第9話 アトラスの部下
次の日、城下町から大工たちが十数名やってくると、教会のあちこちを見て回り、午後にはさっそく修復作業が始まった。
ルイーズは色々と話が聞きたくて、大工たちや資材を運んでくれている人たちにお茶を配って回った。
「ご苦労様です。こちらにお茶を用意しましたので、どうぞお飲みください」
大きな木材を運んできてくれた男性3人に声を掛けると、「そりゃ、ありがたい」とこちらに近付いてくる。
「今日はありがとうございます。城の外から運び込むのは大変でしょう?」
「いやぁ、教会がこんなに奥まったところにあるとは思いませんでしたよ」
大柄な男が立ったままコップのお茶を飲み干す。他の男性たちもお茶を飲み始めると、神官が慌てた様子で走り寄ってきた。
「こら、そなたたち、まずはルイーズ様にご挨拶をせよ」
「いいのよ、挨拶なんて」
「よくありませんよ。この方はアトラス様とご結婚された聖女様だぞ」
「え!? アトラス様と!? 聖女様って、どういうことですか!?」
男たちが声を上げると、作業をしていた大工たちまで手を止めこちらに目をやる。
その視線に居たたまれずにルイーズは俯いたが、神官は気にせず続きを話した。
「アトラス様の御霊を癒すために、聖女様がここで祈りを捧げているのだ」
「そんな……、アトラス様……」
「聖女様、アトラス様が謀反を起こしたなんて本当なんですか!?」
「俺は信じていませんよ!」
次々に男たちが声を上げる。
ルイーズは少し驚いたが、ハッとして顔を上げた。
「皆さんの気持ちはよく分かります。私もアトラス様がそのような御方ではないと思っております。ですが今は祈るしかないのです。皆さんもぜひここで祈りを捧げて下さい」
「聖女様……」
(ここから出るには味方がもっと必要だわ。聖女でもなんでも、使えるものは全部使わなくちゃ)
聖女の名前を出して騙すようなことは気が引けるが、それを気にしていては、いつまでたってもここから出られない。
とにかく色々とやってみなくてはと、ルイーズは心に広がる罪悪感を振り払った。
◇◇◇
それから修復作業は進み、10日が過ぎると彫刻などの職人がやってきた。その中に一人長い黒髪の青年が混じっていて、ルイーズは目を留めた。
(職人にしては綺麗な顔ねぇ……)
細身で袖をまくった腕も細く、筋骨隆々な職人たちとは毛色が違う。
ついその人をじっと見てしまっていると、はたと目が合った。
「聖女様、でございますか?」
「あ、え、ええ。今日は来ていただいて、ありがとうございます」
「あの……、私、悩みがあって、聖女様に聞いてほしいのですが……」
「え?」
自分より少し背の高いその青年は、藍色の瞳でじっと見つめてきて、ルイーズはなんだかドキドキしてしまう。
なんと答えていいのか分からずにいると、近くで聞いていた神官が口を挟んだ。
「聖女様、聞いてあげて下さい。人々の悩みを聞き心の安寧を導くのも、私たち聖職者の大切な仕事の一つです。どうぞ、この青年の心の憂いを払ってやって下さい」
「……でも、私じゃ何の役にも立たないんじゃないかしら」
「聖女様がいいんです。お願いします」
青年はそう言うと丁寧に頭を下げる。その姿にルイーズは少し困りながらも、小さく頷いた。
「分かったわ。私でよければ聞きましょう」
「ありがとうございます!」
「でしたら、あちらの個室を使って下さい」
神官に案内された小さな部屋に二人で入ると、ドアが閉められる。
「えーと、じゃあここに座って? まずは自己紹介をしましょうか。私はルイーズ――」
「ルイーズ・クライン様。クライン伯爵家の長女で、アトラス様とご結婚し、聖女として今はここで祈りを捧げておられる」
「よ、よく知っているわね」
ルイーズの言葉を遮り、青年はそう言うとまた頭を下げた。
「私はアシュリーと申します。お目に掛かれて光栄です。奥方様」
「アシュリーね。何度も頭を下げなくていいわ。さ、このイスに座って」
アシュリーにイスを勧め、ルイーズもテーブルを挟んで座ると改めて顔を見た。
切れ長の目が印象的で、どこか中性的な雰囲気を持っている。きっと町では女性にもてるだろう。
アシュリーがおずおずとイスに座るのを待ってから、ルイーズはまた口を開いた。
「悩み事って何かしら?」
「私は、アトラス様の部下だった者です」
「え!?」
思いもよらない言葉に、ルイーズは驚き大きな声を出してしまう。
アシュリーはこちらの動揺をよそに、冷静な顔で真っ直ぐにルイーズを見つめ、言葉を続けた。
「私はずっと城の外で諜報活動をしてきました。正規の部下ではないため、今回の騒動に巻き込まれずにすんだのです」
「どういうこと? なぜそんな人が私に?」
「私はアトラス様の無念を晴らしたい。アトラス様を陥れた者を突き止め、潔白を証明したいのです! お願いです! お力をお貸し下さい!」
「ま、待って! 私……、私よりももっと役に立つ人がいるはずよ。あなたのようにアトラス様の部下だった人は他にいないの?」
ルイーズが訊ねると、アシュリーは眉を歪め首を振った。
