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第43話 国王

 裁判の間を出た二人が廊下を歩き始めると、すぐに正面からゼフィを肩に乗せたカミルが駆け寄ってきた。


「アトラス様!」

「どうだった?」


 カミルは険しい表情でアトラスに顔を近付けると耳打ちする。ルイーズには聞こえなかったが、アトラスは眉間に皺を寄せると、カミルと目を合わせた。


「まだ中に?」

「城下町へ出る扉は完全に封鎖してあります」

「分かった。行こう」


 突然行き先を変えたアトラスに、ルイーズは首を傾げる。


(どこに行くのかしら……)


 早足で歩くアトラスの顔はこれまで以上に険しい表情のように感じる。声を掛けられる雰囲気ではなく、無言であとを付いていくと、アトラスは国王の私室の前で足を止めた。

 ドアの前にはオルナンド兵がいて、アトラスに「さきほど戻られました」と報告した。


「鍵を」


 兵士から鍵を受け取ったアトラスは、音を立てないように鍵を差し込む。そうして静かにドアを押し開けると、中はもぬけの殻だった。


(誰もいない?)


 この部屋に戻ったはずの国王がおらず、不思議に思ってアトラスに声を掛けようとすると、ふいにアトラスがルイーズの口に手を当てた。そうして自分の口の前に人差し指を立てる。

 カミルが無言で手招きするので、二人でそばに寄ると本棚の前に立った。


(本棚? どういうこと?)


 困惑した表情をカミルに向けると、カミルが本棚に並んでいる本の中から一冊を手に取った。そうしてなぜか下の段の空いている場所へその手にした本を差し込むと、どこかでカチリと小さな音が聞こえた。

 カミルは二人に目を合わせながら、改めて口元に人差し指を立てる。アトラスとルイーズが無言でコクッと頷くと、カミルは本棚に手を触れ、ゆっくりと押し込んだ。すると、本棚はドアのように開き、壁だと思っていた場所に小さな通路が現れた。


(隠し通路!?)


 驚いて目を見開くルイーズをよそに、アトラスとカミルは通路へ入っていく。ルイーズもあとを追って通路へ入ると、狭い通路はすぐに下へ向かう階段となった。足音を立てないように階段を下りていき、しばらくすると古びた扉が目の前に現れた。

 足を止めたアトラスがドアをほんの少し押し開けると、中から誰かの声が聞こえた。


「城下町も危険だとここに隠れていてもらったが、オルナンド兵たちが血眼になってそなたを探している。ここも危ういかもしれない」

「この先の出口はどこに繋がっているのですか?」

「城下町の下町にある一軒家だ」

「オルナンドもまさか下町までは警戒していないでしょう。私はしばらく身を隠します。カーティス様は極刑でしょうが、シャノン王女は謹慎程度で許されるはずです。そうなったら丁度良い貴族をシャノン王女と結婚させればいいでしょう」

「ああ。まさかアトラスもこの国をオルナンドの属国にするつもりはないだろうから、あとのことは我等で決めよう」


(これ、国王の声よね……)


