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002

 エルフの少女が、同族の男を刺殺した直後。深い森の奥でのこととは思えない異様な光景に、思考が一瞬白く染まる。

 だが次の瞬間、鈍い痛みが走り、意識が揺らぐ。


 ――そうだ、僕は消えかけている。悠長に驚いている暇などない。


 笑みを崩さぬ少女には目もくれず、倒れ伏した男の元へ駆け寄る。彼はもはや、風前の灯火だった。

 そして――その命が完全に途絶えた刹那、溢れんばかりの凄まじいエネルギーが、奔流のように流れ込んできた。まるで死の淵から引き上げられるかのような、生き返る感覚。


 ぼやけていた視界が晴れ、意識がくっきりと浮かび上がる。曖昧だった身体の輪郭も、すっかり元通りに。

 どうにか、元の姿を取り戻すことができた。いや、それどころか、以前よりも遥かに研ぎ澄まされているのではなかろうか。


 ようやく落ち着いた頭で、改めて状況を見直す。

 振り向けば、少女が興味深そうにこちらを覗き込んでいた。短剣は下ろされており、攻撃する気配も敵意もない。ただ、じっとこちらを見つめている。


 彼女は僕の恩人、なのだろうか。

 静まり返った森の中、至近距離で向かい合うこの異様な空間。どう振る舞えばいいのか分からずにいると、少女がぽつりと口を開いた。


「襲ってこない……。もしかして、感謝してる?」


「……!」


 敵意のない問い掛けに、思わず心が沸き立つ。

 だが、言葉で返すことはできない。僅かな逡巡の末に、半透明の身体を上下に揺らし、頷くような動作を示す。

 それを見た少女は、ぱちりと瞬きをして、驚いたように声を漏らした。


「ビックリ。君、知性があるの?」


 随分と察しがいい。手応えのある反応に、僕はより激しく身体を揺らしてみせる。

 それを見て少女は確信を抱いたのだろう。ふっと唇を緩め、どこか蠱惑的な笑みを浮かべた。


「へぇ……言葉も分かるのね?」


 興味を持った様子で、接近しては身体を屈めたり覗き込んだりと観察をしてくる。まるで珍しい玩具を手にした子供のようだ。

 正直、落ち着かない。けれど、彼女はこの世界を知る貴重な存在だ。僕は大人しくその行為を受け入れて、終わるのを待つ。


 やがて、少女の目がぱっと輝き、ぱちんと手を打った。


「そうだ! あなた、ゴーストなら“憑依”ができるでしょ? この死体に乗り移って、処理を手伝ってくれない?」


 ……この世界の常識は分からないが、死体の処理を魔物に頼むのが一般的とは思えない。

 しかし、声帯のあるこの身体に憑依できれば、声を得て会話ができるかもしれない。それは情報収集への大きな一歩となる。


 僕は小さく身体を回転させ、了承の意を示す。

 少女が嬉しそうに頷くのを視界の端に捉えながら、僕は静かに横たわる青年の中へと潜り込んでいった――。




 憑依の感覚は、何度経験しても慣れないものだ。死んで固まった肉体を無理やり動かすのは、壊れた機械のような軋むようなぎこちなさを伴う。

 それでも、今回はまだ動かしやすかった。肉体に温もりが残っていたのと、人間に近い形状だったからかもしれない。


 どうやらこの死体は、魔物の住処へと運んで、餌として処理する手筈だったらしい。僕は少女の案内のもと、鈍く重たい身体を引きずりながら、森の奥へと足を進める。

 もちろん、ただ歩くだけではない。道すがら、得たばかりの声帯を使って、掠れた声で少女との会話を試みていた。


「――この男、私に好意を寄せててさ。あまりにしつこく付き纏ってきて、面倒そうだったから始末したの」


 彼女の口ぶりは、実にあっけらかんとしていた。罪悪感など微塵もない。むしろ、どこか愉快そうですらある。


『そうか』


 傾聴していると、少し怪訝そうな目を向けてくる。


「その反応、私たちと変わらないのね。知性のある魔物って、みんなそうなの?」


『分からない』


 僕は率直に答える。どうやら“知性を持つ魔物”というのは、居ないわけではないが非常に稀な存在らしい。彼女にとっても初めての出会いだという。


