第5話 死の前の結婚式
ルイーズはアトラスの顔をこんなに近くで見たのは初めてだった。新年のあいさつや舞踏会で遠目に見ることはあっても、直接話すことなど一度もなかった。だからついその顔をまじまじと見てしまった。
茶色の髪に琥珀色の瞳は国王とそっくりだが、顔の印象は随分違う。精悍な顔つきは整っているが鋭い目は少しだけ怖さを感じる。身体も大きく騎士だけあってがっしりしている。第二王子のカーティスはどちらかというと優男で、いかにも王子様という雰囲気だが、アトラスは武人という印象が強く近寄りがたく感じた。
「君がルイーズか」
「は、初めまして、ルイーズ・クラインと申します」
低い声に返事をすると、浅く腰を落として挨拶をする。
アトラスは真っ直ぐにルイーズを見つめてくる。その強い視線に戸惑っていると、背後から司祭が入ってきた。
「アトラス様、まずは婚姻の儀式を行います」
「ああ」
「ルイーズ様、どうぞアトラス様の隣に座って下さい」
「はい……」
ここまできて拒否することもできず素直に頷いたルイーズは、おずおずとアトラスの隣に少し距離を空けて座った。
「我等がディエラ神の導きにより、二人の生きる道が重なり、運命を共にする伴侶となる。二人はこれより苦難の道を歩むことになる。だが病める時も健やかなる時も、互いを思い支え合うことで絆は深まり、その先の未来を築くことになるであろう」
司祭の言葉が空しく聞こえる。
これから断罪される人に、何の未来があるというのだろう。
ルイーズは顔を歪めて苦笑した。
「アトラス・シオン、ルイーズ・クライン。互いを認め愛し守ることを、右手を掲げ宣誓せよ」
二人は一瞬視線を合わせると、ゆっくりと右手を上げる。アトラスの腕にある手枷の鎖がガシャリと音を立てて部屋に響いた。
「よろしい。では指輪の交換を」
司祭はそう言うと、小さな箱から指輪を取り出しアトラスに差し出す。
アトラスはそれを受け取ると、指輪を見てふっと笑った。
「安物だな」
何の飾りもないシンプルな銀色の指輪をアトラスは指先で持ち、ルイーズに視線を向ける。
「左手を」
言われるままに左手を差し出すと、アトラスは薬指に指輪を嵌めた。
「では、ルイーズ様も」
「はい」
ルイーズも同じように指輪を受け取り、アトラスの無骨な指に嵌める。
(こんなに感動しない結婚式なんてあるのね……)
冷めた気持ちで指に嵌った指輪を見つめる。
少女の頃から憧れていた、華やかで美しい結婚式とは掛け離れ過ぎていて、なんだか笑えてくる。
「これで二人は晴れて夫婦となった」
司祭はそう言うと、一拍置いてアトラスを見た。
「アトラス様、では私は外に出ております。月が中点になる頃、また参ります」
「ああ」
「え、ちょっと」
ルイーズが呼び止めるが、司祭はそのまま牢を出ると、鍵を掛けて船倉から出て行ってしまう。
途端に静かになった部屋で、ルイーズはハッと気付いた。
(夫婦になって、しばらく二人でいろって、まさかそういうこと?)
名義上結婚するのではなく、本当に妻にならなくてはいけないのかと頭に過り、途端に怖くなってくる。
鍵を掛けられた牢の中で、こんな身体の大きな人に襲われたら絶対に敵わない。
じりじりと恐怖が這い上がってきて両手を握り締めると、また鎖の鳴る音がしてビクッと身体を跳ね上げた。
「そんなに怯えることはない。安心しろ。私は君に何もする気はない。何か話でもしよう」
その言葉に恐る恐る顔を見ると、アトラスは目を細めて笑っている。その穏やかな表情にルイーズは弱く息を吐くと、小さく頷いた。
「まさかこんな古い習わしを持ち出してくるとは思わなかった。祈りを捧げるための伴侶だなんてでたらめな話だ。すまないな、巻き込んでしまって」
「いえ……」
「君は聖女の子孫だと聞いた」
「はい、100年以上前の話ですが……」
「あと数時間で死ぬ男の妻など必要ないのにな……」
自嘲気味に笑ったアトラスの顔を見て、ルイーズはなんだか目の前の人が謀反を起こした人には思えなくなってきた。
アトラスの評判はルイーズも十分知っている。隣国のオルナンド王国との戦争では、常に最前線で戦っている英雄だ。兵士や騎士ももちろんだが、国民にも絶大な人気がある。アトラスは勇敢に戦う一方で、国民の生活を良くするため、常に色々な政策を打ち出し、飢饉や災害の時には率先して国庫を開けてくれる。その強さと優しさが誰からも尊敬され、支持されているのだ。
そんな人がなぜ謀反など起こしたのか、不思議でならない。
「なぜ、謀反を起こしたのですか?」
つい疑問が口に出てしまい、ルイーズはハッと口元を押さえる。聞いてはいけないことかもと思ったが、アトラスは少し驚いた顔をしたあと、真剣な目で答えた。
「謀反など起こしていない」
「え?」
「私は謀反など起こしていない。誰かに嵌められたんだ」
その言葉に驚き、ルイーズは目を見開くと、初めて真っ直ぐにアトラスの瞳を見つめた。