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第30話 シオンの砦

 アトラスはキール王太子として、兵士たちと共にシオンへ向かって出立した。数日後、シオンの砦に到着すると、アトラスは戦闘に参加し、それまで攻めあぐねていた砦を一気に落とし、砦と周辺地域はオルナンドの支配下になった。

 砦で戦ったシオン兵は自分の知る兵士ではなかった。統率も取れておらず、兵士の士気もまったくないように感じた。オルナンドの勝利が確実となると、一目散に逃げてしまう兵士も多くいた。


「殿下、逃げた兵士はどうしますか?」

「放っておけ。投降した兵士はとりあえず牢へ入れ、怪我の治療を頼む」

「分かりました」


 アトラスは指示を出しながら周囲を見て回る。大半の兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったが、追い掛けるつもりはなかった。

 捕えられた兵士を確認するために牢へ向かったアトラスは、治療を受けているシオン兵の顔を確認したが、知っている兵士は一人もいない。


(私の部下は一人もいないか……)


 直属の部下は粛清され、その下の兵士たちはたぶん他の隊へバラバラに移動させられたのだろう。

 アトラスは小さく溜め息をつくと、近くにいた若い兵士に声を掛けた。


「そなた、名はなんという?」

「ビリー・マクレイ……」


 茶色の髪の少年はアトラスの顔を見た瞬間、ハッとした顔をした。だがすぐに顔を曇らせると、下を向いてしまう。


「隊長は捕えられていないようだが、どこに行ったか分かるか?」

「隊長は……、最初に逃げた」

「なに?」

「隊長なんて名ばかりで、本気で戦っているヤツなんていない。隊に配られる資金を横領して、さっさと逃げたよ」


 ビリーは両手を握り締めて吐き捨てるように言った。


「そんな奴がなぜ最前線の隊長などになっているんだ?」

「この国はもう終わりだ……。税金もどんどん上がって国民は困窮しているのに、王族や貴族たちの贅沢三昧は変わらない。騎士ももう志のあるヤツなんていない……」


 ビリーは悔しそうに両手を握り締めて呟く。


(父上はこの状況を分かっていないのか?)


 この下級兵士の言うことはたぶん本当だろう。統率の取れていない軍の様子を見ても、訓練などがまともに行われていないことは容易に想像できる。最前線でさえこうなら、もはや国内の軍は使い物にならないかもしれない。


「しっかり養生して傷を治せ」

「……殺すんじゃないのか?」

「私たちはシオンを滅ぼしにきた訳ではない。とりあえず牢に入れたが、すぐに釈放する予定だ。家に帰りたければ帰るがいい」


 アトラスが穏やかな声でそう言うと、ビリーは怪訝そうに顔を歪める。それから何かを言おうと口を開いたが言葉は出ず、また膝を抱えて俯いてしまった。


「殿下、いいですか?」

「ああ」


 オルナンドの将軍が声を掛けてきて、アトラスは牢を出ると、これからの方針を決める会議に参加した。


「アトラス様、ゼフィがそろそろ陣営に戻ってきますので、奥方様の方へ飛ばして結構ですよ」

「いいのか?」

「ええ。砦も落としましたし偵察も一段落しましたから、ここから先は密偵たちが働いてくれます。アトラス様にも兵士と密偵をお貸ししますので、ご自由にお使い下さい」

「それはありがたい」


 砦にはカミルも同行している。カミルはかなりぼやいていたが、ルイーズと連絡を取るためにはゼフィが必要だろうと、国王が命令を出してくれた。

 シオンに戻ってまずやらなくてはならないのは、ルイーズの安全を確保することだ。


(今はとにかく食べるものだけでも届けてやらなければ……)


 あの痩せ細った身体では、いつ病気になってしまってもおかしくはない。それにまたカーティスに何かされては命も危ないだろう。


「密偵にはルイーズの護衛についてもらう。それから私の仲間が生き残っているか、調べてもらうつもりだ」

「分かりました。我等はこの先の町まで進軍するための準備を致します。アトラス様は安全のため、この砦からはお出になりませんように」

「分かった……」


 本当は自分もここから出て動きたいが、それはオルナンドの国王に止められている。キールとしてここにいる以上は、勝手な行動はできない。

 アトラスは飛んでいきたい気持ちをぐっと堪えて、静かに頷いた。



◇◇◇



 夜になってカミルのいる部屋に行くと、カミルはテーブルの上に置いた小さな鏡を見ていた。


「カミル、どうだ?」

「間もなくカゼール村です。少しお待ち下さい」

「ゼフィは疲れないのか?」


 空から偵察など人間にはできない芸当だから、ゼフィは常に色々な場所を飛んでシオンの偵察を行っている。昼夜を問わず飛んでいて、疲れないのかと心配して言うと、カミルは笑って首を振った。