 男性二人が話している声のうち、片方はシオン王の声だ。だがその内容の意味が分からない。

 ルイーズは首を傾げながらも、耳をそばだてる。


「まさかアトラス様が生きているとは思いもよりませんでした。面倒なことになりましたね」

「また計画を立てなければな」

「そうですね。では、そろそろ私は行きます。陛下はしばらくアトラス様のことを上手くコントロールして、オルナンドの要求を抑えて下さい」

「分かった」


 会話はそこで終わり、ガチャッと鍵が開く音がする。その直後、「うっ!」と低い唸るような声が聞こえた。

 すると、それまで微動だにせず聞いていたアトラスが、急に扉を勢いよく押し開けた。

 扉の向こうは小さな部屋になっており、簡素なベッドと机がある。正面にはまた扉があり、開け放たれた扉の向こうで、なぜかバルザスが倒れていた。


「父上!」

「アトラス!? な、なぜここが……」

「カミル! バルザスを!」

「はい!」


 バルザスの背中からは大量の血が溢れている。ルイーズはシオン王の手に握られた血塗れの短剣を見て、顔を歪めた。


「陛下がなぜ!?」


 さきほどの会話はシオン王とバルザスが共犯だということが推測できた。けれどそれならなぜ今バルザスが刺されているのだろうか。


「カミル、バルザスを助けられるか!?」

「これは……」


 シオン王に剣を突き付けたままアトラスが訊ねる。カミルは眉間に皺を寄せたまま、バルザスの傷口を確認すると、小さく首を振った。


「これほど深く刺されてしまっては……。癒し手を呼んでいる間に絶命してしまうでしょう」

「私がやってみるわ!」

「ルイーズ?」


 ルイーズはバルザスのそばに膝をつくと、傷口に両手をかざす。バルザスは虚ろな目をしたままゼェゼェと弱い呼吸を繰り返している。

 バルザスをこのまま放っておくことはできない。それにこのまま死なれてしまっては困るということはルイーズにも分かる。


(こんな酷い傷、治したことなんてないけど……)


 自分の癒しの力では大きな傷は治せない。それでも今はどうにかしなければと、両手に集中する。するとするりとその手にレアが現れて、突然白く輝いた。


「レア? 助けてくれるの?」


 癒しの力が増大されたのが分かって、ルイーズはこれでどうにかなるかもしれないと、もう一度意識を集中させる。するとみるみるうちに溢れていた血が止まり、苦しげだった表情が和らいだ。

 カミルが傷口が塞がっているのを確認し、感心したように大きく頷く。


「すごい、あっという間に……。これならもう大丈夫でしょう」

「そうか……」


 カミルの言葉にアトラスが安堵の息を吐くと、シオン王に鋭い視線を向けた。


「どういうことですか、父上」

「こ、これは……、バルザスのしたことが許せず、つい……」

「さきほど妙な会話が聞こえてきましたが」

「……あれはバルザスを油断させるために話に乗っただけだ」


 明らかに動揺した顔で答えるシオン王に、アトラスは厳しい表情を変えず睨みつける。


「なぜバルザスはここにいたのですか? ここは有事の際、国王が逃げるために造られた場所でしょう? 私も知らなかったくらいだ。バルザスが勝手に入ったとは思えません。バルザスを匿っていたのですか?」

「バルザスにオルナンドには捕まりたくないと言われて、やむを得ずここに……。あやつが悪事を働いていたとは知らなかったのだ。だから……」


 シオン王は短剣を床に落とすと、肩を震わせ顔を歪める。


「バルザス……、信じていたのに……」


 涙をにじませ悔しそうにそう言うと、床に横たわるバルザスを見つめる。

 けれどその表情にアトラスは冷ややかな視線を送ると溜め息を吐いた。


「迫真の演技ですが、もうそんなことをする必要はありませんよ。父上」

「……どういう意味だ?」

「すべてはあなたの指示で行われたことだと、もう分かっていますから」

「え?」


 アトラスの言葉に思わずルイーズは声を漏らした。バルザスから顔を上げシオン王を見ると、シオン王は引き攣った笑みを浮かべてうろうろと視線を動かす。


「な、何を言っているんだ、アトラス」

「私を罠に嵌めたのは、あなたですね。父上」

「そ、そんな訳ないだろう!?」


 シオン王は明らかに動揺すると、よろりと身体を揺らし壁にどんと背をぶつける。


「アトラス様……、本当なのですか?」

「ああ、私も信じたくはなかった。けれど父上しかできないんだ。あの誓約書の元になった書類が見つかりました。それがこれです」


 アトラスは内ポケットから折り畳まれた羊皮紙を取りだす。


「この書類にはあなたのサインと王印がある」

「……だから何だというんだ」

「私はこの書類のことをよく覚えています。国境線の戦況が厳しくなってきて、武器を増強させるために急いで承認してもらいたかった。だから騎士隊長たちのサインが集まったあと、私が直接あなたの執務室に持って行ったんだ」


 アトラスの表情は変わらない。冷静にも見える顔で淡々と話し続ける。


「あの時、あなたは今日中にサインをして騎士庁舎に回すと言ったが、夕方になっても書類は戻ってこず、私は騎士庁舎の文官に取りに行くように頼んだ。その日にサインをもらった書類は他にも色々とあったが、その中に申請書は入っていなかった」

