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第37話 火事とお茶会

 廊下に出ると、兵士やメイドが険しい表情でバタバタと通り過ぎた。まだ火や煙はどこにも見えないが、なんとなくきな臭い匂いは廊下に漂っている。

 ルイーズたちはシオン兵の誘導で小走りに廊下を進むと、表玄関の方へと進んだ。城内に宿泊している貴族たちも同じ方向に逃げていて、誰も彼も青い顔をしていた。


「ルイーズ、手を離すなよ」

「はい」


 しっかりとアトラスの手を握り階段を駆け下りると、開け放たれたドアから広い前庭に出る。そこには多くの貴族や、使用人たちが集まっていた。


「父上」

「ああ、二人とも無事だったか」


 ベンチに座っているオルナンド王を見つけ、二人で駆け寄る。3人はそれぞれ視線を合わせると、小さく頷いた。


「しばらく様子を見よう。ルイーズ、ここに座りなさい」

「あ、いえ、私はここで大丈夫です」

「しばらくは部屋に戻れそうにもない。立ちっぱなしでは疲れる、座りなさい」

「ありがとうございます、陛下」


 オルナンド王の隣に座ったルイーズは、ホッと息を吐きながら城を見上げる。

 まだ星の見える空に、薄く白い煙が見える。


「火元はどこなのかしら……」

「城の奥の方に見えるが、どうだろうな」


 アトラスは同じように城を見つめ答える。

 それからしばらく経って、空が白み始めた頃、カーティスが姿を現した。


「お騒がせして大変申し訳ありませんでした。オルナンド王、お怪我はありませんか?」

「うむ。それより、火事はどうなったのだ?」

「鎮火致しました。ぼや程度で済んで、怪我人もおりません」

「そうか。どこか火事になったのだ?」

「城の奥にある教会です」


 カーティスの言葉に反応したのはルイーズだった。


「教会!? 教皇様はご無事なのですか!?」

「……ああ、平気だ」


 その言葉にルイーズは胸を撫で下ろす。城に戻ってきて一番会いたいと思っていたのは教皇だ。勝手に城をうろつくことができないので、会いに行けなかったが、無事だと分かって安堵した。