『そういう君も、魔物に対して随分と好意的だね。人間は問答無用で襲って来たんだが……エルフはそれが普通なのかい?』


 問い返してみると、彼女は肩をすくめた。


「ううん、みんな魔物を敵視してるよ。私が変わってるだけ。里の連中とは、感覚がまるで違うの。ちゃんと隠してるからバレてないけど……」


 苦笑交じりに語られるその言葉には、諦めと開き直りが同居していた。そして、少女は躊躇いなく続ける。


「私ね、人を傷付けるのが好きなの。泣いたり、苦しんだり、叫んだり――そういう姿を見たい衝動に駆られるの。変だよね?」


 その目が、静かに僕を捉える。どこか、試すような光を宿して。

 僕は、迷いなく首を横に振った。


『気にしない』


 その一言に、少女の瞳が僅かに見開かれた。数拍遅れて、ふっと笑みが零れる。


「そっか……それって、君が魔物だから?」


『……うーん』


 答えに詰まる。

 彼女がどんな人格であろうと、僕に害をなさないのなら何だっていい。それは、僕が魔物だからなのか?

 いや、違う。種族の話ではない。

 僕は、ただ、ただ……。


『――僕はただ、死にたくないだけだ』


 気付けば、声が勝手に漏れていた。


 そうだ、結局はそれに尽きる。僕は、死にたくない。ただそれだけだ。

 残滓として残っていた前世で得た倫理や信条は、一度殺されかけたことで完全に消え失せた。


「もう死んでるのに?」


『……』


 鋭い指摘に黙ることしかできない。確かに既に死んだ身だが、いや、経験がありその苦しみを分かっているからこそ、二度と死にたくないのだ。


「ごめんごめん、からかった。でもさ……そういうの、なんだかいいかもね」


 そう言って少女が少し嬉しそうにはにかんだ所で、不意に近くの茂みがざわめいた。

 何かが近づいてくる音。少女が手をかざして僕を制止する。やがて姿を現したのは、小型の狼型魔物だった。


「待ってて、これは処理用じゃないから魔法で追い払う。まだ食べられちゃダメだよ」


 少女の指先に風の刃が生じたと思うと、次の瞬間、小型の狼型魔物の足元へと飛来した。それを受けた魔物は、慌ただしく森の奥へ退散していく。


『今のは、魔法か?』


「なぁに、ゴーストなのに魔法を知らないの?」


『……あんまり』


「ふぅん……」


 この世界で魔法を知らないのは珍しいことなのか、不思議そうな視線が注がれる。無知であることを開示するのは宜しくないのだが、こればかりは仕方ないと開き直ることにした。

 これを機に、少女から色々とこの世界の話を聞いてみる。彼女は決して馬鹿にすることなく、一つ一つ丁寧に答えてくれた。


 そうしているうちに、目的地に辿り着く。


「ここ。洞窟の中に、でっかい魔物がいるから。その中に死体を置いてきてくれる? 私はここで待ってる」


『分かった。ありがとう』


 貴重な機会を手放すのは惜しいが、帰りが遅くなると不審がられるようで、悠長にはしてられない。


 僕は礼を述べて、洞窟へ足を踏み入れる。

 奥へ進むにつれ、やがて重い唸り声とともに、大型の魔物が姿を現した。その瞬間、僕はすっと憑依を解き、幽体へと戻る。


 空になった肉体に飛びかかる魔物。喉元を食い破られ、骨ごと咀嚼されるその姿を見届け、僕は少女のもとへと戻った。


 ぐるぐると宙を舞い、仕事が済んだことを伝える。


「ありがと。ところでさ、あなた魔法がよく分からないんでしょ?」


 突如として話題が切り替わる。だが、確かにその通りだ。世界の仕組みは少しずつ分かってきたが、魔法だけは未だ未知のまま。


 僕は肯定の意を込めて、身体を上下に揺らす。


「じゃあさ。もし暇なら、しばらくこの森にいてよ。周りに怪しまれない程度に通うから、魔法、教えてあげる」


 思いがけない提案に、僕は即座に激しく身を揺らした。

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