第22話 オルナンドへ
アトラスとの鏡越しの逢瀬は2年間続いた。
断罪の日から3年近く経ったが、ルイーズの状況は何も変わっていなかった。苦しい生活の中で、それでも耐えていられたのは、ひとえにアトラスの存在が大きかったからだ。
アトラスに会うことはできなかったが、それでも鏡の向こうで笑顔を見せてくれるだけで、ルイーズの心の支えになった。
きっと大変な状況の中で、自分のことを気遣って、いつも優しい言葉を掛けてくれる。あれから何度かドアの外に野菜や花が届けられた。その突然のプレゼントに心は弾み、温かくなった。
アトラスともっと話したい、会いたいという気持ちは、ルイーズの心の中でどんどん膨らんでいった。
「聖女様、そろそろ雪が降りそうですね」
「そうね……」
村長の言葉にルイーズは小さく頷くだけで、また黙ってしまう。
ここ1ヶ月ほどゼフィの姿を見ていない。アトラスとの連絡が途絶えたことに不安を覚え、ルイーズは何をやるにも上の空だった。
今日も村人以外の人が祈りに来ているというのに、笑顔で対応できなかった。
「もしや、お具合が悪いのですか?」
「ああ、いえ……、大丈夫よ」
「こんなご時世ですからね、心配なことは山のようにありますな」
村長はそう言うと、悲しそうな顔で小さな女神像を見上げる。
シオン国内は酷い状況だった。戦争による混乱が広がり、市民の生活はどん底と言ってもいいくらいだ。戦域はあれから広がることはなかったが、国王は占領された領土を取り返すため、徴兵を繰り返している。
実力差はもはや子供でも分かるくらい歴然としているのに、負けを認められないのか、闇雲に戦闘は続けられている。
「いっそ儂らも土地を捨て、オルナンドに助けを求めた方がよいのでしょうか」
そうかもしれないとルイーズが頷こうとした時、ドアがバタンと開き兵士が入ってきた。
「ルイーズ様、国王陛下からのご命令です。どうぞ馬車にお乗り下さい」
「え……?」
突然入ってきた兵士に驚き立ち上がると、そのあと数人がドカドカと入ってくる。
「突然なんですか?」
「城へ帰ってくるようにとのことです。お急ぎ下さい」
「城へ帰る? どういうことですか?」
「事情は国王陛下にお聞き下さい」
有無を言わせない兵士に、ルイーズは村長と目を合わせる。
(ここでごねてもしょうがないか……)
ルイーズは腹を括ると、顔を引き締めて兵士に顔を向ける。
「手ぶらではいけないわ。荷物を纏めるから少し待って下さい」
「……分かりました」
渋々頷いた兵士は、他の兵士に目配せする。たぶんルイーズが逃げないように命令を受けているのだろう。
ルイーズは急いで自分の部屋に戻ると、トランクの中に適当に私物を放り込んでいく。本当に大切なものはアシュリーから預かっている書類だ。これをここに置いておくわけにはいかない。
城に帰ってくるようにということは、以前の結婚式の時のように一時のことではないように聞こえる。ここにもう戻って来られないのなら、この書類は持って行くべきだろう。
ルイーズは下着などの下に書類を隠すと、トランクを持って部屋を出た。
「聖女様……」
「村長さん、留守をお願いできますか?」
「お戻りに、なられますよね?」
「ええ、必ず戻ってきます」
城で何が待っていようとも、自分は生き延びる。
ルイーズは覚悟を決めてそう答えると、兵士に囲まれ馬車に乗り込んだ。
村人たちが何事かと心配げな表情で見つめている。ルイーズは窓から顔を覗かせると、笑顔を見せた。
「皆、行ってきます!」
「行ってらっしゃい! 聖女様!」
こうしてルイーズはほぼ2年ぶりに城へ赴くことになったのだった。
◇◇◇
城下町に入った馬車は速度を落とさず城に向かう。
窓から見えた城下町の景色は、2年前とさほど変わらない。街道沿いの大きな町は、どこも明らかに寂れてしまい人通りも少なかったが、城下町だけは今まで通りの賑わいだった。