「そんな訳がない。余はサインを書いて文官に渡した」

「随分前の話なのに、よく覚えておいでですね」

「余とて署名した書類のことくらい覚えておる」

「そうですか。ですが残念ながらその記憶は間違っています。文官は確かにその書類がなかったと証言しています」

「そ、そやつの記憶違い……、いや、そやつがバルザスに書類を渡したのではないか?」

「いいえ」

「なぜ断言できるのだ!」


 シオン王が声を荒げ、ルイーズはビクッと身体を竦めた。目を釣り上げいらついた表情でアトラスを睨みつける顔は、今までの温和な様子とは打って変わって恐ろしく感じた。


「あなたは私が執務室を出たあと、すぐにバルザスを呼んでいます。そして申請書をバルザスに手渡し、偽造するように指示をした」

「妄想だ! 見てもいないことをさも真実のように語るな!」

「妄想ではありませんよ。執務室の扉を守る兵士が目撃したんです。バルザスは執務室から出てきた時、書類を持っていた。それも迂闊なことに書類を取り落とし、その兵士に拾われていたんです」

「な……」


 シオン王は顔を真っ青にして今度こそ言葉を失った。

 愕然とした表情をアトラスに向ける。


「兵士はなぜ重要な申請書をバルザスが持っていたのか不審に思い、今まで覚えていたそうです」

「そんな兵士一人の証言ごときで……」

「あなたは知らないかもしれないが、誠実な人間はいくらでもいる。悪事を働けば、誰かが見ているのですよ」


 アトラスの諭すような言葉に、シオン王はその場に膝をついた。


「違う……。余がそんなことをする訳がないだろう? バルザスが仕組んだことなのだ。余は何も知らぬ……。父を信じてくれ……」

「……最初からおかしいと思っていたんです。たった一枚の紙でカーティスは私を捕えた。あなたは詳しく調べもせず断罪を決め、その後の粛清まで行った」

「それはカーティスが――」

「もし、カーティスの一存ですべてが決定されたとして、ではなぜあなたはそれを止めなかったのですか?」

「私を殺すと書いてある誓約書が見つかって、冷静でいられると思うか!? カーティスはアトラスがすぐにでも謀反を起こすと訴えた。騎士たちを纏めるそなたが蜂起すれば、あっという間に国を乗っ取られると! だから余は――!」


 シオン王が必至に訴える様子には、嘘がないようにルイーズには見えた。父親が息子を追い詰めたというアトラスの言葉の方がにわかには信じられないものだ。


(それでもきっと、アトラス様の言うことが正しいのね……)


 ルイーズは悲しげにアトラスを見つめる。

 確信をもっているからこそ、こういう行動をとったのだろう。ずっとカーティスだけを強く攻め立てていたのは、シオン王を油断させるためだったのだ。

 弟に続き、父親までもが自分を陥れていたと知って、アトラスはどれだけ辛かっただろうか。


「あなたがルイーズを私の妻にしなければ、疑うことはなかったかもしれない」


 アトラスは浅い溜め息とともに、呟くように言った。


「神を信じず、神官たちを蔑ろにしてきたあなたが、私のために聖女の末裔を引っ張り出した。古いしきたりを持ち出したのは、呪われるとしたら自分だと分かっていたからだ。子を殺した親は生涯呪われ、決して幸せになることはないと言い伝えられている。あなたは神の救いは信じないが、この迷信は信じたんだ」

「呪いなんて存在しないわ……。あるのは残された人間の悲しみと恨みだけ……」


 ポツリとルイーズが呟くと、シオン王はキッとルイーズを睨みつける。


「カーティスとコンスタンスが結婚する時、ルイーズを処分するように言ったそうだが、あなたはその意見を退け、わざわざバルザスの領地へ移動させた。けれど3年が経ち、死者の呪いなどよりオルナンドの脅威の方が深刻になると、あなたはあっさりルイーズを手放した。結局あなたは何かを信じ続けることなどできないのだ」

「……全部、そなたの妄想だ」

「そうかもしれません。ですが、王族の全員がルイーズを虐げたことに変わりはない。私にしてみれば、それだけでもう万死に値する罪だ」

「ルイーズのことは悪かったと思っている。シャノンがどうしてもオルナンドに行きたくないと懇願したのだ。だがよく考えてくれ。なぜ私がそなたを殺さねばならないのだ。余とそなたの間に確執などなかったではないか。なぜ王太子であったそなたを殺す必要があるのだ!?」

