第9話 落ちこぼれの有効活用
「理事長、ハンス・ミューラーくんの件でご相談があります」
レオンが困った表情で私のオフィスにやってきた。
「ハンスくんがどうかしましたか?」
「はい。成績の件で……」
ハンス・ミューラー。
3年生の男子生徒で、魔法実技は優秀だが理論科目が苦手。
特に魔法史や魔法理論は赤点すれすれ。
父親は職人で、本人も将来は同じ道を志望している。
「このままだと卒業が危ういんです」
「そんなに深刻なんですか?」
「はい。本人も相当落ち込んでいまして……『僕には学問は向いていない』と」
これは問題ね。
優秀な実技能力を持っているのに、理論で躓いて卒業できないなんて、学園にとっても損失よ。
でも、ちょっと待って。
これって逆にチャンスじゃない?
落ちこぼれこそ最も安く使える労働力。
彼らの弱みに付け込んで、「実践教育」という名目で学園のために働かせれば、人件費削減と問題解決の一石二鳥。
前世で見たブラック企業の手法を思い出すわ。
インターンシップという名目で学生を無償労働させるやつ。
「ハンスくんを呼んでください」
「え?」
「直接話してみたいんです」
そう、落ちこぼれ生徒を集めて「特別コース」を作り、実際は学園の雑用をやらせる。
本人たちは「実践的な学習」だと思い込んで、喜んで働いてくれるでしょう。
30分後、ハンスが恐縮そうに理事長室に入ってきた。
「り、理事長……お忙しいのに申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ。座ってください」
ハンスは17歳の平均的な体格の少年。
職人の息子らしく、手が器用そうで、実直そうな性格が表情から読み取れる。
でも、今日は申し訳なさそうに俯いている。
「ハンスくん、将来の夢は何ですか?」
「え? あ、はい……父みたいな職人になりたいです」
「素晴らしいじゃないですか」
「でも……魔法理論が分からなくて、このままじゃ卒業できないかもしれません」
ハンスが俯く。
この劣等感を利用するのよ。
「なぜ職人になりたいんですか?」
「父の働く姿を見ていて……何もないところから、美しい建物や道具を作り上げる。魔法と技術を組み合わせて、人々の生活を豊かにする。格好いいなって」
目が輝いている。
これは本物の情熱ね。
「でも、現代の職人には魔法の知識も必要よ」
「はい……でも、理論が覚えられなくて……」
「理論を覚える必要はないの。理解すればいいのよ」
「え?」
ここから計画を実行する番。
「ハンスくん、提案があります」
「は、はい」
「新しい教育コースを作ろうと思うんです。『魔法工学実践コース』という名前で」
ハンスが身を乗り出す。
「魔法工学……実践コース?」
「そう。理論中心の従来の授業ではなく、実際に手を動かしながら学ぶコースです」
これは完璧な計画。
落ちこぼれ生徒を集めて、「実践教育」という名目で学園の維持管理作業をやらせる。
人件費削減と教育の両立を図るのよ。
「具体的には、学園の施設修繕、設備の改良、新しい教材の制作など、実際の仕事を通じて魔法工学を学ぶんです」
「それって……」
「もちろん、ちゃんとした指導付きです。お父さんにも協力していただいて」
ハンスの表情が明るくなる。
「本当ですか? 父に指導してもらえるんですか?」
「ええ。プロの職人から直接学べる機会です」
でも、なんでハンスはこんなに嬉しそうなの?
私は彼を労働力として利用しようとしているのに……。
まあ、本人が喜んでくれるなら都合が良いわ。
翌日、私はハンスの父親とレオンを交えて会議を開いた。
「実践コースの件、お話を聞かせていただきました」
ハンスの父、ローターさんは50代の頑健な職人。
息子に似て実直そうな性格で、日に焼けた手は長年の労働を物語っている。
「息子がお世話になっております」
「こちらこそ。ハンスくんの才能を活かしたいんです」
「才能……ですか?」
ローターさんが意外そうな顔をする。
「はい。実技の成績は全学年でもトップクラスです。理論は苦手ですが、手で覚える能力は抜群」
「そんな……息子がそんなに評価していただいて……」
ローターさんの目が潤んでいる。
「実は、息子にも職人の道を歩んでほしいと思っていたんです。でも、学園を卒業できないと就職が……」
「大丈夫です。新コースなら卒業できます」
レオンが口を挟む。
「でも、理事長。実践コースの単位認定はどうしますか?」
「実際の成果物で評価します。作品の完成度、技術の習得度、問題解決能力など」
これなら理論試験で落第する心配はない。
完璧な抜け道……じゃなくて、適切な評価方法よ。
「それに、実際の仕事を通じて学ぶ方が、職人には適しているでしょう」
ローターさんが頷く。
「確かに、職人は理論より実践です。私も見習い時代は、先輩の仕事を見て覚えました」
「では、協力していただけますか?」
「もちろんです。息子のためなら、何でもします」
計画は順調に進んでいる。
でも、なんでローターさんもこんなに感謝してくれるの?
