第7話 競合他校との価格競争
「理事長、大変です!」
翌朝、レオンが血相を変えて飛び込んできた。
「どうしたんですか?」
「ライバル校が大幅な学費値下げを発表しました」
「値下げ? どの程度の?」
「30%です」
30%……それは相当な値下げね。
「セントラル魔法学園です。学費を年額150万ガルドから105万ガルドに引き下げると」
セントラル魔法学園。
うちから車で30分の距離にある、規模の大きな私立校。
設備も立派で、生徒数もうちの3倍はある。
資本力も十分な、まさに強敵よ。
「理由は何と?」
「『より多くの生徒に質の高い魔法教育を』だそうです」
建前ね。
本当の理由は、うちの学園の評判上昇への対抗策でしょう。
新聞記事の掲載前だから、きっと業界内の噂を聞きつけたのね。
「それで、影響は?」
「既に数件の問い合わせ取り消しがありました。『やっぱりセントラルにする』と……」
これは本格的な価格戦争の開始ね。
でも、私には秘策がある。
前世で学んだマーケティング理論の出番よ。
価格競争は体力勝負。
資本力で負ける小規模校が勝つには、別の戦略が必要なの。
「分かりました。対抗措置を取りましょう」
「値下げですか?」
「いえ、値上げです」
あれ?
自分で言っといてなんだけど、『値上げ』って言葉が出てきた。
レオンとマリアが同時に振り返る。
「値上げ? 理事長、それは……」
マリアが困惑している。
まあ、普通はそう思うわよね。
「価格競争には参加しません。代わりに、付加価値で勝負します」
私は前世で学んだマーケティング理論を思い出していた。
「安売り競争は消耗戦です。最終的には、資本力のある大手が勝つ。うちのような小規模校が勝つには、差別化しかありません」
「差別化……」
「そう。他校では絶対に真似できない、うちだけの付加価値を提供するんです」
レオンが身を乗り出す。
「具体的には?」
「まず、完全個別指導制度。一人の教師が担当する生徒数を最大8名に制限します」
「8名?」
「他校は一クラス30名。うちは8名。これだけでも圧倒的な差別化です」
「でも……」
「教師一人当たりの生徒数を制限することで、きめ細かい指導が可能になります」
マリアが心配そうに口を挟む。
「でも、それだと人件費が……」
「必要な投資です。教育の質で勝負するなら、コストを惜しんではいけません」
実際は、8名制限にすることで必要教師数を計算したら、現在の教師陣でギリギリ回せることが分かったの。
つまり、追加の人件費はそれほどかからない。
「次に、進路保証制度」
「進路保証?」
「卒業時に希望する進路に進めなかった場合、追加指導を無料で行います。1年間、完全サポートです」
これも本来は「落第者をなくして評判を守る」つもりだったんだけど……。
でも、保護者から見れば「少人数の贅沢な教育」に見える。これぞマーケティングの妙技よ。
翌日、緊急保護者説明会を開催した。
「この度のセントラル校の値下げについて、ご質問をいただいております」
集まった保護者の表情は複雑。
値下げの魅力と、うちの学園への愛着の間で揺れているのが分かる。
「率直に申し上げます。当学園は値下げ競争には参加いたしません」
ざわめきが起こる。
やっぱり驚くわよね。
「代わりに、教育の質で勝負させていただきます」
私は準備したプレゼン資料を示した。
「まず、来年度から導入する『完全個別指導制度』です」
スクリーンに表示されたのは、少人数クラスの写真。
「一人の教師が担当する生徒数を8名以下に制限し、一人一人の個性と能力に合わせた指導を行います」
保護者の一人が手を挙げる。
「それは素晴らしいですが、人件費が増えて、結果的に学費値上げになるのでは?」
鋭い質問ね。
でも、準備済みよ。
「確かに人件費は増加します。しかし、それは必要な投資です」
私は堂々と答えた。
「お子さんの将来への投資として、私たちは最高の教育環境を提供したいんです」
なんか、本当に教育者っぽいことを言ってしまった……。
「8名の少人数クラスなら、一人一人の理解度を確実に把握できます。つまづいている生徒を見逃すことがありません」
これは事実ね。
でも、本来の目的は効率化だったのに……。
「さらに、進路保証制度も導入します」
「進路保証?」
「はい。卒業時に希望する進路に進めなかった場合、1年間無料で追加指導を行います」
保護者たちがざわめく。
「つまり、責任を持って生徒を送り出すということです」
別の保護者が質問する。
「でも、セントラル校の105万ガルドと比べると……」
「価格だけで教育を選ばれますか?」
私は真剣な表情で問いかけた。
「お子さんの人生は一度きりです。その大切な時期に、本当に質の高い教育を受けさせてあげたくありませんか?」
あれ?