城に到着したルイーズは馬車を降りると、謁見の大広間へと連れて行かれた。
「ルイーズ様、ご到着でございます!」
大広間の大扉が開かれると、煌びやかな服をまとった貴族たちが一斉にこちらに視線を向ける。
薄汚れた神官服を着たルイーズは、それらを冷えた眼差しで見つめると歩きだした。
(市民たちは皆苦しい生活を続けているのに……、この人たちはまるで変わらない……)
貴族は貴族らしくあるべきだとよく継母が言っていた。大きな屋敷に住み、美しく装い、優雅に暮らす。それが貴族なのだと。だから父が亡くなったあとも、散財を止めなかった。
ここにいる者たちが継母と同じ考えであるなら、貴族はなんと愚かな存在なのだろうか。
ルイーズは奥歯を噛みしめて前へ進む。ここでそれを訴えたところで、きっと誰の心にも響かないだろう。ちっぽけな自分の言葉など、誰の耳にも届かない。
玉座に座る国王を一度真っ直ぐ見つめると、ルイーズは深く頭を下げた。
「ルイーズでございます。お呼びにより参上いたしました」
「よく戻ってきたな、ルイーズ」
国王の優しい声に顔を上げると、国王の隣にはカーティスとコンスタンスがいた。二人は穏やかな表情でこちらを見ている。
「2年もの間、祈りを捧げてくれて感謝している。亡きアトラスもきっと喜んでいよう」
「……ありがたきお言葉、痛み入ります」
「現在の国の情勢は知っているか?」
「国の情勢といいますと……、戦争のことでしょうか」
「そうだ。現在、オルナンド王国との戦争は停戦交渉に入った」
「停戦!?」
ルイーズは思わず大きな声を出していた。
ずっと続いていた戦争がやっと終わるのかと、安堵の気持ちが胸に広がる。
「このまま戦争が拡大し、国土全体が戦場になってしまえば、国民にも犠牲者が増えるだろう。それは絶対に避けたいのだ」
(ああ、やっぱり国王は国民のことを考えていてくれているのね)
なぜここまで時間が掛かってしまったのかは分からないが、それでも国王が国民を見捨ててはいなかったのだと分かってホッと息を吐いた。
「オルナンドから停戦の申し入れがあり、余はそれを受けようと思う」
「ご英断かと存じます」
「うむ。そこでそなたにオルナンドに行ってもらいたいのだ」
「え……?」
国王の言葉の意味が分からず、ルイーズは小さく声を漏らした。
国王は眉間に皺を寄せ、険しい表情で続ける。
「オルナンドは停戦の条件に、占領した土地と我が国のシャノン王女をもらいたいと言ってきた。オルナンドの王妃が数年前に亡くなり空位が続いている。そこで王妃になる姫を所望してきたのだ」
「で、では、姫様が行かれるのですよね? 私は何のために?」
「そうではない。シャノン王女の代わりに、そなたに行ってもらいたいのだ」
(な、何を言っているの……!?)
あまりのことに動揺して何も言えないでいると、国王の腕に縋るようにシャノンが抱きついた。
「お父様は辛い決断をなさったのよ。本当はお兄様のためにお義姉様には祈りを続けてほしい。でもそれではあまりにお義姉様が不憫だわ。だからその献身に報いるために、国の代表としてオルナンドに行くことを譲ってほしいと私に言ったのよ」
「な、なぜそれが私に報いることになるのですか?」
「だって王妃になれるのよ? 狭い教会に閉じ込められて祈りを捧げる日々より、よほどいいじゃない? そのぼろぼろの神官服を脱いで、美しいドレスが着たいでしょ?」
「は……?」
シャノンの言葉に、ルイーズは思わず顔を顰める。
国王を見ると、シャノンの手を握り優しく頷いている。
「ルイーズ、そなたはアトラスの妻であり、現在は王家の一員だ。いずれは良き相手と再婚をと考えていたが、これ以上の縁組みはなかろう」
「陛下……」
(本気で言ってるの?)
