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第1話 災いの令嬢

無機質な静寂を切り裂いたのは、甲高いアラート音だった。

ガラス張りの会議室の壁一面に設置された巨大なモニターが、一瞬にして真っ赤な警告表示で埋め尽くされる。


「サーバールームより緊急警報!メインサーバーがダウンしました!」


内線からの悲鳴にも似た報告に、会議室の空気は氷点下まで凍りついた。テーブルの向こうで、父であり、この巨大ハイテク企業「如月グループ」の総帥でもある如月正臣が、地を這うような低い声で唸る。


「……詩織」


その声には、温度というものが一切存在しなかった。まるで絶対零度の刃が、私の心臓に突き立てられるかのようだ。


「また、お前のせいか」


父の鋭い視線が、末席に座っていたわたくしを射抜く。その隣では、継母である美沙子さんが「まあ、お父様」とわざとらしく口元に手を当て、そのさらに隣では、義理の妹である莉奈が、心配そうな表情を浮かべてわたくしを見つめていた。その潤んだ瞳の奥に、微かな、しかし確かな嘲笑の色が浮かんでいることに、わたくしだけが気づいていた。


「申し訳ございません、お父様。わたくしが、先ほどサーバールームの状況を確認しに参りました際に……」

「お前が近づいたから、サーバーが落ちたんだろうが!」


父の怒声が、静まり返った室内に響き渡る。誰も、父を止めようとはしない。それが、この如月家におけるわたくしの立ち位置だった。


わたくし、如月詩織は、この家に巣食う『災い』そのものなのだ。


物心ついた頃から、そうだった。わたくしが触れると、物はよく壊れる。わたくしが関わると、物事はなぜか滞る。幼い頃、母が愛用していたオルゴールに触れた途端、その美しい音色は二度と奏でられることはなくなった。わたくしが初めて担当を任された小さなプロジェクトは、原因不明のトラブルが頻発し、多大な損失を出した。


いつしか、わたくしは『災星』と呼ばれるようになった。

直接そう口にする者はいなくとも、誰もがその視線で、その態度で、わたくしを不浄なもののように扱った。


父はわたくしを、グループの利益を損なう不良債権のように見ている。

継母は、亡き元妻の忘れ形見であるわたくしを、自身の地位を脅かすかもしれない存在として警戒している。

そして莉奈は……わたくしの不幸を蜜のように啜り、それを糧に輝きを増している。


「本当に、申し訳ありません……」


頭を下げることしか、わたくしには許されていない。反論も、弁明も、意味をなさない。なぜなら、サーバーがダウンする直前に、その部屋にいたのは事実なのだから。わたくしが、セキュリティカードで入室した記録が、動かぬ証拠として残っている。


(わたくしはただ、システムログに異常を示す兆候がないか、確認しようとしただけなのに……)


あの時、サーバーラックの一つが、微かに異音を発していた気がしたのだ。熱を持ちすぎているようにも感じた。だから、ほんの少し、手を伸ばして……。


そこで記憶は途切れている。気づけば、館内全体にアラートが鳴り響いていた。いつものことだった。良かれと思ってしたことが、必ず最悪の結果を招く。まるで、わたくしの存在そのものが、この世界の秩序を乱すバグであるかのように。


「詩織さん、あなたもわざとではないのでしょうけれど……」


継母が、慈母のような声音で口を開く。


「けれど、会社にこれほどの損害を与えてしまったのよ。お父様がご立腹になるのも、仕方のないことではなくて?」


その言葉は、火に油を注ぐだけだと知っているはずなのに。


「お姉様……」


莉奈が、今にも泣き出しそうな顔でわたくしのそばに駆け寄ってきた。その細い手が、わたくしの腕にそっと触れる。


「大丈夫……?お父様、すごく怒っていらっしゃるわ。でも、莉奈がお姉様の分まで頑張るから。だから、あまりご自分を責めないで……ね?」


絹糸のように甘い声。だが、その言葉の裏にある棘が、ちくりとわたくしの心を刺す。『お姉様の分まで頑張る』、それはつまり、無能な姉の代わりに、有能な妹である自分がこの家を、会社を、そして――いずれは婚約者さえも引き継ぐのだという、静かな宣言だった。


息をすることさえ、憚られる。

この家では、わたくしは息を潜めて、ただ存在していることだけが許される。まるで、いつ処分されるか分からない、価値の定まらない曰く付きの骨董品のように。


「……いいか、詩織」


父が、最終通告を言い渡すかのように、重々しく口を開いた。


「来週末に控えた、四宮財閥との合同パーティー。あれが、お前に与える最後のチャンスだ」


四宮財閥。それは、如月グループと肩を並べる、この国屈指の大財閥。そして、その跡取り息子である四宮海斗様は、わたくしの婚告者だった。


「パーティーが無事に終わるまで、お前は一切の業務から手を引け。何もするな。ただ、そこにいるだけでいい。いいな、絶対に、余計なことはするなよ」

「はい……」

「もし、あのパーティーで何かしらの不手際が起きたら……その時は、分かっているな?」


分かっている。

その時は、わたくしと四宮家の婚約は破棄され、わたくしは如月家からも籍を抜かれるのだろう。それは、もう何度も聞かされてきたことだった。


「海斗様にも、よくよく言い聞かせておくんだ。お前の『体質』のことは、先方にも伝えてあるが……パーティーを台無しにするようなことがあれば、四宮の跡取りである彼の顔にも泥を塗ることになる。そうなれば、我々と四宮財閥の関係にも亀裂が入りかねん」


父の言葉は、もはや脅しですらなかった。ただ、冷徹な事実を告げているだけだ。


「お姉様、きっと大丈夫よ。海斗様も、お姉様のこと、理解してくださっているもの」


莉奈が、天使のような微笑みで言う。

海斗様が、わたくしをどう思っているかなど、わたくしが一番よく分かっていた。彼は、わたくしを『触れてはならない呪物』のように扱っている。彼の完璧な経歴に付着した、唯一の瑕疵。それが、婚約者である如月詩織という存在なのだ。


会議室を出て、自室へと続く長い廊下を、わたくしは一人歩く。大理石の床に、自分の足音だけが虚しく響いた。窓の外は、すでに夕闇が迫っている。


来週末のパーティー。

それが、わたくしの処刑台だ。


わたくしは、そっと自分の手のひらを見つめた。

この手はいったい、何なのだろう。なぜ、わたくしはこんな風に生まれてきてしまったのだろう。


わたくしにできることは、祈ることだけ。

どうか、パーティーが無事に終わりますように。

どうか、これ以上、誰にも迷惑をかけませんように。


そして、願わくば。


この手に宿る『災い』を、この手で浄化できる日が来ますように――と。


そんな叶うはずもない願いを胸に、わたくしは深く、深くため息をついた。部屋の扉を開ける前から、そこにある冷え切った空気が、肌に突き刺さるようだった。

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