第34話 白い守護聖獣
数日後、停戦約定の調印式の日程が決まると、シオンへ戻る準備が始まった。
「アトラス様はキール王太子としてシオンに行くのですか?」
「そうだ。キールとしてシオンに行けば、堂々と城へ入れるだろう? ルイーズは王太子妃として共に行けばいい」
「王太子妃!?」
廊下を歩きながらこれからのことを聞いていたルイーズは、国王の思いもよらない提案に声を上げた。
「そうだ。その方がそなたも行く理由ができるだろう? 二人で胸を張って祖国へ帰ればいい」
「ですが陛下、戦場ではないのです。さすがに見破られてしまいませんか?」
アトラスの質問に国王は不敵な笑みを浮かべて首を振る。
「そなたのことは誰もが死んだと思っているのだ。敵国の王太子が同じ顔をしていても、まさか本人だとは思うまいよ。まぁ、そなたを陥れた者たちは悪夢のような話だろうがな」
国王はそう言うと、いたずらっ子のように笑う。その様子にルイーズとアトラスは顔を見合わせると、クスッと笑った。
長い廊下を進み、不思議な石柱が均等に置かれた円形の庭に出ると、国王は足を止めた。
「カミル、珍しいな、そなたが塔から出てくるのは」
「陛下」
国王の呼びかけに振り返った男性は、軽く会釈をするとルイーズに視線を向ける。長い黒髪にローブ姿はなんだかミステリアスで、ルイーズは少し怖く感じたが、その腕に見覚えのある鳥がいて、パッと目を輝かせた。
「ゼフィ?」
「ルイーズ、彼はカミル。ゼフィの主だよ」
ルイーズはカミルの前で足を止め、カミルに視線を合わせた。
「初めまして。ルイーズと申します」
「……初めまして、カミルです」
カミルは低い声でぼそぼそと答えると、ゼフィが止まる腕を前に差し出す。目の前にいるゼフィはじっとルイーズを見つめると、突然ピィと高い声で鳴いた。
「どうしたのかしら?」
「あなたがアトラス様と同じ、特別だとゼフィが言っています」
「特別?」
カミルの言葉に首を傾げ、アトラスの方へ顔を向けると、その後ろに黒い大きな獣がいて、飛び上がらんばかりに驚いた。
「あ、アトラス様! 後ろに!」
「ん? ああ、テミス。なんだ突然出てきて」
恐怖に顔を歪めるルイーズとは対照的に、のんびりとした声を出したアトラスは、優しく獣の頭を撫でた。
「だ、大丈夫なのですか?」
「こいつもゼフィと同じ守護聖獣だよ。なぜか今は私のそばにいる。こちらに危害を加えることはないから心配ない」
「守護聖獣……」
本で見たことがある豹のような体躯に翼が生えている。黒々とした毛並みは艶があって、ビロードのようだ。濡れたような赤い瞳がじっとルイーズを見つめている。
「カミル、ゼフィは何と言っているんだ?」
「陛下、ルイーズ様はオルナンドの血が入っています」
「え!?」
驚いて声を上げたのは、国王ではなくルイーズだった。
アトラスもさすがに驚いた様子で目を見開いている。
「ルイーズ様を探しているあいだ、家系やら色々と調べたのですが、6代ほど前にオルナンドの女性がクライン伯爵家に嫁いでいます。オルナンドで神官をしていた女性です」
「そうなのか? ルイーズ」
「……まったく知りませんでした。本当なのですか?」
敵国だと思っていたオルナンドと自分に、そんな繋がりがあるとは思わずもう一度訊ねると、カミルはこっくりと頷く。
「あなたの先祖にいたという聖女は、その女性の娘ですね。あなたが今、癒しの力が使えるのも、きっとその先祖の血のおかげでしょう」
「信じられない……」
「カミル、ルイーズが『特別』だというのは、オルナンドの血が入っているということか?」
アトラスの質問に、カミルは首を振ると、ふいに歩きだし、何本も立つ石柱の一本の前に立った。
「ルイーズ様、こちらへ来てこの石柱に触れてみて下さい」
「え?」
「カミル、まさか……」
国王は何かを悟ったような顔をしたが、ルイーズは何がなにやら分かず戸惑った。どうしようとかとアトラスに顔を向けると、アトラスはルイーズの手を繋いで歩きだした。
石柱はルイーズが抱きつくと少し手が足りないくらいの太さで、高さは人の3倍ほどはある。表面には何か文字のようなものが彫ってあるが、まったく知らない文字で読めない。
国王も隣に立ち、少し緊張しながら手を伸ばすと、石柱に触れる。すると、冷たいはずの石の表面は、まるで人肌のように温かかった。
「え……、なにこれ……」
指先から伝わる熱に戸惑いながら、ゆっくりと手のひらで触れると、身体の芯まで熱が届くような感覚に息を飲んだ。
「ルイーズ!」
「おお! なんと!」
アトラスと国王の驚く声が重なり、振り返ろうと首を捻ったルイーズは、頬に何かふわふわの温かいものが触れて目を見開いた。
目の前に真っ白な毛があって、驚いて顔を引くと、なぜか肩に白い小さな動物が乗っている。
「レアが目を覚ましおった! なんということだ……」
「ゼフィがルイーズ様とずっと話をしていて、レア様と同じ波動を感じると言っていたんです。もしオルナンドに来ることがあるなら、絶対にレア様と引き合わせたいと思っていました」
「なんと……、こんな不思議な縁があるとは……」
肩に乗っていたレアと呼ばれた動物は、身軽な様子で手のひらへと移動する。よく観察してみると、胴の長いイタチのように見えた。
頭から尻尾の先まで真っ白で、まるで雪のようだ。
「この子も守護聖獣なのですか?」
「ああ。随分長いこと眠っていた。王家を守る者の一人なのだが、滅多に主を選ばず眠ってばかりの珍しい守護聖獣だ。強力な癒しの力がある」
「癒しの……」
「これはルイーズが主に選ばれたということですか?」
「そうなるな。二人ともに守護聖獣に選ばれるなど、なかなかないことだぞ」
アトラスは国王の言葉に感心し、ルイーズに顔を向ける。
ルイーズはなんだか色々なことが突然起こって、上手く呑み込めずにいた。けれど目の前のレアはとても愛くるしくて、あっという間に好きになった。
手のひらで小さな頭を包み込むように撫でると、大きな目を細めて頭を擦り付けてくる。
「私が主になってしまってよいのですか?」
「よいよい。レアが気に入ったならそれでよいのだ。守護聖獣はオルナンドを守護する存在だが、主は自分で決める。テミスと共にシオンへ連れていってくれてかまわない」
国王は嬉しげにそう言うと、うんうんと何度も頷いてみせた。
こうして2週間後、国王と共に、アトラスとルイーズはシオンに向けて旅立った。




