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最終話 新たな門出

 次の日、シオンの主要な貴族や騎士たちが集められた。


「バルザス侯爵の息が掛かった貴族は、不正を黙認されていたようで、随分私腹を肥やしていたようだな」

「はい……。戦争中、民たちの暮らしがどんどん苦しくなっていったのは、そいつらのせいでもあるんです。どれほど民が窮状を訴えても耳を貸さず、財を蓄えることばかりしていました。薄々は分かっていたんですが、戦うことしかできない私たちではどうにもできなかった……」

「そうだったのか……。それでも良心のある者たちは少なからずこうして残っている。そういう者たちがこの国をまた一から作り直し、良い方向へ導いていってくれればいいが……」


 アトラスの言葉に騎士と貴族の男性は目を合わせる。


「殿下が国王になられるのではないのですか?」


 そこにいた全員がそう思っていたのだろう。その質問に全員がアトラスを見る。

 アトラスは少し間を置いてから口を開いた。


「私もこの国の王族の一人だ。昨日言った通り、シオンの王族は全員平民へと降格となる」

「そんな! 殿下以外、誰がこの国を纏めるというのですか!」


 騎士たちが一斉に立ち上がって声を上げる。その必死な表情の騎士たちを見つめながら、ルイーズは昨日の夜のことを思い出した。



◇◇◇



「ルイーズ、君に謝らなければならないことがある」

「なんですか?」


 寝る前の時間、二人きりになると、アトラスはルイーズの隣に座り、申し訳なさそうに話しだした。


「昼間話したが、シオンの王族は全員平民となる。例外があってはならない。……私も、そうするつもりだ」


 アトラスの言葉にルイーズは驚き顔を見つめる。


「アトラス様が国王になるのではないのですか?」

「……それはできない。この国をこんな風にしたのは、私にも責任がある。何食わぬ顔をして国王の座になどつけない」


 アトラスの疲れたような顔を見て、ルイーズはアトラスの手にそっと自分の手を重ねた。


「謝る必要などありません。私はもともとそんなこと望んでおりませんから」

「ルイーズ……」

「アトラス様が心穏やかに暮らせるのが一番です。これまでたくさん辛い思いをして頑張ってきたのですもの、これからはアトラス様の思う通りに暮らしましょう」

「いいのかい? 貴族でもなくなってしまったら、ひもじい思いをするかもしれないぞ?」


 心配そうなアトラスに、ルイーズはクスッと笑い首を振る。


「貧乏な暮らしならこれでもかというほど経験しましたから、まったく問題ありません。いまさら貴族に未練などありませんし、平民になって自由になるなら、そちらの方がよほど嬉しいです」

「すまないな」

「もう、謝らないで下さい。私はアトラス様がいくところなら、どこだって喜んでついていきます」

「一緒にいてくれるのか?」

「もちろんです」


 笑顔でルイーズが頷くと、アトラスは嬉しそうに笑ってルイーズを抱き締める。


「全部終わったら、どこで暮らそうか」

「私はカゼール村の人たちにとてもお世話になったからあそこがいいですけれど、オルナンドも素敵なところですし、迷ってしまいますね」

「ああ、そうか……、カゼールで野菜を作るのもいいな……」


 アトラスの声が泣いているように聞こえて、ルイーズは顔を上げた。その瞳から涙がポタリと落ちて、ルイーズの胸が苦しくなる。


(きっとずっと辛かったのね……)


 ずっと冷静に見えたけれど、アトラスだって人間だ。胸の内にはさまざまな感情が渦巻いていただろう。

 そう思うとルイーズもまた涙が溢れた。


「アトラス様……」


 ルイーズは背を伸ばしてアトラスの涙を唇で拭う。そうして間近でアトラスの瞳を見つめると、アトラスは微笑み唇を近付ける。ルイーズはそっと目を閉じると、優しく触れる唇に笑みを浮かべた。



◇◇◇



「元々殿下が王太子だったのです。国王になってもなんの問題もありません」

「そうです! 騎士も兵士たちも、誰も文句など言いません!」

「みんな……」


 騎士も貴族の者たちも皆が口を揃えてアトラスを国王にと言ってくる。アトラスが困っていると、オルナンド王がゆっくりと立ち上がった。


「アトラスが王位を継がないというのは、こちらに来る前に余も聞いていた。シオンのことはオルナンドに一任すると。余もそれで良いと思っていたが、直接皆の意見を聞いて少し気が変わった」

「陛下」

「オルナンドはシオンを支配するつもりはない。元々奪われた領土を返してもらいたいだけだったのだ。シオンの混乱が収まれば、オルナンドは撤退するつもりだ。だがこれからシオンとは友好関係を保っていきたいと思っている。今後このような酷い戦争が起きないように。そのためにもやはり国民を導いていく者が必要だ。そしてそれはやはりアトラスが適任だろうと思う」


