第7話 ぼろぼろの教会
港に戻ると、市民たちの集まる方から泣き声が聞こえた。
ルイーズはその声を聞きながら、今はもう赤い点のようにしか見えない船を見つめる。
(アトラス様……)
何か言ってあげれば良かった。
何の力もない自分だが、死にゆく人にもっと優しく接するべきだったんじゃないかと、いまさら後悔の念が押し寄せてくる。
「ルイーズ様、こちらへ」
ぼんやりとそんなことを考えていると、司祭に呼ばれた。
血の付いた剣を持った司祭のそばにいたくはなかったが、仕方なく歩み寄ると国王がいる方へと向かう。
「刑は執行されました」
国王にそう言った司祭は、血の付いた剣を差しだす。
それを見た国王は辛そうに眉を歪め、「分かった」とだと返事をした。
「確かに死んだのだな?」
「間違いなく」
国王の後ろに控えていたカーティスが疑うような顔で訊ねる。
司祭がはっきりと頷くと、安堵したような表情で剣を受け取った。
「よくやった。城に帰りましょう、父上。馬車にお乗り下さい」
明らかに声を弾ませたカーティスは、足取りも軽く歩いていく。
その背中を見つめて、ルイーズは顔を顰めた。
(実の兄が処刑されたっていうのに、悲しくないの?)
カーティスの態度に不快な感情を覚えたが、それを口に出す訳にもいかず、ルイーズは重い足取りで馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
次の日、ルイーズは黒の神官服を着せられると、城の隅にある教会へと連れて行かれた。
地面に敷かれたレンガには雑草が生え、草木はまったく手入れがされていないまま放置されている。その隙間を縫うように歩くと、ぼろぼろの教会が見えた。
ステンドグラスは所々割れ、壁や柱も壊れて下地が見えてしまっている所がある。
そのあまりの様子に驚きながら教会の中へ入ると、国王と白い神官服を着た老人が待っていた。
「ルイーズ、そなたはここに住み、祈りを捧げるのだ」
「はい……」
「この者は教皇のエヴァンスだ。お前の面倒を見てくれる」
「よろしくお願いいたします、教皇様」
ルイーズが挨拶をすると、真っ白な髪と髭を蓄えた優しそうな教皇が笑顔で頷く。
「聖女の末裔だとか。共に祈りを捧げましょう」
「はい……」
ルイーズが静かに頷くと、国王は祈りの間の中央に立つ女神像を見上げ目を細める。
「祈りを続ければ、きっとアトラスも安らかに眠れるだろう。こんなことで若い命を散らすとは、早まったまねをしおって……」
「陛下、アトラス様はきっと陛下を恨んでなどいません」
「いや、こうなってしまったのは余にも責任がある。父としてもっとアトラスの話を聞いてやれば良かった……」
苦しそうに吐露する国王の姿に、昨日のアトラスの姿が重なり、ルイーズは胸を締め付けられた。
(陛下は本当にアトラス様を愛していらっしゃったのね……)
呪いというより、息子の安らかな眠りのために自分は呼ばれたのかもしれない。
自分の手で息子を断罪しなければならないというのは、どれほどの苦しみだろうか。
(……だからって、私が犠牲になるというのはおかしいわ)
国王には同情するけれど、それとこれとは別の話だ。
ルイーズは国王が教会から去ると、教皇に改めて挨拶をした。
「教皇様、改めてご挨拶致します。ルイーズと申します。これからしばらくお世話になります」
「しばらく?」
「質問してよろしいですか?」
「あ、ああ」
「この教会はなぜこんなにぼろぼろなのですか?」
はっきりと訊ねると、教皇は目を瞬かせた後、笑って髭を撫でつけた。
「なかなかはっきりものを言うお嬢さんだね。ここはもう見捨てられているのだよ」
「見捨てられた?」
「ああ。昔は国の儀式もここで行われていたが、信仰心は薄れ、教会の力は失われた。形だけはこうして残されているが、いまやディエラ神を信奉する者は少ない」
教皇の説明を聞きながら、ルイーズは割れたステンドグラスを見つめる。
確かにルイーズ自身も教会に祈りに行ったことはほとんどない。だが国王までもが国教である神を信仰しなくなっていたとは思わなかった。
「国王陛下もカーティス殿下も、この教会で祈りを捧げたことはない」
「え? じゃあなぜ私が呼ばれたんですか? 信仰心もないのに私に祈らせるなんて、なんだかちぐはぐです」
ルイーズの言葉に、教皇は静かに頷く。
「信仰を蔑ろにしてきたから、余計に恐ろしいのかもしれないな」
「余計に恐ろしい?」
「ああ。もしアトラス様が悪霊になったとしても、神のご加護が得られず守ってもらえないかもしれない」
「いまさら怖くなって神頼みをしているってことですか?」
「そういうことかもしれないね」
教皇はそう言うと、女神像を見上げる。
ルイーズも同じように女神像を見上げると、その頭にひびが入っているのに気付いた。
「教皇様、あのひびはどうされたんですか?」
「あれは2年ほど前、屋根が一部崩れてきて、それがちょうど女神像に当たってしまったのだ。屋根は皆でどうにか直したが、女神像は直すお金もなくそのままなのだよ」
教皇はやるせなく笑う。その表情だけでこの城の中で、教会がどれだけ肩身の狭い思いをしているかが分かる。
ルイーズは自分が何も知らなかったことが情けなく感じ、申し訳ない気持ちで女神像を見上げていると、ふとある考えが閃いた。
(無謀かもしれないけど、やってみる価値はあるかしら……)
ルイーズは自分の考えが浅知恵であるように感じたが、それでも試してみないことには何も変わらないと不安な気持ちを振り切ると、パッと教皇に顔を向けた。
「教皇様、申し訳ありませんが、私はここにずっといるつもりはありません。国王の命令だとしても、こんな理不尽に付き合うつもりはありません」
ルイーズの言葉に教皇は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに神妙な顔になった。
「確かに古い習わしを持ち出して、無関係な君を無理矢理ここに縛りつけるのは私も間違っていると思う」
「でしたら教皇様にお願いがございます」
「お願い? どんなことだい?」
「私に協力していただけたら、私も教皇様のお手伝いをいたしますので」
「私の?」
不思議そう首を傾げる教皇に、ルイーズはにこりと笑ってみせた。