第10話 保護者懇談会という営業機会
「保護者懇談会の資料、完成しました」
マリアが分厚いファイルを机に置いた。
「ご苦労様。内容を確認させてください」
私は資料を開きながら、内心で邪悪な計画を練っていた。
保護者懇談会こそ、追加料金徴収の絶好のチャンス。
保護者の不安を煽って、オプション講座や個別指導、特別教材などを売りつける。
現代日本の塾業界でよく使われる手法よ。
「お子さんの成績、このままで大丈夫ですか?」「他の子に遅れていませんか?」という不安を刺激して、「特別コースをお勧めします」という流れに持ち込むの。
「各生徒の成績分析と、今後の課題、推奨する対策案をまとめました」
「対策案?」
「はい。例えば、魔法理論が苦手な生徒には補習授業、実技が物足りない生徒には発展クラス……」
完璧。
これで保護者の不安を刺激して、「うちの子が遅れているなら、なんとかしなければ」という心理に持ち込む。
「費用の設定は?」
「え? 費用ですか?」
「ええ。補習授業や発展クラスの費用です」
マリアが困惑した表情。
「あの……それは通常の授業の範囲内で対応する予定でしたが……」
「それじゃあ商売になりません」
あ、つい本音が出てしまった。
「商売……ですか?」
「いえ、その……適切な対価をいただかないと、質の高いサービスは提供できませんから」
マリアの表情がさらに困惑。
でも、私の計画は揺るがない。
「補習は1回2時間で5000ガルド、個別指導は1時間8000ガルド、特別教材は1セット15000ガルドで設定しましょう」
これなら月に数万ガルドの追加収入になる。
「でも、理事長...保護者の経済状況を考えると……」
「大丈夫です。子供のためなら、親は無理をしてでもお金を出すものです」
前世でブラック塾の営業トークを散々見てきたから、手法は熟知している。
「それに、『今しかできない投資』『将来への保険』という言葉を使えば、罪悪感を軽減できます」
マリアが青ざめている。
「準備はこれで十分です。明日が楽しみね」
懇談会当日。
最初にやってきたのは、ソフィアの母親。
「本日はお忙しい中、ありがとうございます」
「こちらこそ、いつもソフィアがお世話になっております」
40代の上品な女性。
服装から察するに、やはり経済的に厳しそう。
でも、それがむしろ好都合。
困窮している保護者ほど、子供への投資には敏感なの。
「ソフィアさんの成績についてご報告します」
私は準備した資料を広げた。
これから不安を煽って、追加指導の必要性を……。
「治癒魔法は全学年トップの成績です」
「本当ですか?」
ソフィアの母親の目が輝く。
「ええ。それに、来月の全国コンクール出場も決定しました」
「全国コンクール……そんな……」
涙ぐんでいる。
でも、ここからが本番よ。
「ただし」
ここから不安を煽るのよ。
「より高いレベルを目指すには、特別な指導が必要かもしれません」
「特別な指導……」
来た。
保護者の不安。
「はい。例えば、外部講師による個別指導とか、専門的な教材とか……」
「費用は……どの程度……」
震え声。
経済的な不安を刺激する作戦成功。
「月額3万ガルド程度を想定しています。ソフィアさんの才能を考えれば、必要な投資かと」
その時、ソフィアの母親が言った言葉で、私の計画は崩れた。
「先生、申し訳ありません。今の我が家には、追加の費用を出す余裕がありません」
「そうですか……」
計画通り。
ここで罪悪感を刺激する番。
「でも、もしソフィアのためになるなら……何か、私にできることはありませんか?」
え?
「例えば、学園の掃除をお手伝いするとか、事務作業をお手伝いするとか……」
なんで?
なんで金銭的な負担を申し出るんじゃなくて、労働提供を?
「あの……費用の方は……」
「お金がないので、代わりに何か貢献させてください。ソフィアがこんなに成長できたのは、学園のおかげです」
純粋な愛情。
お金がなくても、娘のために何かしたいという親心。
私の胸に、何かが刺さった。
「それは……お気持ちだけで十分です」
「でも……」
「ソフィアさんが頑張っていることが、何よりの貢献です」
なんで私はそんなことを言っているの?
次にやってきたのは、ローターさん。
「息子がお世話になっております」
「こちらこそ。ハンスくんの件でお話があります」
私は作戦を変更した。
さっきの失敗を踏まえて、もっと巧妙に。
「実践コースの効果が出ています。ハンスくんの才能が開花しつつあります」
「ありがとうございます」
「ただし、さらなる成長のためには……」
ここから追加講座の営業。
「専門的な工具や教材が必要になるかもしれません」
「はい」
「費用は月額2万ガルド程度を……」
「先生」
ローターさんが私の言葉を遮った。
「息子から聞きました。実践コースを作ってくださったこと」
「ええ」
「正直に言います。息子は諦めていたんです。自分には学問は向いていないって」
ローターさんの目が潤んでいる。
「でも、先生が新しい道を示してくださった。息子が初めて『学校が楽しい』と言ったんです」
「それは……」
「これまで、息子の成績表を見るたびに申し訳ない気持ちでした。学費を払っているのに、息子が成果を出せていない。先生方に迷惑をかけているんじゃないかと」
「そんなことは……」
「でも、息子が変わりました。毎日、『今日はこんなことを作った』『こんなことを学んだ』と嬉しそうに話してくれます」
ローターさんが涙を拭う。
「費用のことは心配しないでください。息子のためなら、何だってします」
また。
また親の愛情に直面してしまった。
「でも、そもそも新しい工具や教材は必要ありません」
「え?」
「ハンスくんの才能があれば、既存の設備で十分です」
なんで私は営業トークを否定しているの?