 オルナンド王の言葉にルイーズとアトラスを除く全員が大きく頷く。


「これほど国を腐敗させてしまった王家の者が、また国王になっては国民が納得しないでしょう」

「そんなことはありません! 民は殿下が生きていると知って、泣いて喜んでおります!」

「だが私は……」


 アトラスがそれでも頷かないのを見て、オルナンド王は顎に手をやるとしばらく考える。そうして笑顔で頷いた。


「そうだ。今回の件で、そなたに褒賞を与えねばな」

「褒賞、ですか?」


 オルナンド王は楽しげに頷くと、全員に目を向ける。


「長らく続いていた戦争を終わらせたのだ、今回の功労者はもちろんそなただろう。よって、そなたに大公位を与え、シオンの立て直しを任せる」

「陛下!」

「なんだ、不服か?」


 驚いたアトラスは腰を浮かせるが、それを聞いた騎士や貴族たちは喜びに声を上げる。


「不服とかではなく、それでは意味が――」

「国王になりたくないならそれでもいい。だがそなたはこの国を支えていく義務がある。すべてを終わらせて肩の荷を下ろしたいという気持ちは分かるが、隠居するには若すぎる」

「ですが……」

「もし断るなら、そなたをオルナンドの正式な王太子とするが、それでもよいか?」


 笑顔でそう言ったオルナンド王にアトラスは驚いた顔をしたあと、小さく息を吐いてから苦笑して頷いた。


「分かりました。陛下がそう言うなら、仰せに従います」


 アトラスの言葉にオルナンド王は満足げに笑い、室内は拍手と喜びの声に満ちた。



◇◇◇



 貴族たちとの会議が終わり、二人で庭を歩いていると、アトラスは自嘲するように笑って足を止めた。


「大公位か……。逃げられないものだな」

「逃げる?」

「……色々とありすぎて、少し疲れてしまった。ルイーズと二人で何も考えず、静かに暮らしたいと思っていたのを、オルナンド王には見透かされていたんだな」

「きっと田舎で静かに暮らしていても、アトラス様を頼って毎日誰かが訪れて、そんなにのんびりできないと思いますよ」

「そうかな?」

「そうですよ。みんなアトラス様を慕っていますもの。オルナンド王もアトラス様を頼りに思っていますし、きっとどこに行っても忙しいはずです」


 ルイーズはふふっと笑ってそう言うと、アトラスは苦笑して肩を竦める。その表情にはもう暗いものは見当たらず、どこか晴れやかに見えた。


「ルイーズがそう言うなら仕方ないか」

「はい」


 二人で見つめ合って微笑み合うと、突然ふたりとアトラスの足元にテミスが現れた。

 赤い瞳がじっとアトラスを見上げてきて、アトラスは首を傾げた。


「どうした? テミス」

『ありがとう、アトラス』


 突然男性の声がテミスから聞こえて、二人は目を見開いた。


「え? 今、声が……」

「テミス? お前、しゃべれたのか?」

『君を助けてよかった』


 テミスがそう言うと、黒い豹の姿に重なるように、若い男性が現れた。


(アトラス様に少し似てる……?)


 黒髪に青い瞳で顔や背格好がアトラスに似ている。

 その姿にルイーズはハッとして目を見開いた。


「君は……、もしかして、キール王子か?」

『うん……。君ならきっとやり遂げてくれると思っていたよ』


 キールはにこりと笑うと、ルイーズに手を差し出した。するとルイーズの肩にレアが現れて、するりとキールの手に飛び移った。


『レアとテミスもありがとう。二人を助けてくれて』

「私が海で助かったのは、君が助けたからなのか?」

『うん』

「どうして……」

『僕は父上と戦争を終わらせると約束していた。それなのに海で命を落としてしまった。でもどうしても約束を果たしたくて、君に委ねることにしたんだ』


 キールの言葉にアトラスはやっと納得がいったような気がした。

 オルナンド王がなぜあんなにも自分に優しかったのか。息子に似ていると言っても、髪も瞳もまったく違う色だし、こうして向かい合ってみれば、それほど似たところはない気がする。きっとオルナンド王は自分の中にいたキールを感じていたのではないだろうか。だから自分に優しくしてくれていたのかもしれない。


