだ」


彼は、一枚の書類をテーブルの上に滑らせた。


「これは……!?」

それを見た父の顔が、絶望に染まる。

それは、彼らの主力銀行が、融資の引き上げを決定したという、極秘の通知書だった。


「あなた方の『幸運』は、もう尽きたようです」


黒瀬社長の言葉は、まるで死刑宣告のように、静まり返った会議室に響き渡った。


海斗と莉奈は、茫然とわたくしを見ていた。彼らの瞳には、恐怖と、そして初めて浮かんだ、後悔のような色が混じり合っていた。


彼らは、ようやく理解し始めたのだ。

自分たちが手放したものが、一体何だったのかを。


わたくしは、何も言わなかった。

ただ、黒瀬社長の隣に立ち、静かに彼らを見つめ返す。


わたくしの復讐は、終わったのだ。

いや、わたくしは、何もしていない。

ただ、彼らが自らの傲慢さによって、自滅していっただけ。


因果は巡り、応報は、下されたのだ。


会議室を出ると、黒瀬社長が、ふと足を止めた。


「……よくやった」


彼は、わたくしにだけ聞こえるような小さな声で、そう呟いた。

その声には、紛れもない、温かな労いの響きがあった。


わたくしは、初めて、心の底から、微笑むことができた気がした。

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