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第25話 守護聖獣

 目覚めてから数日すると、アトラスはゆっくりとだが歩けるほどに回復した。敵国の王太子だと誰もが知っているはずなのに、皆親切で逆に戸惑ってしまうほどだった。

 特に国王は時間があれば顔を出し、アトラスの具合を心配してくれた。

 国王の息子の話をアトラスは信じてはいなかったのだが、国王の態度を見ていると、本当に自分が亡くなったキール王太子に似ているのかもと思えた。


(私をこうして客人のように扱っているのは、何か裏があるのかと思っていたが……)


 歩行練習のために廊下を歩きながら考えていると、廊下の角から国王が姿を現した。


「おお、さすが武人だ。もうすっかり歩けるようになったな」

「手厚く看護していただいたおかげで、随分良くなりました。ありがとうございます」

「それほどかしこまることはない。さぁ、休憩をしよう」


 国王に促されソファに座ると、メイドがお茶を運んでくる。


「1年も眠ったままだったのだ。焦って治そうとしてもどうにもならん。ゆっくり治していけばいい」

「ですが……、私は国に帰らなければ……」

「帰ってどうするのだ。部下たちも殺されてしまったのだろう? 一人で戻ったところで、また捕まるだけではないのか?」

「それは……」


 アトラスは最もな意見に黙り込んだ。国王の言う通り、闇雲にシオンに戻ったところで、自分一人では何もできないだろう。


「それでも帰らなければ……」

「そなたを陥れた者は、誰なのだ?」


 国王の言葉にアトラスは両手を握り締める。


「まだ推測の域を出ませんが、おそらく弟のカーティスだろうと思います」

「第二王子か……」

「カーティスは宰相のバルザス侯爵と手を組んで、色々な不正に手を染めていました。私はその事実を知り告発するための証拠を集めていました」

「なるほど。その告発をする前に、手を打たれたということか」

「はい……」


 国王はゆったりと背もたれに背を預けると、顎髭に手を添え唸る。

 アトラスは今のカーティスを思い、眉間に皺を寄せた。


(今頃カーティスは、王太子になって意気揚々と過ごしているのだろうな……)


 カーティスとは子供の頃からあまり仲が良くなかった。カーティスの口癖を今もよく覚えている。「兄上はいいよね。何でもできて、何でも持っていて」そう言っていつも拗ねていた。

 アトラスはそう言われるたびに、「努力すればお前だってできるようになる」と諭していたが、その言葉が届くことはなかった。


「第二王子は王太子の座が欲しかったのか?」

「それもあると思います。カーティスはずっと自分が第二王子であることを悔しく思っている様子でした」

「よくある話だが、実の兄を断罪にまで追い込むなど、なかなか残酷なことをする弟だな」


 そう言われてアトラスは少しの間考えると、返事をした。


「大それたことができる性格ではないので、もしかしたらバルザス侯爵の入れ知恵かもしれません。それに父は弟をとても可愛がっていたので、進言を真に受けて厳しい判決にしてしまったのかも」

「そう思いたい気持ちは分かるが、人の心など他人には分からんものだ。第二王子が胸に秘めていた思いをよく分かっていたのは、そのバルザス侯爵の方かもしれんぞ」


 アトラスはその言葉に返事ができなかった。


(確かにそうだ……。私は何も分かっていないのかもしれない……)


 実の弟が自分を殺したいと思っていたなんて信じたくなくて、周囲のせいにしようとしているだけかもしれない。


「事情は分かったが、やはりそれならば余計に慎重になった方がいいだろう。せめて味方を作ってからでも遅くはあるまい」

「いえ……、もう一つ気掛かりなことがあって……」

「なんだ?」


 アトラスが指輪に触れながらルイーズのことを説明すると、国王は呆れたような表情で口を開いた。


「そんな大昔の迷信を信じているのか」

「こちらの国にも同じような習わしがあるのですか?」

「あるにはあったがもう100年以上は前の話だ。罪人の恨みの気持ちを浄化させるために、その伴侶を聖職者にさせるというのは、当時の宗教観から来ている。死者の呪いは強力で逃げられないものという思想があったからな。だが我が国ではもうその考えは廃れて、何の罪もない家族に罰を与えるようなことはしていないぞ」

