第42話 取り調べ
それから3日間、アトラスは城内に保管されている山のような書類に目を通し続けた。そうして4日目の朝、全員が裁判の間に集められた。
手枷をさせられたカーティスが前に出されると、恨みのこもった目をアトラスに向ける。
「カーティス、どうやら3日程度牢に入ったくらいでは、自分の行いを反省することはできなかったようだな」
「反省? 何を反省するというのだ?」
カーティスは嘲るように笑うと、視線をシオン王に移す。シオン王は傍聴席で悲しげな目をカーティスに向けていた。
「父上! 兄上をお止め下さい!」
「カーティス、父上に訴えても無駄だ。お前のしたことはすべて分かっている。もはや父上だとて庇うことはできない」
「私のしたこと? 何を言っているんだ。お前のしていることの方がよほどおかしいじゃないか! 敵国と共に祖国を侵略するなど! 売国奴め!!」
「オルナンドはシオンを征服するつもりはない。元々オルナンドのものであった領土を取り返しただけだ」
「そんな甘い口車に乗せられたのか? そんなもの嘘に決まっている!」
何を言っても言い返してくるカーティスにアトラスは溜め息をつくと、またシオン王に視線を向ける。
「父上、この場を設けたのは、カーティスのこれまで行ってきた悪行を父上に知ってもらうためです」
「分かった。開廷を許そう」
「ありがとうございます」
室内は重い静けさに包まれている。ルイーズは部屋の隅に立ち、固唾を飲んで見守った。
「カーティス、お前はバルザス侯爵と共謀し、私の謀反を捏造したな?」
「言いがかりだ! そんなことする訳がない!」
「もう調べはついている。ここに私が謀反を起こしたという証拠の誓約書がある。この誓約書、よく見ると色々と不可解な点があるんだが」
誓約書をカーティスに見せるように差し出すと、カーティスはあからさまに目を逸らす。
「当時、この誓約書を突きつけられた時は、混乱して気付けなかった。この署名は確かに私が書いた。他の騎士たちの署名も間違いはない。だがこんな文章を書いた覚えはさらさらない」
「な、何を言っているんだ! お前が書いたから、そこにあるんだろうが!」
「この誓約書はよく見ると真ん中に染みのようなものがある。これは羊皮紙が継ぎ足された時に残る跡なんだそうだ」
アトラスの言葉に傍聴席にいる貴族たちがざわざわと騒ぎ出す。カーティスは眉を歪め、明らかに動揺した表情を見せた。
「連れてこい」
アトラスの言葉に兵士が頷くと、廊下から薄汚れた服を着た中年の男性を連れて戻ってくる。ボサボサの髪に尖った顎が特徴の男は、背中を丸め真下を見るように項垂れてしまっている。
「この者はこの誓約書を偽造した男だ」
カーティスはハッとした顔をすると、男を凝視する。
アトラスは男の前まで歩くと、誓約書を突きつけた。
「これはお前が作ったものだな?」
「はい……」
「どうやって作ったんだ?」
「……羊皮紙の縁を溶かして、特別な溶液に漬けながら繋ぎ合わせるんでさぁ……」
「すると繋ぎ目が見えなくなり、まるでもともと一枚であったように見えるんだな? この染みのようなものは、必ずできてしまうのか?」
「いえ……。これを作った時は、大急ぎでと注文が来て、慌てて作ったもんだから、繋ぎが甘くなっちまったんだ……。俺ぁ、いつもはこんな半端な仕事はしねぇが、旦那がせっつくから……」
男はぼそぼそと低い声で答える。カーティスは青い顔をしてその声を聞きたくないという風に、顔を背けた。
「その『旦那』というのは、バルザス侯爵だな?」
「……はい、そうです……」
「お前はバルザス侯爵から、よくこういう依頼を受けていたのか?」
「はい……」
「この誓約者はバルザス侯爵に依頼されてお前が偽造した。それで間違いはないな?」
「はい……」
男が深く頷くと、傍聴席のざわめきが大きくなった。その中で、シオン王が悲しげに顔を歪め、両手を握り締めている。ルイーズはその顔を見て、胸が苦しくなった。