これって、私の本心かも……。
午後、私はグリム先生と話し合った。
「理事長の方針、素晴らしいと思います」
「ありがとうございます」
「でも、正直に言うと不安もあります」
「どのような?」
「8名の少人数クラス……本当に一人一人に向き合った指導ができるでしょうか?」
グリム先生の真剣な表情。
「これまでも精一杯やってきたつもりですが、30名のクラスでは限界がありました」
「はい」
「でも、8名なら...本当に理想的な教育ができるかもしれません」
グリム先生の目が輝いている。
「ただし、それだけの責任も感じます。一人一人の成長に、これまで以上に責任を持たなければ」
「先生なら大丈夫です」
「ありがとうございます。頑張ります」
あれ?
これって、教師のモチベーション向上にもなるのね。
計算では人件費削減のはずだったのに、なんで教育の質向上になってるの?
若手の女性教師も興奮して話しかけてきた。
「理事長、8名クラスなら本当にきめ細かい指導ができますね」
「ええ」
「一人一人の魔法の癖も把握できるし、個別の課題も設定できます」
「そうですね」
「これまでできなかった理想の教育が、ようやく実現できそうです」
みんな、なんでこんなに嬉しそうなの?
説明会から一週間後、マリアが報告にやってきた。
「理事長、驚くべき結果です」
「どうでした?」
「入学取り消しは、たったの2件でした」
「2件だけ?」
「はい。それどころか...」
マリアが興奮した様子で続ける。
「新規の入学希望が15件も来ています」
「15件?」
「『個別指導制度に魅力を感じた』『セントラル校より質の高い教育を期待している』という声が多数」
これは予想外。
価格で負けても、価値で勝ったということ?
「それに、既存の保護者からも反響が……」
「どのような?」
「『多少学費が高くても、子供のためになるなら』『うちの学園を選んで良かった』という声が」
レオンも嬉しそうに報告する。
「生徒たちの反応も良好です。『8人クラスになったら、もっと質問しやすくなる』『先生との距離が近くなりそう』と」
ソフィアが代表して言いに来てくれた。
「理事長、ありがとうございます。私たち一人一人を大切にしてくださって」
「いえ、それは……」
あれ?
なんで私が感謝されているの?
私は価格競争を避けて利益を守ろうとしただけなのに、なんで教育の質向上になってるのよ?
ハンスも嬉しそうに話しかけてきた。
「理事長、僕、8人クラスになったら絶対に理論も頑張ります」
「そう……良かったわね」
「はい! 先生にもっと質問できるし、実習でも細かく教えてもらえそうです」
生徒たちの輝く目を見ていると、なんだか胸が温かくなる。
これって……教育者としての喜び?
でも私は悪徳理事長のはずなのに。
その夜、私は混乱していた。
「また、搾取に失敗した...」
価格競争を避けて利益を確保するつもりが、教育の質向上で差別化を図ることになってしまった。
「でも、結果的には学園の評価が上がった」
これは良いことなんだけど、私の悪徳理事長計画はどこへ行ったのよ?
「セントラル校の値下げ攻勢を跳ね返した」
でも、それは私が本当に良い教育を提供しようとしたから?
「なんで私の計画は、いつも教育愛に変換されてしまうの?」
そこにレオンがやってきた。
「理事長、ソフィアの件でご相談が……」
「ソフィアの?」
「はい。彼女の治癒魔法の才能、本当に素晴らしいんです。全国コンクールに出場させてはどうでしょうか?」
全国コンクール?
これは学園の宣伝になるわ。
「面白いですね。検討してみましょう」
今度こそ、優秀な生徒を看板として利用してやるわ!
……でも、ソフィアの真剣な表情を思い出すと、利用って言葉が重く感じる。
私、本当は何がしたいのかしら?