「アトラス様が疎ましかったからだろう……」


 低い声がして全員が視線を送ると、バルザスが目を開けた。苦しげに顔を歪めたままだが、しっかりとした声で続ける。


「凡庸な自分とは違う、優秀な息子にあんたは嫉妬したんだ」

「バルザス! 貴様、適当なことを!」


 シオン王が大声で怒鳴り立ち上がるが、アトラスは剣先を突き付けその動きを封じる。


「バルザス侯爵、続きをどうぞ」

「アトラス様が子供の頃は良かった。あんたは自慢の息子を持つ親でいられたからな。だがアトラス様が大人に近付くにつれ、それは脅威になった。騎士として力をつけたアトラス様は、いつの間にか全軍を率いるほどに成長してしまった。オルナンドとの戦争で戦果を上げるたび、国民からの人気は高まり、いつしか国王よりも期待を寄せる存在になった」

「黙れ! バルザス! お前に何が分かる!」

「分かりますよ。若い頃から、ずっとあんたと生きてきたのだから。平凡なあんたが一番欲していたのは、特別な力だ。国王として名を残す何か。だが戦いに行く勇気も、政治に打ち込むほどの熱意もないあんたは、結局何もできずに時を過ごしてしまった。このままアトラス様が王位に就いてしまえば、必ず名君として後世に名を残すだろう。そして自分は何も成し得なかった暗君として歴史に埋もれるのだ。それだけはあんたのプライドが許さなかった。だから自分に似た凡庸なカーティスを王位に継がせようと画策したんだ」


 バルザスの話はすぐに信じることはできそうにない内容だった。

 父親が息子に嫉妬するなんて、そんなことがあるのだろうかと、ルイーズは訝しむ。


「あんたは私の不正にも気付いていて、けれど今まで何も言わなかった。それはこういう時のために弱みを握っているつもりだったんだろう。あんたは不正を見逃す代わりにアトラスを始末しろと持ち掛けてきた。カーティスが王太子に就けば、私にも得があることが分かっていてな」

「……そんなことで、アトラス様を、息子を殺そうとしたのですか?」


 ルイーズはどうしても信じられず、ポツリと声を漏らした。

 答えてはくれないと思ったが、シオン王は強い反応を見せた。ギロリとルイーズを睨みつける。


「そんなこと? そんなことだと!? 王として最も大事なことではないか! 歴史に名を残せず、何が王だ! 無能な王だったと子々孫々まで笑われるのだぞ!? それだけは絶対に耐えられん!」

「ははは、やっと本音を言ったな。あんたは国の英雄だと称賛されるアトラス様がたまらなく羨ましく、憎かった。だから殺してしまおうと決めたんだ。私を刺したのは、全部を私になすり付けようとしたんだろう? そんなことだけは決断が速いなんて滑稽な王だ」

「うるさい……、うるさい! うるさい! 国の甘い汁をすすり、私腹を肥やすばかりで、怠惰に生きてきたお前に、王の重圧が分かるものか!!」


 ぶるぶると震えながらシオン王が声を上げた。拳を床に何度も叩きつけ、頭を振る。


「何もかもお前が悪いのだ! 国王の余を尊重もせず、手柄ばかり立ておって! どうせ何もできない父だと嘲っていたのだろう!?」

「父上……」

「お前さえ死ねば安心だったのに……。なぜ生き返ったのだ! あの時、殺したはずなのに……。殺した……、余が殺したのだ……」


 床にうずくまりぶつぶつと続けるシオン王は、もう誰の声も届かない様子だった。

 それを見下ろしたアトラスは、悲しげに顔を歪めると剣を鞘にしまった。


「カミル、上にいる兵士を呼んできてくれ。父を牢へ……」

「分かりました」

「バルザス侯爵、あなたも罪からは逃げられませんよ」

「……分かっている」


 バルザスは静かに返事をすると、大きく息を吐き、目を閉じた。

 すぐに兵士たちが階段を下りてきて、シオン王とバルザスを連れていく。そうして誰もいなくなった部屋で立ち尽くすアトラスに、ルイーズは走り寄ると抱きついた。


「ルイーズ……」

「アトラス様……」


 アトラスの悲しみが伝わってきて、ルイーズはそうせずにはいられなかった。ギュッと抱きしめると、アトラスがそっと背中に手を回す。そうして肩を震わせると、ほんの短い間、アトラスは涙を流した。

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