第29話 取引
カーティスの結婚式が終わったあと、アトラスはどうやってシオンに戻るかを具体的に考えるようになった。
ルイーズの状況をこれ以上見過ごすことはできない。シオンに戻るのは危険だろうが、手をこまねいていては、ルイーズの生活はどんどん酷くなってしまうだろう。
王太子時代、慎重になり過ぎて、結局敵に動く時間を与えてしまった。もうあの失敗を繰り返すわけにはいかない。
とにかくシオンに戻ってからすべては考えようとアトラスは決め、国王に話をしに行った。
鍛錬場で兵士と何やら話している国王へ近付くと、こちらに気付いた国王が笑顔を向ける。
「またルイーズの様子を見に行っていたのか?」
「陛下、お話があります」
硬い表情でそう言うと、国王はこちらの様子に気付いたのか、真剣な目になると「聞こう」と言って歩きだした。
「何かあったのか?」
「……やはりこのままここに居続けることはできません」
「そうか……」
鍛錬場を離れ人目のない場所まで来ると、国王は足を止めて振り返った。
「すぐにでもシオンに戻りたいと思います」
「前にも言ったが、一人で帰っても死ぬだけだぞ」
「それでも、行かなければ」
決意を胸に言い切ると、国王は神妙な顔で考え込んだ。そうして少しするとこちらに顔を向けた。
「そんな顔をされては引き留めることもできないな」
「陛下……」
「分かった。だが一人で行かせるわけにはいかない。そなたはキールとして、シオンとの戦いに参加するのだ」
「え?」
国王の言っている意味が分からず首を傾げると、国王はゆっくりとまた歩きだした。
「我が国がなぜそなたの国に戦を仕掛けているか分かるか?」
「領土を取り返すためでしょう?」
もともとあまり仲が良くなかった両国だが、10年ほど前の戦争で、シオンが勝利しオルナンドの領土を奪った。町二つ分ほどの大きさだが、現在はシオンの市民が住んでいる。
新たに作られた国境には砦が置かれ、現在はそこが最前線になっている。
「その通りだ。だがなぜ我等がそこまで躍起になって取り返そうとしていると思う?」
「え……、それは元々の領土だからでは?」
「ただの領土奪還ではない。もしあの地がただの土地だとしたら、我等はこれほど長年に渡って攻め続けはしないだろう」
「どういうことですか?」
国王は中庭に立つ石像の前で足を止めると、それを見上げた。
人の姿ではあるが顔が獣面で、背中に翼のある石像は、たぶん守護聖獣をかたどったものだろうとアトラスは思った。
「あの地には強力な守護聖獣が眠っている」
「え!?」
「森の中に大きな石碑がある。その下に眠っているのだ。守護聖獣にはそなたに付いているテミスのように人を守る者や、土地を守る者、宝を守る者などさまざまいる。だがどの守護聖獣にも共通することがある。それは放っておいてはいけないということだ」
「放っておいてはいけない?」
アトラスの問いに国王は大きく頷く。
「守護聖獣たちはなかなか気難しい者が多い。だから我等は常に彼等を敬い、感謝を伝え続ける必要がある」
「神のように祈りを捧げるということですか?」
「そうだ。だが守護聖獣は見ることも触れることもできない神とは違う。彼等はこの地に住まう身近な存在だ。そしてあの土地に眠る守護聖獣は土地を守っている。もう100年近く姿を見せていないが、巨大な蛇の守護聖獣だ」
「守護聖獣を取り返すために、戦争を続けているということですか?」
「それもあるが、厳密にはそうではない」
国王は首を振ると、小さく溜め息をついた。
「あやつが目覚めた時、必ずやらなければならない祭事がある。それをやらなければ、あやつはあの土地を滅ぼすと云われている」
「ええ? 土地を守っている守護聖獣なのにですか?」
「だから気難しいと言っているだろう? 言い伝えによれば相当な被害が出るのは確実だ。それに周辺にどれほどの影響があるのかも分からん。だからシオンに何度も親書を出し、とにかく話をさせてほしいと願い出ていたのだが、一度も会談を受けてはくれなかった。あやつが目覚めるのがいつかはまったく分からない。だから仕方なく攻撃を開始したんだ」
「知らなかった……」
アトラスは愕然として呟いた。
オルナンドの国王から親書が来ていたなんて、一度も聞いたことがない。父はただ、野蛮なオルナンドが土地を取り戻すために、戦を仕掛けてきているとしか言っていなかった。
(なぜ父は一度も会談を受け入れなかったのだろうか……)
一度でも話す機会があれば、これほど長く戦争が続くことはなかったはずだ。
「砦に何度か攻撃を仕掛ければ、会談に応じてくれると思っていたが、そう上手くはいかなかった。シオンは国境線の守備を固め、こちらの攻撃をことごとく防いだ。砦は強化され、すっかり戦争は膠着状態となってしまった」
「なるほど……」
「前線で指揮をしていたキールも、かなり頭を悩ませていたな。そなたがいる以上は、砦を落とすのは容易なことではないとぼやいていた」
国王の言葉に何と答えていいかアトラスは困ってしまった。まさか敵国の王と王子にそんな風に思われていたなんて思ってもみなかったからだ。
だが戦争に関してあまり父から褒められたことがなかったアトラスは、国王の言葉に少しだけ嬉しさを感じた。
「キールが亡くなってしばらく手を休めていたが、そなたがキールとしてシオンに行くとなれば、士気も上がるだろう」
「ま、待って下さい! 私はキール王太子の代わりにはなれません」
「それは分かっている。だがキールとしてシオンに戻れば、当分の間は安全だろう? ルイーズを助けるためにも、そなたがすぐに捕まる訳にはいくまい」
国王の言い分はもっともで、アトラスは眉間に皺を寄せると少しの間考え込んだ。
「ですが、祖国の兵士と戦うなど、私にはできません……」
「剣を振るえとは言っていない。それは我が軍の兵士たちも望んではいまいよ」
「ではなぜ……」
「余が何の見返りもなく、そなたを助けていると思うか?」
真っ直ぐに見つめて言ってくる国王に、アトラスは眉を歪める。
「そなたを全面的に援助する。だがその見返りとして、あの土地を返してほしい」
(なるほど、そういうことか……)
国王がなぜ自分にこれほど親切にしてくれるかずっと疑問だった。ただ息子に似ているだけで、敵国の王子にここまでするなど、お人好しがすきる。
だがこの理由を聞いてやっと理解した。
「取引ということですね?」
「テミスを連れたそなたがいれば、兵士たちの士気も上がるだろう。どうだ? やってみるか?」
「……分かりました」
アトラスはしばらく考えた末、頷いた。
今、安全にシオンに入国できるとしたら、この手しかないだろう。苦しい選択だが、ルイーズを守るためにはとにかく今は助け手が必要だ。
アトラスはそう自分に言い聞かせた。
「陛下に協力します。しかし極力シオンの兵士を殺さないでいただきたい」
「分かっておる。余もできる限り犠牲は少ない方がいいと思っておる。領土さえ取り戻せればいいのだから」
こうしてアトラスはシオン王国へ戻るために、キールとして戦争に参加することを決めた。




