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第21話 二人の時間

 この教会に来て2度目の冬が来た。アトラスの断罪から2年、シオン王国はさらに傾き、暮らしは坂を転げ落ちるように苦しくなっている。

 オルナンド王国との国境線での戦争は拡大し、シオンは敗戦が続いている。法外な増税に商人たちは次々と国外へ逃亡し、物流は滞り始めている。

 オルナンドの支配下になった地域では、村人にも十分な配給があるらしく、お腹いっぱい食べられると近隣の者たちはオルナンドに助けを求めて、その地域に向かう者さえいるという。


「シオンに戻る算段がついた」

「本当ですか!?」


 冬の寒い夜、かまどの前で手袋を編んでいたルイーズは、アトラスの言葉に驚き手を止めた。

 鏡に視線を移すと、アトラスが大きく頷いてみせる。


「兵士に紛れてシオンに入る予定だ」

「最前線にということですか? 危なくないのですか?」

「大丈夫だ。これでも騎士だったんだ。へまはしないさ」

「シオンの兵士と戦うのですか?」

「それは……、できれば避けたいところだがな……」


 アトラスが困ったように答えるので、ルイーズは焦って手を振った。


「ごめんなさい! アトラス様は精一杯やってるのに、私ったら責めるみたいなことを……」

「いいんだ。言いたいことは分かるよ。それよりほら、火が小さくなってきたぞ」

「え? あ! 大変! 薪を持ってこなくちゃ!」


 ルイーズはかまどの火がもうあと少しで消えてしまうのを見て、慌てて立ち上がると外に薪を取りに行く。だが薪置きには一つしか薪が残っておらず、溜め息をついてそれを拾い上げた。


(そうだった……。薪の在庫がもうないんだわ……)


 食料や薪といったものは、すべて兵士か村人からもらって生活している。教会から出られないルイーズは、ただそれを受け取るだけで、どうにもできないのだ。

 今年の冬は例年よりもずっと雪が降り、村全体で薪が足りない状態だ。それが分かっているから、ルイーズは自分から薪がほしいと言い出せなかった。

 とぼとぼと部屋に戻ると、ゼフィがかまどの前で翼を広げている。近付くと、赤い光が火に力を与え、燃えるものもないのに力強く燃えていた。


「アトラス様?」

「早く薪を。火が消える」

「は、はい」


 ルイーズが薪をかまどにくべると、火は薪に移り、あっという間に大きな火になった。


「ありがとうございます、アトラス様。それは火の魔法ですか?」

「ああ。ゼフィの主は、色々な魔法が使えるからな」

「すごいですね」


 少し前にこのゼフィという鳥がどういうものなのかをアトラスから聞いた。

 オルナンド王国は魔物を従わせる野蛮な国だとシオンではいわれている。だがそれは魔物ではなく人間を助けてくれる守護聖獣なのだそうだ。選ばれた人間と契約を結び、力を貸してくれる。

 ゼフィはその一匹で、主に偵察などを行うが、簡単な魔法なら主の魔法をそのまま使えるのだそうだ。以前、カーティスの結婚式で光の雨を降らせたのも、それと同じ原理らしい。


「薪はそれだけか?」

「大丈夫です。後で本棚でも潰して薪を作っておきますから」

「……大丈夫か?」


 途端に心配な表情になったアトラスに、ルイーズはにっこり笑ってみせた。


「薪くらいすぐ作れますよ。見て下さい、この力こぶ!」


 そう言って腕を曲げてみせる。するとアトラスは楽しげに笑った。


「ルイーズはたくましいな」

「褒め言葉として受け取っておきますね」


 目を細めて笑うアトラスに、ルイーズも笑顔を向けると、二人で笑い合った。



◇◇◇



 それから一段と寒さが増し、ルイーズにとっては苦しい日々となった。アトラスには大丈夫だと言っているが、とにかく食べるものが少なく、時々アシュリーが持ってきてくれる食料が命綱のようになっていた。