(カーティス様の告発を信じてアトラス様を断罪したのに、そのカーティス様が実はもっとも父親を裏切っていたなんて、信じたくないわよね……)
ルイーズは国王から視線を移し、アトラスを見つめる。アトラスは表情を変えることなく、冷静な声で続ける。
「カーティス、この偽造をお前は知っていたんじゃないか?」
「わ、私は知らない……」
「知らない? 何も知らずにバルザス侯爵からこの誓約書を受け取り、意気揚々と私を捕まえたのか?」
「私はバルザスに誓約書を見せられて、あ、兄上が謀反を企てていると言われたから捕まえただけで、それが偽物だなんて知らなかったし、ほ、本当はあんなことしたくなかったんだ……」
「その割には随分やる気になっていたように見えるが?」
「そ、そんな訳……。私は本当に兄上が父上を殺そうとしていると思って、父上を守りたくて……」
カーティスは狼狽えたように言い訳を口にする。その言葉にアトラスは苦笑を漏らした。
「父上を守りたくてではなく、自分の不正を暴かれたくなくて、の間違いではないか?」
「な……」
「もう調べはついていると言っただろう? あの頃調べていたお前の不正は、もうすっかり裏取りも取れているんだ」
「う、嘘だ……」
アトラスは机の上に山のように置かれた書類の、一番上の束を手にするとカーティスに近付く。
「お前は私の告発を恐れて、口封じのために殺そうとしたんだ」
「ち、違う!」
「当時、いや、今もか。お前はバルザス侯爵と共謀し、多額の国費を使い込んでいる。私は当時、不審な金の流出を調べていたが、お前はそれを知って私を消そうとした」
「私は……、そんなことはしていない……」
「それにしても詰めが甘いな。これほどの量の証拠をいまだに残していたなんて。私が死んで安心していたのか? それとももはや誰も咎めないと高を括っていたのか?」
「くっ……」
「私はたった一枚の誓約書で断罪されたが、お前はいったいいくつの証拠で断罪されるかな?」
アトラスの言葉に、カーティスはさっきまでの威勢が徐々になくなり、青い顔でぶるぶると震えだした。
その姿を見てアトラスは溜め息をつく。
「……兄上はなんでも持っているではないですか。英雄と言われるほどの剣の腕もある。頭も切れる。国民からの人気も……。私は兄上みたいになりたかった……。憧れていた。羨ましくて、妬ましくて……。そんな時に、バルザスが誓約書を持ってきたんだ。兄上が謀反を企てていると。父上が危ないと。だから……」
「バルザス侯爵はお前のことを利用しただけだ」
「利用?」
下を向いていた顔を上げたカーティスは分かっていないのか、虚ろな目をアトラスに向ける。
「バルザスは父上の右腕という信頼と高い地位を使って、さまざまな不正に手を染めていた。このまま私が国王になれば、やりにくくなると思ったのだろう。そこで扱いやすいお前を利用して私を排除させたんだ。これが成功しお前が王太子になれば、バルザス侯爵には頭が上がらなくなる。さらにその先、お前が国王になれば、国を思うがままにできる。そんな野望のためにお前は利用されたんだ」
「そんな……。私はただバルザスの言う通りにしただけで……。あ、兄上……、どうかお助け下さい……。私は悪くない……」
弱い声でカーティスはアトラスに訴えてくる。
けれどアトラスは表情をまったく変えず、口を開いた。
「悪くない? 国費を不正に使ったこともか?」
「そ、それは……」
「お前は私だけでなく、大切な部下たちを全員殺した。騎士隊長たちをろくに取り調べもせず。その後、お前は王太子になったが、オルナンドと戦うこともせず城に籠り、戦争のために徴収した国民の大切な税金を遊興のために使い続けた。どれほど兵士が死のうと国民が困窮しようと、手を差し伸べることはしなかった。それだけでなくルイーズを苦しめ、自分たちの安全のためだけにオルナンドに差し出したんだ!」