「そうだったのか……。私の方こそ君に感謝する。君が助けてくれなければ、私は今ここにいない。戦争を終わらせられたのも、国を救えたのも君のおかげだ」

『いいや、君の力だ。僕はほんの少し手助けしたに過ぎない。君は本当に英雄だな』


 死んでもなお国のことを思うキールは、きっと生前から正義感の強い青年だったのだろうと、ルイーズはキールの顔を見つめ思った。


「シオンがオルナンドを苦しめてしまったんだ。本当に申し訳ない」

『謝る必要はないよ。戦争とはそういうものだ。止めようにも止められないことはある。アトラス、これからも二国の平和を頼んだよ』

「最善を尽くすよ」

『これで僕も安心して旅立てる……』


 キールがアトラスの返答に満足したように柔らかく微笑む。

 アトラスはその表情に焦った表情で手を伸ばした。


「待ってくれ! オルナンド王に、会わないのか?」


 今にも消えてしまいそうだったキールは、その言葉に悲しげに目を伏せて首を横に振った。


『もう時間だ……』

「そんな……」

『大丈夫。僕の代わりに君がいる。父上もきっとそれで十分だよ』

「それは違うわ」


 ずっと二人の会話を静かに聞いていたルイーズは、思わず口を挟んでいた。

 キールが視線を向けると、ルイーズは両手をそっと胸で合わせて真っ直ぐにキールを見つめる。


「誰もあなたの代わりにはなれない。いくらアトラス様があなたに似ていたとしても、悲しみを消し去ることなんてできない。オルナンド王は今もあなたを想っているわ」

『そうか……、そうだな……』


 ルイーズの言葉にキールは小さく何度も頷くと、納得したように優しい笑みを見せた。


『ありがとう、二人とも』

「もう、会えないのか?」

『どうだろう……、望みは果たされたからね……』


 そう言っているそばからキールの姿は足元から緩やかに消えていく。


「キール!」

『いつか……、また会おう……』

「ああ! 約束だ!」


 アトラスがそう答えると、キールは嬉しそうに頷き消えていった。

 いつの間にかレアがルイーズの肩に戻っていて、ルイーズはそれに気付くと小さな頭を撫でた。


「もしかして、あなたも誰かの意識が入っているの?」


 訊ねてみるが、レアは可愛く首を傾げるだけだ。ルイーズはふふっと笑うと、アトラスに視線を向けた。


「キール様が安らかに眠れるように、私、祈りを捧げます」

「うん、私もそうしよう。さて、一段落したら結婚式を挙げなくてはな」

「え? 結婚式ですか?」


 ルイーズは突然の話に驚くと、アトラスはルイーズの手をパッと握る。


「せっかく大公にしてもらったんだ。盛大な結婚式を挙げられるぞ」

「今はお金も何もないのですから、盛大な結婚式なんて必要ありません」

「だめだ」


 結婚式は嬉しいが、今はそんなことをする余力はないと遠慮するが、アトラスはすぐに却下した。


「君はずっと辛い思いをしてきたんだ。それくらいしてもばちは当たらないだろう」

「でも……」

「私がそうしたいんだ。君とちゃんと結婚式を挙げて、夫婦になりたい」

「アトラス様……」


 真剣な目でそう言うアトラスの気持ちを無下にできなくて、どうしようかと迷っているとふと閃いた。


「では、お願いがあります」

「なんだ? なんでも言ってくれ」

「では――」


 そうしてルイーズはアトラスの耳に唇を寄せると、そっと囁いた。



◇◇◇



 数ヶ月後――。

 晴れ渡る空の下、美しい花で飾られたカゼール村には、たくさんの人が詰めかけていた。

 ぼろぼろだった小さな教会はすっかり綺麗に建て直され、屋根に付けられた鐘が美しく鳴り響く。

 そうして純白のウェディングドレスを着たルイーズと、騎士の服を着たアトラスは教皇の前に並んで立った。


「このような未来があるとは、なんと感慨深いことか……」

「教皇様、こんな小さな教会に総本山を移してよろしかったのですか?」

「城の中の高い塀に囲まれた場所より、自然の中で誰でも訪れることができるこの地の方が、新たな一歩を踏み出すのに最適でしょう。それに女神像もここの方が何やら幸せそうではありませんか?」


 そう言って振り返ると、大きな台座の上にたくさんの花に囲まれた小さな女神像が祀られている。それは以前教皇に説明された、初代の聖女が彫ったというものだ。


「この地はルイーズ様にとって思い入れのある土地ですし、私ものんびり奉仕ができて楽しいですよ」

「教皇様、前にお会いした時より、なんだかお元気そうです」

「ははは、そうでしょう? ここのご老人方は皆元気で、一緒に過ごしていると元気をもらえるんですよ」

「村の人たちも教皇様が来てくださって、とっても喜んでいますよ」


 ルイーズが笑顔でそう言うと、教皇はうんうんと嬉しそうに頷く。


「お二人がこの教会で結婚式を挙げると聞いて、全員この日を楽しみにしておりました」

「まぁまぁ! なんて綺麗なんでしょう!」


 後ろで明るい声がすると、村長の奥さんが笑顔で近付いてくる。その後ろから、ぞくぞくと村人たちが教会に入ってきた。


「大公様! おめでとうございます!」

「奥方様! 準備ができました!」


 アシュリーがそう言うと、全員が席につく。教会に入りきれなかった人たちが、窓やドアから顔を覗かせ今か今かと待っている。その嬉しそうな顔にルイーズも笑顔で頷くと、教皇に顔を向けた。


「では、式を始めましょうか」


 教皇の言葉に二人は身を正すと、女神像の前に立ち向かい合う。

 こうして村人や親しい人たちに囲まれ、ルイーズとアトラスは本当の愛を誓い合ったのだった――。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!

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