一週間後、「魔法工学実践コース」の初回実習が始まった。
参加者はハンスを含めて5名。みんな理論科目で苦労している生徒たち。
でも、実技では皆それぞれに光るものを持っている。
「今日は図書館の書架修理から始めましょう」
アルフレッド館長が困っていた、古い書架の修理。
木工魔法と修復魔法を組み合わせた複合作業。
本来なら外部業者に頼む予定だったけど、これで人件費が浮く。
「まず、損傷箇所の確認です。魔法で木材の状態を調べてみてください」
ローターさんの指導で、生徒たちが魔法を使って書架を調べる。
「あ、ここが腐っています」
「こっちは魔法陣が薄くなっている」
普段の授業では理解できない理論も、実際の問題として直面すると自然に理解できるようで。
「なるほど、だから保存魔法が効かなくなっていたのか」
ハンスが目を輝かせて納得している。
「では、修理してみましょう」
生徒たちが協力して修理を進める。
失敗もあるけれど、やり直しながら少しずつ上達していく。
「ここの継ぎ目、もう少し丁寧に」
「魔法陣の線が曲がってるよ」
「ありがとう、直してみる」
みんな楽しそうに作業している。
私は見学しながら、複雑な気持ちになっていた。
確かにこれは人件費削減になる。
でも、生徒たちの生き生きした表情を見ていると……。
これって、本当に搾取なのかしら?
3時間後、書架の修理が完了した。
「素晴らしい出来ですね」
アルフレッド館長が感心している。
「ありがとうございます。みんなで協力して……」
ハンスが誇らしそうに答える。
「特に、魔法陣の再描画が見事です。教科書通りではなく、実際の木材の特性に合わせて調整してある」
え?
教科書通りじゃない?
「ハンスくん、どうしてそんな調整ができたんですか?」
レオンが興味深そうに質問する。
「あ、えーと……木材を触っているうちに、なんとなく分かったんです。こっちの方が魔法が通りやすいかなって」
「なんとなく」で高度な応用ができるの?
「素晴らしい才能です」
ローターさんが息子を誇らしそうに見ている。
「理論は覚えられなくても、体で理解する能力があるんですね」
「はい……今日、初めて魔法理論が楽しいと思いました」
ハンスの言葉に、他の生徒たちも頷いている。
「僕たちには僕たちの学び方があるんだ」
「実際にやってみると、理解できる」
「机の上だけじゃ分からないことが、手を動かすと分かる」
あれ?
これって、単なる労働力活用じゃなくて、新しい教育方法の発見よね?
そして、何より生徒たちが楽しそう。
達成感に満ちた表情。
「理事長、ありがとうございます」
ハンスが深く頭を下げる。
「僕たちのことを考えてくださって……」
え?
考えてた?
私、利用しようとしてただけなのに……。
「僕、初めて学園が楽しいと思いました」
「今度は何を作るんですか?」
他の生徒たちも目を輝かせている。
「次は実習室の棚の修理を予定しています」
「やったぁ!」
なんで?
なんでみんなこんなに嬉しそうなの?
私は彼らを無償労働させているのよ?
でも、彼らは喜んで参加している。
これって……搾取の失敗?
その夜、私は一人で修理された書架を見に行った。
「確かに良い仕事ね」
新品同様になった書架。
でも、それ以上に価値があるのは……。
「生徒たちの成長よね」
ハンスの輝く表情を思い出す。
落ちこぼれだと思われていた生徒たちが、実は違う才能を持っていただけ。
「私、彼らを利用するつもりだったのに……」
でも、結果的には彼らの可能性を開花させることになった。
「これって、教育の本質なのかしら」
一人一人の個性を理解して、それぞれに合った学習方法を提供する。
それは確かに理想的な教育だけど、私の目的とは違う。
「でも、まだまだ序の口よ。次は保護者懇談会」
そこにマリアがやってきた。
「理事長、お疲れ様です。来週の保護者懇談会の準備はいかがですか?」
保護者懇談会。
これこそ最高の営業機会。
保護者の不安を煽って、追加講座や個別指導を売りつけてやるわ。
「準備万端です」
でも、本当に搾取できるかしら?
今日のハンスたちを見ていると、なんだか罪悪感が……。
いえ、そんな弱気になってはダメ。
私は悪徳理事長よ。
保護者からお金を搾り取ってやるんだから。
でも、ハンスの「初めて学園が楽しいと思いました」という言葉が頭から離れない。
私、本当に悪いことをしているのかしら?