停戦のために姫をよこせというのは、体のいい人質だ。これでシオンはオルナンドに迂闊に手が出せなくなる。王妃などと口当たりのよいことを言っているが、あちらに行って幽閉でもされるのが落ちだろう。
けれどそこまで考えて、ふとルイーズはアトラスのことが頭に浮かんだ。
(あちらに行けばアトラス様に会えるかもしれない……)
オルナンドの王妃になるなんて絶対に嫌だが、アトラスに会えるのならば、一か八かこの話に賭けてみてもいいかもしれない。
カゼール村にいればずっと村人が人質になっていて、ルイーズは身動きがとれない。彼等の安全のためにも自分はあの村から出る必要が絶対にある。
「……分かりました。オルナンドへ参ります」
絞り出すように静かにそう言うと、シャノンがにやりと笑った。
「そう言ってくれると思ったわ! お義姉様!」
「おお、ルイーズ、よく言った。そなたの国を思う心、余はしかと受け取ったぞ」
貴族たちが笑顔で拍手をする。その顔は皆どこか安堵したような表情だ。
(これで戦争が終わると、ホッとしているって顔ね)
ルイーズは浅く息を吐くと、もう一度頭を下げ謁見の大広間を出て行った。
メイドが「部屋にご案内します」と促すので歩きだすと、後ろから呼び止められた。
「お姉様!」
ゆっくりと振り返ると、コンスタンスが走り寄ってくる。
「コンスタンス……」
「あら、今は王太子妃よ」
「……王太子妃様、ご機嫌麗しゅう存じます」
「ああ、気を遣わないでいいのよ。私たち二人きりの姉妹じゃない。それより、シャノンの身代わりになってよかったの?」
コンスタンスは楽しげに笑みを浮かべて聞いてくる。
ルイーズは顔を顰めてコンスタンスを睨みつけた。
「だって、オルナンドの国王ってもう50歳なんですってよ? それにあちらの国って確か一夫多妻制でしょ? 魔物を従える野蛮人だというし、王妃なんていっても絶対幸せになれないわよ」
「ご忠告ありがとう。でも自分で決めたことだから」
「あら、強がっちゃって。自分で決めただなんて、国王の命令は絶対だもの、断れないだけでしょ。まぁいいわ。お姉様がオルナンドに行けば戦争は終わるし、やっと国が落ち着くわね」
悪びれもせずそう言うコンスタンスに、ルイーズはそれ以上話す気にならず口を閉ざした。
「不遇なお姉様。でも私が王妃になったら、お互い王妃ですもの、良い関係がきっと築けるわね。それまでどうか生き延びてね」
コンスタンスは優雅に挨拶をすると、廊下を去って行った。
それからルイーズはサイズの合わないドレスを着せられ、3日後には城から出発させられた。出立するルイーズを見送ってくれたのは、国王だけだった。申し訳なさそうな表情で手を振って、城から出て行く馬車をずっと見ていてくれた。
(カーティス様のことにしても、シャノン王女のことにしても、国王は優しすぎるのかもしれないわね……)
どんな親でも子供には少なからず甘くなってしまうものだが、政治に関わることに私情を挟むのはやはり良い王の行いとは言えないだろう。
ルイーズは溜め息をついて窓から視線を外すと、足元にあるトランクに目をやった。
(アトラス様にきっと会えるわよね……)
カゼール村から出てきてから、ゼフィにはずっと会えていない。本当はこのことをアトラスに相談したかったが、こちらからゼフィを呼ぶことができない以上、もはやルイーズが自分で判断するしかない。
本当に大きな賭けだが、この判断が間違っていないと信じたい。トランクの中にはアシュリーが必死に集めた書類が入っている。これをどうにかしてアトラスに届けるのだ。
「きっと大丈夫……」
ルイーズは自分に言い聞かせるようにそう呟くと、両手をギュッと握りしめた。