「そう、ですか……」


(父上はなぜそんな古い考えを持ち出してきたのだろうか……)


 どちらかといえば信仰を毛嫌いしていたし、呪いなど絶対に信じていないと思っていた。

 アトラスが父のことを考えていると、国王が背後に控えている騎士に小声で何かを訊ねた。


「アトラスよ、そのルイーズという娘がどうなったか心配なのだな?」

「はい」

「よし。余が手助けしよう」

「え?」

「我が国が魔物を従えているのは知っているだろう?」

「はい」

「他国の者はあれらを魔物だと思っているようだが、本当は守護聖獣という生き物なのだ」

「守護聖獣?」


 アトラスは戦場で何度も見た異形の生き物を思い出した。騎士の命令に従い、戦場で兵士を襲う姿は、シオンにとって脅威の何物でもなかった。

 シオンに魔物を従える術などない。だからオルナンドがどうやって魔物を従えているのか、不思議でならなかった。


「我が国を守る特別な生き物、それが守護聖獣だ。魔物のような姿だが、大抵のものは意思疎通ができ、色々な力を備えている。その中に偵察を得意とするものがいる。そやつにその娘を探させてみよう」

「どうしてそこまで良くして下さるのですか?」


 ただ息子に似ているだけで、敵国の王子を救うだろうか。どうしてもそれが信じられなくてアトラスが訊ねると、国王はふっと笑った。


「出て参れ、テミス」


 国王は誰に向かって言ったのだろうかと訝しんでいると、突然自分の足元にある影が動いた。ギョッとしたアトラスは思わず腰を浮かせる。

 その影は、あっという間に黒い塊になると、豹のような姿になった。だが普通の豹ではない。その背には大きな翼があり、動物ではないことは一目瞭然だった。


「こ、これは……」

「この者はテミスという。元々キールの守護聖獣だった者だ。キールが亡くなり眠っていたが、そなたが城に来た途端、目覚めてそなたに憑いた」

「え? それは……、どういうことですか?」


 まったく意味が分からず訊ねると、国王はテミスの頭を一撫でして微笑んだ。


「テミスはそなたの中にキールを感じているのかもしれん」


 国王の言葉の意味がまったく分からず、アトラスは無言で首を捻ると、テミスを見つめた。

 テミスはぐるぐるとのどを鳴らし、甘えるように国王の手に頭を擦り付ける。その仕草は猫のようで、恐ろしい魔物のような姿とは掛け離れて見えた。


「テミスは王家を守る特別な守護聖獣の一人だ。正義を守り、不義を罰する守護聖獣だ。テミスが選ぶ者は誠実な者でしかあり得ない。だから余はそなたを信じ、助けるのだ」

「陛下……」


 国王の言葉にアトラスは不覚にも泣きそうになった。捕えられた時、父はまったく自分のことを信じてくれなかった。それがあまりにも悲しくて今まで考えないようにしていたが、国王の真っ直ぐな言葉にその気持ちが蘇ってきてしまった。


「余の言葉が信じられぬかもしれんが、そなたをどうこうしようとは思っておらんから心配するな。奥方のことは少し時間をくれ。どうにかしてみよう」

「ありがとうございます……」


 アトラスが頭を深く下げると、国王は目を細め頷いた。

 その後、仕事だと国王が去っても、テミスという守護聖獣はその場に動かずにいた。じっくりとその姿を見ようとすると、まるで身体が溶けるように黒い影に戻り、姿が見えなくなってしまう。


(王家を守る守護聖獣がなぜ私に……)


 足元の自分の影を見ながら考えるが、答えが出る訳もなくアトラスは溜め息をつくと窓の外を見た。

 窓の向こうの山並みには、もううっすらと雪が積もっている。


(私が生きてこんなところにいるなど、誰も思わないだろうな……)


 見知らぬ景色を見つめ、アトラスはルイーズの顔を思い浮かべた。

 笑顔で貴婦人らしからぬことを言ったあの時の顔をよく覚えている。国がどうなっているかも気になったが、今はやはり最後に迷惑を掛けてしまったルイーズのことが気になって仕方がない。


「無事でいてくれよ……」


 アトラスは山の向こうにあるはずのシオンを思い、小さく呟いた。

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