「ご心配には及びませんよ。ゼフィは守護聖獣ですから、この程度どうということはありません」

「そうか」

「鏡の前にどうぞ。もう教会に着きますよ」


 アトラスがイスに座ると、鏡にはもうすっかり見慣れた教会が映し出された。

 ゼフィが木の枝に止まってピイと鳴くと、バタンとドアが開きルイーズが血相を変えて走り出てくる。


「アトラス様!?」


 近付いてきたルイーズは怪我などもなく変わりない様子で、アトラスは詰めていた息をホッと吐いた。


「ルイーズ、砦に到着したよ」

「お怪我はありませんか!?」

「大丈夫だ。色々話したい、中へ入ろう」

「はい、アトラス様」


 ルイーズは笑顔で頷くと、開けっ放しのドアから室内に戻った。ゼフィが後ろについて飛ぶと、見慣れた質素な室内に入った。

 かまどに火が入っているから室内はそれなりに明るいが、それ以上の明かりがないため、部屋の四隅は暗い。これまではテーブルの上にろうそくがあったはずだが、今はテーブルもかまどの近くに置かれ、その上には小さな鏡以外乗っていなかった。


「……ろうそくもないのか?」

「あ……、節約しているだけですよ」


 ルイーズは困ったような顔をするとそう答え、鏡を引き寄せた。


「ふふ、アトラス様の心配そうなお顔、もう見慣れてしまいました」

「そうか……」

「はい。戦いはどうでしたか?」

「オルナンドの勝利だ。シオンの軍は引いた。私はしばらくここから動けない。申し訳ないが、そちらに行くのはまだ先になりそうだ」

「戦場にいるのですから、どうぞ私のことは気になさらず、ご自身の安全をお考え下さい」


 ルイーズの優しい言葉に、アトラスはふっと笑みを浮かべると、ルイーズはどこか安堵したような表情で息を吐いた。


「ついに戻ってきたのですね……」

「ああ、やっとな。今日、シオン兵に話を聞いたが、状況は悪くなる一方のようだな」

「はい……。皆、この生活がきっと良くなるって期待していたのに。国王陛下はなぜこの状況を放っておかれているのでしょうか……」


 不安げな様子のルイーズの表情は、昼間話したビリーという兵士とまったく同じだった。

 期待し裏切られ、暗い未来しか見えない状況に怒りと絶望を感じている、そんな表情だ。


「今日ビリーという少年兵と話したんだが、君と同じように感じているようだった」

「ビリー?」

「ああ、ビリー・マクレイという名前だったか。随分若い兵士だったな。まだ訓練もそれほど受けていない様子だったが」

「ま、待って下さい! ビリー・マクレイと言いましたか!? ビリーは生きているのですか!?」


 ルイーズは突然慌てた様子で腰を浮かせる。アトラスがどうしたのかと思いながら「ああ」と頷くと、ルイーズは胸の前で手を合わせて、涙を浮かべた。


「良かった……。ビリー、生きていたのね……」

「知り合いか?」

「はい。私が城の教会にいた時に、助けてくれた人なんです。私に関わったせいで咎められてしまい最前線に送られてしまって……」

「そうだったのか」

「ビリーは無事なのですか?」

「多少は怪我をしているが、オルナンドの兵士が手当てをしたから大丈夫だ」

「そうでしたか……」


 安堵した表情でルイーズは姿勢を戻すと、一呼吸おいてからまた話しだした。


「ビリーやアシュリー、教皇様、それに村の人たち……。たくさんの人たちがアトラス様を今も慕っていて、私を助けてくれたんです」

「ああ……」

「早く皆にアトラス様が生きているって教えてあげたいです」

「そうだな」


 穏やかに微笑むルイーズに微笑み返すと、ルイーズはふと困ったように眉を少しだけ歪める。


「どうした?」

「いえ……、一番に会いたいのは自分だなって思ったんです」


 ルイーズの言葉にアトラスは胸がギュッと掴まれたように苦しくなる。


(会いたいと思っているのは私の方だ……)


 こんなにもルイーズのことを愛しいと思うようになるなんて思わなかった。最初はただ巻き込んでしまった詫びの気持ちだと思っていた。けれど鏡越しに話すうち、本当に愛しくてたまらなくなってしまった。


「私も会いたいよ……」

「え……」


 ポツリと呟くと、ルイーズの頬が赤くなっていく。その困ったような照れた顔もまた愛しく感じて、アトラスは微笑んだ。

 話が終わりゼフィが教会から飛び立つと、アトラスは重い溜め息をついた。


「心配ですか?」

「まぁな……」


 腕を組んで頷くと、カミルがクスッと笑った。


「なんだ?」


 からかわれているように感じて睨みつけると、カミルは肩を竦めて答えた。


「いえね、契約結婚だと話していたわりに、随分心を寄せているようだなと思って」

「お、お前には関係ないだろ」


 カミルに図星を指されたアトラスは、動揺した声を出しながら慌てて立ち上がる。そのまま部屋を出ようと歩きだすと、背後でカミルの押し殺した笑い声が聞こえ、ドアを力任せに閉めたのだった。

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