「アトラス様が最も信頼されていた騎士の方々は、あの日一緒に処刑されました。またその部下たちも数日の間に粛清されました……。直接の部下でなかった者たちも、アトラス様を信奉していたというのが明らかだった者たちは、何らかの罪を着せられ今は牢の中です」
「そんな……」
ルイーズはそんなことになっていたとは知らず、言葉を失くした。
「今動けるのは、私しかいないんです。どうか奥方様、話を聞くだけでもお願いします!」
必死な様子のアシュリーの顔から視線を逸らしたルイーズは、握り合わせた自分の手を見つめた。その左手の薬指にある銀の指輪を見つめ考える。
(私には関係ない……。無理矢理結婚させられただけの、形だけの妻だもの……。でも……)
目の前のアシュリーが、藁にも縋る思いなのは痛いほど伝わってくる。
すべての仲間を失い、自分だけが助かった。それでも死んだ主君のために動こうとしている。
(アトラス様を心の底から慕っているのね……)
そうでなければこんな危険なことはしないだろう。
ルイーズは右手の指先で指輪にそっと触れると、アトラスの最期の言葉を思い出した。
アトラスは一言も復讐してほしいとは言わなかった。ただ自由になることを祈っていると言ってくれたのだ。その優しさにルイーズは心を決めた。
「分かった。話を聞くわ」
「ありがとうございます!」
ルイーズが頷くと、アシュリーはホッとした顔をしてまた頭を下げた。
「アトラス様は嵌められたって言っていたけど、それが誰か分かっているの?」
「はい。おそらくカーティス王子とバルザス侯爵ではないかと……」
「ええ!? カーティス殿下って実の弟じゃない。本当なの!?」
「まだ確証はないのですが、十中八九そうではないかと」
ルイーズはカーティスのこれまでの言動などを思い出して、顔を顰めた。
(確かに処刑の後、妙に嬉しそうに見えたけど……)
父親に比べ、カーティスはまったく悲しそうな素振りを見せなかった。それが妙に引っ掛かっていたのだが、そういう理由があるのなら頷ける。
「半年ほど前から、アトラス様はこの二人の不正に関することを内々に調べておりました」
「不正?」
「はい。まもなく証拠が集まるという時、突然謀反の疑いを掛けられ、アトラス様は捕えられました」
「確か署名入りの誓約書が出てきたって」
「そうです。国王を暗殺し、アトラス様が国王になるという内容で、それに賛同する騎士たちの署名とアトラス様の署名が入ったものです。これによって謀反は疑いようがないものとして、全員の断罪が決定しました」
アシュリーは悔しそうな表情で顔を歪める。
「アトラス様が持っていた不正を証明する書類のすべては破棄されたでしょう。私はカーティス王子が不正を暴かれるのを恐れ、謀反を捏造したのではないとか思っております」
「なるほど……。アトラス様がいなくなれば、その不正も闇に葬れるし、第二王子であるカーティス殿下は王太子にもなれる。まさに一石二鳥ね」
「バルザス侯爵は国王陛下の右腕として現在宰相を務めておりますが、悪い噂の絶えない人物です。表向きはカーティス様とは繋がりがないように見えますが、裏では随分懇意にしているようです。この先カーティス王子が王太子になれば、バルザス侯爵の権力は盤石のものになるでしょう」
アシュリーの説明に頷きながらも、あまりにも話が大きく、自分には手に負えないと感じた。
もし今の話が本当だとしても、自分に何ができるというのだろう。
「……話はなんとなく分かったけど、私には手伝えそうにないわ」
「奥方様……」
「私はこの教会から出られないの。ほぼ軟禁状で門には兵士がいるし、何かを調べようにも身動きが取れないのよ」
「そう、だったんですね……」
「それに相手は王子や侯爵なんでしょ? 私じゃ手も足も出ないと思う」
ルイーズの言葉に肩を落としてしょんぼりとするアシュリーには悪いとは思うが、こればかりはどうしようもない。
「本当にごめんなさいね」
「……いいえ。そうですよね。無理を言ってすみませんでした。ですが一つだけ、これを預かっていて下さいませんか?」
そう言ってアシュリーが差し出したのは、紙の束だった。かなりの枚数があり、どれもびっしりと文が書かれている。
「これは?」
「これまで私が調べた貴族の裏の繋がりや、不正を纏めたものです。アトラス様にお渡ししようとしていた資料もあります。私がずっと持ち歩いていたのですが、いつ捕まるか分からないので、奥方様に保管しておいてもらいたいのです」
「分かったわ。それくらいなら……」
「ありがとうございます」
アシュリーはホッとした顔をすると、最後にもう一度深く頭を下げて部屋を出て行った。
ルイーズは残された書類を見つめ、小さく溜め息をつく。
(謀反は捏造だと信じてあげたいけど……)
ルイーズにとってアトラスを信じるのも、カーティスを疑うのも、同じくらい難しい話だ。
どちらともに噂程度しか人となりを知らないから、片方に肩入れはできない。
そう冷静に考えつつも、心のどこかではアトラスを信じたい気持ちがある。
「ここから逃げるのだって大変なのに、こんなことやっていていいのかしら……」
そう呟くと、ルイーズは書類をペラッとめくり、文章に目を落とした。