「それに、実践コースは通常の授業料に含まれています」
「そんな……申し訳ありません」
なんで私はお金を取らないことを宣言しているの?
個別面談の後、全体会を開催した。
「皆様、本日はありがとうございます」
30名ほどの保護者が集まっている。
ここで一気に追加サービスを売り込むつもりだったのに……。
「まず、学園全体の近況をご報告します」
私は準備していた営業資料ではなく、生徒たちの成長記録を映写した。
「入学時と比較して、全生徒の平均成績が15%向上しています」
拍手が起こる。
「特に、一人一人の個性に合わせた指導の効果が出ています」
ソフィアの治癒魔法、ハンスの実践的技能、他の生徒たちの様々な才能……。
「ただし、これは追加料金をいただいての特別サービスではありません」
え?
なんで私はそんなことを言っているの?
「これは、当学園の基本方針です。一人一人を大切にする教育」
保護者たちの表情が明るくなる。
「大規模校では真似できない、きめ細かな指導。それこそが、当学園の存在意義です」
「そのために、今後も創意工夫を重ねて参ります」
完全に営業トークじゃなくて、教育方針の説明になってしまった……。
私の発表が終わると、一人の保護者が手を挙げた。
「理事長先生、ご質問があります」
「はい」
「これだけ充実した教育を提供していただいて、学費はむしろ安すぎるのではないでしょうか?」
え?
安すぎる?
「私たちの方から、学園への寄付を提案したいのですが」
寄付?
追加料金を取るつもりが、向こうから寄付の申し出?
「いえいえ、そんな……」
「ぜひ、お願いします」
別の保護者も立ち上がる。
「うちも協力します。子供たちがこんなに成長できる環境を作ってくださって」
「学園祭の準備も手伝わせてください」
「PTA活動も活発化させましょう」
次々と協力の申し出。
「あの……皆さん、お気持ちは嬉しいのですが……」
私は混乱していた。
追加料金を搾取するつもりが、なんで保護者の方から積極的な支援の申し出が?
「先生」
ソフィアの母親が立ち上がった。
「私たち保護者は分かっています。先生が本当に子供たちのことを思ってくださっていることを」
「そんな……」
「だから、私たちも学園のために何かしたいんです」
「そうです!」
「うちの子がこんなに変わるなんて」
「毎日楽しそうに学校の話をしてくれます」
「先生方の指導があってこそです」
暖かい拍手が会場を包む。
私は、完全に戸惑っていた。
搾取するつもりが、なんで感謝されているの?
「皆さんのお気持ちは本当に嬉しいです」
私は震える声で答えた。
「でも、子供たちが成長してくれることが、何よりの報酬です」
「それに、継続して通っていただくことが、最大の支援になります」
なんで私はこんなことを言っているの?
お金を断っているじゃない。
でも、保護者たちの温かい表情を見ていると、これで良いような気がしてくる。
懇談会が終わった後、私は一人で理事長室にいた。
「また失敗した……」
保護者から追加料金を搾取するつもりが、逆に寄付の申し出を受けてしまった。
「でも、あの保護者たちの表情……」
子供の成長を喜ぶ親の顔。
学園への信頼と愛情。
そして、私への感謝。
「私、本当に悪いことをしようとしているのかしら?」
前世では、保護者に金額を請求するたびに罪悪感を感じていた。
でも今日は違った。
保護者の感謝の言葉、子供たちの成長への喜び、学園への愛情……。
「もしかして、教育って……お金じゃないのかも」
そこにレオンがやってきた。
「理事長、お疲れ様でした。人事制度改革の件ですが……」
人事制度改革。
今度こそ、教職員を管理下に置いて支配してやる。
「分かりました。明日から準備しましょう」
でも、本当に支配なんてできるのかしら?
今日の保護者たちの顔を思い出すと、なんだか支配とか搾取とかいう言葉が、とても小さく感じる。
「私、何を目指していたんだっけ?」
でも、まだまだ諦めるのは早いわ。
次こそは、本当の悪徳理事長の手腕を見せてやる。
……でも、ソフィアの母親の「お金がないので、代わりに何か貢献させてください」という言葉が、頭から離れない。
あの純粋な愛情を利用するなんて、本当にできるのかしら?