アトラスは最後には語気を荒げ言い放った。初めて怒りの感情を露わにしたアトラスに、カーティスは怯えたような目をして首を振る。
「ルイーズのことは父上が決めたんだ……。私は悪くない……。戦争にだって行かなくていいって……。国民だって……困窮なんていうほどのことじゃ……」
「城下町以外の町や村がどうなっているか知らないようだな。もはや食べるものも手に入らず、餓死している者もいるんだぞ? 耐え切れずに滅んでしまった村もある。国民は王族や貴族を恨み、国を捨てオルナンドに助けを求めている。国を治める者としてこれほど恥ずべきことはないんだぞ?」
「…………」
叱りつけるようなアトラスの言葉に、カーティスは顔を歪ませ項垂れる。
アトラスはもう弁明も口にしなくなったカーティスから視線を外すと、シオン王に目を向けた。
「父上、なぜカーティスを戦わせなかったのですか?」
「余は再三カーティスに戦場に行くように求めた。だが臆病なカーティスはそれを拒否し続けたのだ」
「命令を出せば良かったのでは?」
「そうだな……。だがそなたも分かっているだろう? 戦いに怯えている者を戦場に無理に立たせても役に立たないことを。そんな者が先頭にいたところで、戦いの士気を下げるだけだ。……余はカーティスを甘やかし過ぎたのだろうな。完璧なそなたと違い、何も上手くできない次男を、どうしても放っておけないのだ」
国王は後悔を滲ませ悲しげに表情を曇らせる。
その言葉にカーティスはゆっくりと顔を上げた。
「ち、父上、私は――」
「カーティス、これも経験だと国政を任せていたが、国民のことをこれほど蔑ろにするとは……。バルザスが補佐すれば大丈夫だと思っていたが、まさか二人で不正を働いているとはな」
「違います! 父上! 父上が――!」
「こんなことになるのならば余が戦場に立てばよかった。このところ足の古傷が痛み、つい気弱になってそなたに王座を譲ることばかり考えていたが、そなたに任せて政治から離れていたのは間違いだった」
国王はそう言うと、アトラスに頭を下げた。
「すまない、アトラス。二人の過ちを見抜けなかった余の責任だ」
「父上は国政から離れていたのですか?」
「ああ。そなたが死んでしまってからは、随分気力がなくなってしまってな。カーティスが王太子になってからは、隠居生活を送っていたのだ」
「そうですか……」
アトラスは小さく頷くと、カーティスに視線を戻した。
背を丸め項垂れたまま動かないカーティスに、静かに声を掛ける。
「あとはバルザス侯爵に話を聞かなければならないが、現在行方不明だ。調印式にはいたが、どこに逃げたのやら。さて、他の者も審議しなくてはいけないが……」
アトラスの視線の先にいたのは、コンスタンスとシャノンで、二人は青い顔でビクリと肩を竦める。
兵士が二人を促し歩かせると、カーティスの横へ立たせた。
「わ、私は何もしていないわ! 王太子妃になったばかりだし、何の罪もないわよね? ね!?」
最初に声を発したのはコンスタンスだった。焦った口調でそう捲し立てると、部屋の隅にいたルイーズに顔を向ける。
「お姉様も言ってちょうだい! 私は悪くないって! ねぇ!!」
「コンスタンス……」
ルイーズは必死な様子のコンスタンスに何も声を掛けることはできなかった。
(かばうなんてできないけれど……)
コンスタンスはこれまでさんざん継母と共に自分をいじめてきた。身体に傷を負うようなことはなかったけれど、何度も心は傷つけられた。長年その苦しみに耐えてきたのだ。それを許すことなどできない。それでも今の状況を憐れんでしまう気持ちも胸の片隅にあって、自分がどうしたいのかよく分からなかった。
「王太子妃コンスタンス・シオン。何もしていないというなら、それが君の罪だ」
「え? ど、どういうこと?」
アトラスの言った意味がまったく分からなかったのだろう。コンスタンスが怪訝そうに首を傾げる。