 戦地に向かったアトラスとは連絡も途絶えることが多くなり、その期間が1ヶ月以上になることもあった。

 ゼフィがいない間、ルイーズは心配でたまらなかった。戦地で怪我をしないか、シオンの兵士に見つかり捕まっていないか、そればかりが頭を巡り、眠れない日もあった。

 それでもゼフィが戻ってきてくれると、その心配を押し殺し笑顔で出迎えた。


「アトラス様!」


 裏庭の畑を耕していたルイーズは、こちらに向かって飛んでくるゼフィに大きく手を振る。

 ゼフィは勢いよく空から舞い降りると、地面に立てておいた農具の上に器用に降り立った。


「お久しぶりです、アトラス様」


 ゼフィに話し掛けると、その嘴に青い花を咥えている。


「このお花はなんですか?」


 なんとなく手を出して訊ねると、ゼフィはそっとルイーズの手のひらに花を置いた。


「ルイーズ、しばらく顔を出せなくてすまない。これはお詫びの贈り物だ」

「まぁ……」


 海のように青い花は、この辺りでは見たことのない花だ。ルイーズはその花を大事そうに両手で持つと顔を綻ばせた。


「素敵な贈り物……、ありがとうございます、アトラス様」

「いや……、こんなものしか届けられなくてすまない」

「いいえ、とっても嬉しいです」


 ルイーズは部屋に戻ると、コップに水を入れその中に花を飾る。

 ゼフィが部屋に入ってきてテーブルの上に乗ると、その前に鏡を置いた。


「アトラス様、今はどこにいらっしゃるんですか?」

「明日にもシオンの砦に到着する」


(もうすぐアトラス様がシオンに戻ってくる……)


 そう思うと、ルイーズの胸は勝手にドキドキと早鐘を打ちだした。この村から砦までは相当な距離があるから、すぐに会える訳ではないが、それでも同じシオンの土地にいるのだと思うと、二人の距離がなんだかすごく近くなった気がしてくるのだ。


「シオンに入ればきっと君の助けができると思う」

「私の?」

「本当は君をオルナンドに保護したいが、それは無理なのだろう?」

「私がここから姿を消せば、村の人たちが殺されてしまうかもしれません。それは絶対に嫌です。どうぞ私のことは気にせず、やるべきことをおやり下さい」


 自分のことよりもまずはアトラス本人の問題を解決するべきだ。

 ルイーズがそう言うと、アトラスは少しだけ眉を寄せて口を噤んだ。


「アトラス様?」

「君にばかり苦労をかけて……、すまない……」

「もう……、アトラス様ってば、会うと一度は謝ってますよ?」

「そうかな?」

「そうです。私は大丈夫って言ってるでしょ? ここで平和に暮らしているだけなんですから、心配はいりません。戦場にいるアトラス様の方が、私はよっぽど心配です」

「私は大丈夫だぞ」

「本当ですか?」


 少しからかうような口調でそう言うと、アトラスは笑って肩を竦めた。


「信じられないかもしれないが、私は英雄と言われていたんだぞ?」


 その返答にルイーズはくすくすと笑いだすと、「知っています」と満面の笑みで答えた。



◇◇◇



 それからゼフィがまた西の方へと飛んで行ってしまい、つまらない日々が数日ほど続いていたある日の朝、ルイーズが裏庭に出ると、ドアのそばに麻袋が置かれていた。


「ん? なにかしら」


 一抱えほどもある麻袋の中身を見ると、そこにはたくさんの野菜が入っている。

 そして底の方に隠すように小さな紙片が入っていた。そこには「空の彼方より」と書かれていて、ルイーズはそれを手に取ると、じっと見つめる。


「空の……、アトラス様?」


 ハッとして周囲を見渡すが、もちろんそこには誰もいない。

 一瞬ここに来てくれたのかとも思ったけれど、戦場にいるだろうアトラスがここに来られる訳がない。

 どうやって誰が持ってきてくれたのかは分からないが、とにかくルイーズはアトラスの優しさに心が温かくなった。


「アトラス様……、会いたいな……」


 会って直接お礼が言いたい。鏡越しじゃなくて、手を伸ばせば触れられる距離で、たくさん話がしたい。

 ルイーズはそう思うと、青空を見上げる。


「ありがとうございます、アトラス様」


 心を込めてそう言うと、ルイーズはアトラスの無事を祈り手を合わせた。

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