「各部屋の安全は確認できましたので、お戻りになっていただいて結構です」

「シオン王はどこに避難しているのだ?」

「父上は安全なところにおりますので、ご心配には及びません」

「そうか。では部屋に戻らせてもらおう」


 オルナンド王が立ち上がるので、ルイーズも一緒に立ち上がると、またアトラスと手を繋いで部屋に戻った。


「疲れただろう? 昼くらいまで寝よう」

「大丈夫でしょうか」

「兵士たちが上手くやってくれている。ルイーズは心配せず、身体を休ませよう」

「はい……」


 色々と心配ではあったが、中途半端に起きたせいで眠くて仕方がない。

 ルイーズはアトラスの言葉を素直に受け入れると、もう一度ベッドに入り眠りについた。



◇◇◇



 それからぐっすりと眠り昼頃に目を覚ますと、アトラスはすでに起きて、何かの書類を見ていた。


「アトラス様」

「おはよう、ルイーズ」

「ごめんなさい、寝すぎてしまいました」

「いいさ。支度をして食事にしよう。午後のお茶会は予定通り開かれるそうだからそのつもりで」

「分かりました」


 調印式の前には色々と予定が入っている。王族や貴族との交流も予定されていて、ゆっくりしている時間はあまりない。

 ルイーズはドレスに着替え支度を済ませると、ソファに座っていたアトラスの前に出た。


「お待たせしました」

「ああ、いいな。瞳の色と同じ水色のドレスか。よく似合ってる」


 アトラスは立ち上がってそう言うと、ルイーズの額にキスをする。


「すぐにお食事の準備を致しますので、少々お待ち下さい」

「ああ、頼む」


 メイドはそう言うと、部屋から出て行く。

 二人きりになると、アトラスはルイーズの髪に触れ、優しく撫でた。


「不安か?」

「少し……。でもアトラス様を信じておりますから」

「ありがとう。今のところ順調だが、相手がどう出てくるかは分からない。注意は怠らないようにな」

「はい、分かりました」


 ルイーズは真剣な目でアトラスを見つめ、大きく頷いた。



◇◇◇



 午後のお茶会はカーティスが主宰で、若い王侯貴族たちが集められた。

 ルイーズたちがサロンに到着すると、中ではもうすでに来ていた貴族たちが噂話をしていた。


「ねぇ、アトラス様の幽霊をメイドが見たって聞いた?」

「ええ。晩餐会の夜でしょう? 本当かしら?」

「本当なものか。幽霊なんて馬鹿馬鹿しい」

「でも、昨日の夜の火事だって、教会の近くが燃えたんでしょ? なんだか不吉だわ」

「ルイーズ様がオルナンドの王太子妃になったことを怒っているんじゃないか?」

「なんだよ、それ」

「だって、本当なら、シオンの王太子妃になるはずだっただろ? アトラス様の妃なんだから」

「なるほど……。でも幽霊なんて……」


 数人の話し声に足を止めた二人は顔を見合わせる。

 アトラスがわざとらしく咳をすると、こちらに気付いた女性たちが慌てて席を立ち挨拶をした。


「少し早かったかな」

「そんなことはございませんわ。さぁ、こちらにどうぞ。まだ全員揃っておりませんのよ」


 愛想笑いをした女性が取り繕うようにそう言うと、中へ促す。

 二人がイスに座ると、女性たちはすかさずルイーズに声を掛け、ドレスやヘアスタイルを褒めそやした。

 ルイーズはそれらに適当に返事をしつつ、カーティスたちが来るのを待った。


「やぁ、待たせたね」


 しばらくしてカーティスとコンスタンスが姿を現すと、笑顔でサロンに入ってきた。

 全員が立ち上がり、二人に挨拶をする。アトラスも立ち上がると、カーティスが近付いてきた。


「少しは休めただろうか」

「ああ。火事の後始末は終わったのか?」

「ええ、ぼや程度だったので」

「その割に城内がまだ随分ざわついているようだが、何か理由があるのか?」


 アトラスの質問にカーティスが明らかに動揺した。目をうろつかせ返事を考えていると、隣にいたコンスタンスが口を挟んだ。


「オルナンドの方々がいらっしゃっている時に火事など起こして、調印式に影響が出ないかと心配しているのですよ。ね、カーティス?」

「あ、ああ。そうだ」

「そうか。それならいいが」

「さぁ、もう火事のことは忘れて、楽しい時間を過ごしてくれたまえ」


 カーティスはわざとらしく笑みを作ってそう言うと、お茶会が始まった。

 たくさんのお菓子やケーキが並ぶテーブルの上は、市民の飢えなどないかのように華やかで贅沢だ。ジャムがたっぷり入った紅茶を見つめ、ルイーズが罪悪感に顔を曇らせていると、コンスタンスが声を掛けてきた。


「お姉様、どうしたの? お口に合わなかったかしら?」

「あ、いいえ。とっても美味しいわ」

「そう。それなら良かったわ。お姉様、オルナンドでの生活はどう? オルナンドってやっぱり野蛮な人ばかりなの?」


 コンスタンスの窺うような問いに、ルイーズは笑顔で首を振ってみせた。


「キール様を見れば分かるでしょ? オルナンドの人は皆優しくて、素敵な人ばかりよ。戦争でそんな噂が広まってしまったけれど、これからはお互いちゃんと知っていかなくてはいけないわね」

「そ、そうね……」


 コンスタンスはつまらなそうな表情になると、ぷいとそっぽを向いてしまう。


「カーティス殿、調印式の前に城下町に行きたいんだが、案内してくれるか?」

「城下に? そんなところに行って何をするんだ?」

「ルイーズはシオンでは聖女として市民に慕われていたのだろう? 母国に帰ってきたのだから、市民に顔を見せてあげたくてね」

「……分かった。手配しよう」


 カーティスは渋々頷く。コンスタンスも顔を顰めていたが、上手いこと了承を得られて、アトラスとルイーズは視線を合わせると、微かに頷き合った。

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