「王族は女性だとしても、国のために尽力する義務がある。妃教育を受けたのだから知っているはずだ。ましてや君は次期王妃になる存在だ。そんな者が何も知らなかったで済むわけがないだろう」
「そ、そんな! 私は……」
「女性に何ができるというの? お兄様」
コンスタンスの代わりに隣に立つシャノンが口を開いた。コンスタンスとは違い青い顔をしながらも、毅然とした様子でまっすぐアトラスを見つめている。
「わたくしたちは政治に参加もできず、城の中に押し込められているのよ。そんなわたくしたちに、どうやって民の困窮を知れというの?」
「シャノン。お前が王女として今まで学んできたことはなんだ? 教授たちはお前に何も教えなかったのか?」
「偉そうなことを言わないで。わたくしが王女としてできるのは、国のためになる殿方と政略結婚することだけよ。それがどれだけ酷いことだと思う? 顔も知らない相手と結婚させられるわたくしの気持ちが、お兄様に分かるわけないわ!」
シャノンが声を上げると、アトラスはシャノンを睨みつけた。
「……ふざけるな! お前はそんなことを言って、オルナンドとの結婚をルイーズに押し付けたじゃないか! コンスタンス、君もそうだ。家族でありながら金に目が眩んでルイーズを切り捨てた。ルイーズはお前たちの悪意をすべて背負いながら、それでもたった一人でやるべきことをやりぬいたんだ!」
「それは……、ルイーズが適任だと思ったからよ。政治的な判断よ。お父様だって反対はしなかったわ」
「この国の惨状は、王族すべてに責任がある。女性だろうが子供だろうが、逃れることはできない」
「お兄様!!」
きっぱりと言うと、シャノンはこれまで見たことがないほど顔を歪めてアトラスを睨みつけた。
「アトラス、シャノンもコンスタンスもまだ年若く、過ちを犯すこともある。許してやってはくれんか」
「お父様……」
シオン王の言葉にシャノンが安堵したように息を吐くと、コンスタンスと手を取り合う。
だがアトラスは表情を戻すことなく、冷たい目で言い放った。
「父上、私はこの腐敗しきった王家をこのままにしておくつもりはありません。犯した罪には相応の罰が必要です。家族だからと罰を免除すれば、それはそのまま国民の憎悪となりましょう」
「だが、まだ成人にもなっていない妹を罰するなぞ、あまりにも厳しすぎやしないか?」
「私が何より腹を立てているのは、ここにいる全員がルイーズを苦しめたということだ。何の関係もなかった女性一人に国の命運まで押し付け、自分たちはのうのうと生きている。それを悪いとも思わずに」
「アトラス……。ルイーズのことは悪かったと思っている。だが仕方なかったのだ。あの時はそうするしかなかったのだ」
アトラスは握り締めていた両手を緩めると、怒りを鎮めるように大きく息を吐いた。
「今日はここまでにしましょう。バルザス侯爵を見つけてから処分を決めます」
そうして全員が部屋から出て行くと、ルイーズはアトラスの隣に近付き、そっと腕に触れた。
「……お疲れ様」
「ああ。コンスタンスのことだが……」
言いづらそうに話しだしたアトラスに、ルイーズは小さく首を振る。
「私のことは気にしないで。コンスタンスも王族よ。まったく無関係でいられないことくらい、彼女も分かっているでしょう」
「君は……、大丈夫か?」
そう聞かれて、ルイーズは少しだけ口を噤んだ。
「私はずっと彼女のことを家族だと思っていたわ……。お父様が選んだ方の娘だもの、きっと仲良くなれると思っていた。けれどコンスタンスはそうじゃなかった。悲しいけれど、私たちはずっと今日まで歩み寄ることはできなかった……」
「ルイーズ……」
労るようにアトラスがルイーズの手を握ってくれる。ルイーズは弱く笑みを返して続けた。
「彼女の処分はアトラス様にお任せします。王族の一員として、公平に処分をお決め下さい」
「分かった」
ルイーズの言葉に、アトラスは少しだけ安堵したような表情を見せ頷いた。




